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006 要請

その通信は、あまりに儀礼的で不気味なほど冷徹だった。


今泉恒一は、防衛省情報部の薄暗い室内で、こめかみに貼られた生体魔導パッチが発する微かな熱に顔をしかめた。彼の肉体に刻まれた魔術回路が、次元の壁を越えて届くレオンハルトの悲痛な思念を拾い上げている。


「……モニターに出します」


オペレーターがキーを叩くと、正面の大型スクリーンに、ノイズ混じりの「魔導文字」が浮かび上がった。二十年前に今泉が提供した資料をもとに研究をつづけ完成させた翻訳アルゴリズムが、エーテルガルド連合王国の絶望を日本語へと置換していく。


《エーテルガルド連合王国評議会、ならびにエーテルガルド連合王国軍を代表し、今泉恒一殿に対し、以下の要請を行う》


《我々は現在、外的脅威による侵攻と、内的混乱による自壊の瀬戸際に立たされている。殲滅魔法の再配備は他国を退ける唯一の手段だが、それは同時に、煽動された自国民による内乱を招く。我々は、どちらの道を選んでも、この国を失う結末チェックメイトに辿り着く》


《求めるのは、判断ではない。この盤面そのものの、破壊と再構築である》


青白い光に照らされた今泉の横顔を、黒崎が覗き込む。


「……ひどい話だ。配備すれば内乱、しなければ侵略。敵さんは王国の手足を『道徳』という鎖で縛り上げ、無防備なところを食い破るつもりだ。今泉さん、これは政治の限界ですよ。あなたに何ができる?」


今泉はこめかみのパッチを剥がし、静かに首を振った。


「レオンハルトたちは、魔法を『剣』だと思い込んでいる。だから、抜くか抜かないかの二択で詰んでいるんだ。……だが、俺が設計したのはそんな単純なものじゃない」


今泉は、傍らに立つ「別班」の鷹宮を鋭い目で見据えた。


「鷹宮さん。あんたたちが作った『門』だ、単に人が通るだけの穴じゃないはずだ。……日本側が握っている『現地の情報』を、俺のパッチに同期させる準備はできているな?」


鷹宮が、無表情のまま頷く。


「……ネットワークの構築はすでに最終フェーズです。我々は過去二十年、官房機密費を投じて成層圏滞空型プラットフォーム『HALE-M』――通称『ヤタガラス』をあちら側の空へ放流し続けてきました。現地の自然マナを吸着し電力へ変換する『マナ・ハーベスティング』により、燃料補給なしで半永久的な滞空が可能です。高度二万メートルに展開された数万の機体群がメッシュ通信を形成し、異世界全域をカバーする擬似衛星網として機能しています」


「……なるほど。日本の『目』は、すでにそこまで異世界を覆っているのか」


恒一は、鷹宮が提示した『プロジェクト・ヤタガラス』の技術仕様書を凝視した。


単なる高高度偵察機ではない。それは、異世界のSIGINT(信号情報)とELINT(電子情報)を完全に掌握するものだった。日本の技術が到達したその「不可視の支配」の完成度に、恒一は背筋に冷たいものが走るのを禁じ得なかった。


一方、今泉がその手に携えてきた「手土産」は、情報部の連中を震え上がらせるに十分なものだった。


「今泉さん……。あなたが持参したこの論理コード。まさか、この20年間、たった一人で書き上げたのですか?」


黒崎が、手元のタブレットに表示された膨大な数式の羅列を見て、引きつった笑みを浮かべる。そこには、殲滅魔法の全権限を強制掌握し、分散型ネットワークへとリプレイスするための、緻密極まる「パッチ」の設計図が記されていた。


「いつか、こういう日が来ると思っていただけだ。……だが、俺の計算には一つだけ足りないピースがあった。それが、この全域をカバーする『通信インフラ』だ」


今泉は、鷹宮を鋭く見据えた。


「鷹宮さん。あんたたちが勝手に作ったこのドローン網……各機を分散ノードとして、俺のパッチの承認回路に組み込めるな?」


「……理論上は可能です。ですが、あなたのコードを我々のシステムに適合させるには、大掛かりな移植作業ポーティングが必要だ」


「なら、今すぐ始めてくれ。俺が横で全ての論理を説明する」


そこから、情報部の技術部門を巻き込んだ「72時間の地獄の突貫工事」が始まった。 20年前の伝説の魔法設計者と、現代日本のエリート技官たち。世代と立場を超えた技術者たちが、火花を散らしながら魔法幾何学をデジタルコードへと翻訳していく。異世界の魔法技術を、今泉がホワイトボードに数式として書き殴る。それを技官たちが次々とデバイスへ流し込める形式へとビルドしていった。


二日後の早朝。今泉の目の前には、ついに実体化した「解答」があった。


黒崎が無機質なアルミケースを開き、中からマットブラックの筐体を取り出す。


「お待たせしました。あなたが持ち込んだ『20年分の執念』を、我が国の最新インフラと同期させた……あなたのための『秘密兵器』です」


今泉がデバイスを手に取ると、内蔵された冷却ファンがかすかに回り、計算の余熱を逃がしている。 見た目は洗練されたスマートフォンだが、その中には、日本が秘かに蓄積したドローン網の制御権と、今泉が一人で研ぎ澄ませてきた「鍵0(キー・ゼロ)」が完全に統合されていた。


「内部には、殲滅魔法を分散ネットワークへと強制リプレイスするパッチが格納されています。……正直、我々もあなたの先見性には脱帽しましたよ。まさか20年前から、魔法をデジタル制御するための『裏口』を一人で設計していたとは」


今泉はデバイスの画面をなぞった。 網膜に投影されるコントロール画面には、異世界の空に浮かぶ数万のドローンが、今泉の命令を待つ「承認ノード」として点灯している。


「……二十年前のあの魔法は、使えるがゆえに誰もが安心できない荒削りなシステムだった。だが、このデバイスを通じて『データによる相互監視プロトコル』をアップロードすれば、あの魔法は野蛮な暴力から、文明的な抑止力へと進化する」


今泉は、転送室の奥に鎮座する、巨大な円環状の「ゲート」を睨みつけた。


「俺が論理ソフトを用意し、あんたたちが門と『HALE-M』(ハード)を用意した。……ようやく、俺が産み落とした悪夢を終わらせる準備が整ったわけだ」


「お互い様ですよ、今泉さん」 黒崎が、不敵な笑みを浮かべる。 「あなたが『鍵0』を設計していたからこそ、我々の『門』は単なる通路ではなく、あちら側の力を完璧にコントロールするための『仕組み』になれる。……行ってらっしゃい。幽霊が、二十年分の解答を突きつける時間ですよ」


今泉はデバイスをポケットへねじ込み、青白い光が漏れる転送室の奥へと、迷いなく歩き出した。

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