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007 境界を超えて

そこは、地図に載らない山中深く、地下数百メートルに位置する「高エネルギー物理学研究所」だった。数年前、欧州のCERNをも凌ぐ密度で「極小ブラックホールの生成に成功した」というニュースが世界を震撼させた施設。だがその実態は、異世界のゲートを維持するための、巨大な「時空穿孔用加速器」である。


王国の冒険者に偽装した今泉恒一は、超伝導電磁石が放つ青白い燐光の中にいた。

円環の周囲を回る粒子が光速の99.9%まで加速され、理論上の「特異点」を作り出す。その凄まじいエネルギーが、世界のブレーンに目に見えないほどの小さな「穴」を穿ち、磁場によってその縁を固定していた。


「……ブラックホールなんて、上手いカモフラージュを考えたもんだ」


今泉は呟いた。彼が20年前に提供した転移に必要な術式理論、日本のエネルギー技術が産み落とした、両世界を繋ぐ針穴。


「今泉さん、こちらと異世界では通常の電波や光による通信は不可能です。ですが、そのデバイスとこちらの通信端末は量子もつれを利用した共鳴チャンネルで固定されています。通信の切断ロストはあり得ません。……ご健闘を」


鷹宮が、コンソールの向こう側から短く告げた。 次の瞬間、今泉の視界は暗転、まさに20年ぶりの転移だった。


* * *


転送の衝撃が収まり、今泉恒一が最初に感じたのは、肺の奥を鋭く撫でるような「冷気」だった。

湿った土の匂い、野生の草木の生命力、そして何より、肌にピリピリと触れる濃密なマナのゆらぎ。


20年ぶりの異世界。


恒一は、重厚な旅装の感触を確かめるように肩を回した。 かつてこの世界で戦っていた頃の装備をベースに、黒崎たちが日本側の秘匿技術で「魔改造」を施した代物だ。


『秘匿技術と秘密のお財布が使えるってことで、うちの技術者たちが張り切っちゃいましてね……。今泉さんの旧装備、やりすぎなくらい魔改造しておきましたよ』


転送前、悪戯っぽく「テヘペロ」と笑って見せた黒崎の顔が浮かぶ。 見た目は使い込まれた革と布の旅装だが、その裏地には炭素繊維と魔導回路を編み込んだ防弾・防魔法素材が仕込まれている。軽量でありながら、かつてのエーテルガルド連合王国騎士団の全身鎧フルプレートを凌ぐ防御性能。まさに現代日本の意地と悪ノリが詰まった「傑作」だった。


「周囲に敵影はない……歩けるな」


独りごちて、恒一は王都エーテルガルドへと続く、かつての記憶にある「静寂の森」の古道を歩き出した。 一歩、また一歩。 土を蹴る感触が、日本のコンクリートとは明らかに違う。マナを含んだ地表は、わずかに反発力を持ち、身体を押し上げてくれる。


それから一時間ほど、恒一はマナの周囲の状況を探りながら慎重に歩みを進めた。

20年の歳月は、彼の肉体から若さを確実に奪っていた。だが、彼はこの日のために、誰にも知られず鍛錬を続けてきた。

深夜の公園、あるいは自宅の地下室。現代日本の静寂の中で、彼は見えない敵を相手に短杖を振り続けてきたのだ。


「……さすがに、呼吸が少し早いか」


衰えを隠せない自分の肺活量に自嘲気味な笑みが漏れる。そんな時、視界を覆うHUDヘッドアップディスプレイが鋭い警告を発した。


『――警告。前方1.2キロ地点。複数部隊の展開を確認』


視界に透過表示された三次元マップが、青いグリッドの中に赤い光点を浮かび上がらせる。 光点は三つの集団に分かれ、街道を包囲するように配置されていた。 「獲物」を待ち構える、伏兵の陣形。プロだ。

そして、その包囲網に無警戒に突っ込もうとしている一つの大きな青い反応。


「……商隊か」


恒一の目が鋭く細められた。 もしや、という予感があった。今のエーテルガルドは、表面上の平和とは裏腹に、水面下で利権争いが激化している。


恒一は地面を強く蹴った。 マナの反発を利用した跳躍。身体が二十年前の感覚を思い出し始める。 だが。


(……遅い)


脳が命じる反応速度に、肉体がわずかに追いつかない。 全盛期なら、この距離をもっと風のように駆け抜けられたはずだ。膝の沈み込み、重心の移動、その一つひとつにコンマ数秒の「重み」を感じる。 20年という時間の壁を呪いながら、恒一は木々の間を弾丸のように突き進んだ。


* * *


街道を外れた木陰では、血の匂いと絶望が充満していた。「……シルバーヴァイン商会も、ここまでだ。ラウル。大人しく署名しろ。そうすれば、娘の命だけは助けてやる」


ヴォロス商会連合の息がかかった略奪者の首領が、地に伏したラウル・ヴァレリウスの首に剣を押し当てている。 商人の配下や護衛たちは、すでに物言わぬ骸となって転がっていた。首領の横では、別の男に羽交い締めにされた娘のリーゼロッテが、絶望に声を震わせていた。


その瞬間、森の奥から一筋の黒い影が飛び出した。


恒一は勢いそのままに、腰のホルダーから『ヴェクター・バトン』を引き抜き、一気に伸長させた。 マットブラックのバトンが空気を切り裂く。


「なっ……!?」


最初に気づいた略奪者の側頭部を、バトンの先端が正確に捉えた。 カチリ、という機械的な音と共に、バトンに内蔵された高周波振動機構が駆動する。


(……この感覚。重いな、まだ)


バトンを振り抜く瞬間の抵抗。 かつて、武勇に優れた友人と、泥にまみれながら特訓した日々を思い出す。 「恒一、お前の動きは理屈すぎる。もっと肉体の『声』を聞け」と笑われたっけか。

レオンハルトとの模擬戦では、彼の放つ一撃を短杖で受け流そうとしてはその衝撃に耐えきれず、何度も泥濘ぬかるみの中を転がされた。


このバトンは、そんな仲間たちと、異世界の魔導工学と現代日本の物理学を融合させて試行錯誤の末に作り上げた、彼らの「絆」の結晶でもあった。


恒一はバトンを水平に構え、迫り来る二人目の略奪者の剣を真っ向から受け止めた。 激突。バトンの合金が不気味に共鳴し、敵の剣を粉々に砕く。


「……勘が鈍っているな。今のなら、受けずに流せたはずだ」


自嘲気味に呟きながらも、恒一の左腕に装着した小手に内蔵されたハプティクスセンサーを正確に操作していた。 視線は、リーゼロッテを人質に取っている男へ。


『――ターゲット・ロック。狙撃実行』


ドローンからの収束マナが男を射抜き、人質が解放された。 恒一は止まらない。 砕けた剣を握りしめたまま呆然とする首領に対し、バトンを最短距離で突き出す。


「――強制放電キネティック・パルス


ゼロ距離で放たれた衝撃波が、首領の鎧ごと胸骨を粉砕した。 周囲にいた残りの略奪者たちも、上空からのパルス射撃によって一瞬で沈黙する。


静寂が戻った森の中で、生き残ったラウル・ヴァレリウスと娘のリーゼロッテは、荒い息をつきながら呆然と立ち尽くしていた。


恒一はヴェクター・バトンを短く縮めて腰に収めると、網膜に投影された赤いアラートを凝視した。ドローン網が、街道の先から接近する新たな動体反応を捉えている。


「……感謝します、見知らぬお方。命を救われました。私はシルバーヴァイン商会の――」


「名乗りは後だ。別働隊が来ている」


今泉の冷徹な遮りに、ラウルの言葉が止まる。


「え……? 別動隊、ですって?」


「北西300メートル。ヴォロスが雇った増援。重装歩兵を含む12名だ。猶予は2分……。荷物をまとめろ。味方の遺体は後で回収に来ればいい。今はここを離れるのが先だ」


(このまま一人でエーテルガルドの正門を抜けるのはリスクが高い。シルバーヴァイン商会……ヴァレリウス家の名があれば、検問を『公式な護衛』としてフリーパスで抜けられる)

恒一は素早く判断する。


「ラウル・ヴァレリウス。……あんたの商会は、王都の検問で顔が利くはずだ」


恒一の問いに、ラウルが震える声で答えた。


「え……ええ、もちろんです。王室御用達の鑑札も……」


「なら、好都合だ。俺をあんたの臨時の護衛として雇え。……いいな?」


拒絶を許さない、冷徹な提案。 恒一は、返事を待たずに御者台へと手をかけた。

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