003 詰みの国
王城の深部に位置する戦略会議室は、外の喧騒が嘘のように冷たい静寂に包まれていた。 磨き抜かれた黒大理石の床には、魔導投影機が放つ青白い光が揺らめいている。王国の防衛線を示す光の壁が、北方の国境付近で今にも消え入りそうに点滅していた。
「議論の余地はありません。殲滅魔法の『封印解除』こそが、北の防衛線を維持し、敵国を抑止する唯一の術です」
宰相マルセル・フォン・ヴァイデンが、感情を排した声で断じた。彼の指先が、地図上に記された鉱山地帯をなぞる。そこには日本政府が喉から手が出るほど欲している「高純度魔導石」が眠っている。
「だが、それは内乱につながる」
エーテルガルド連合王国情報局の若手分析官、レイナ・ヴァイスが別の投影資料を重ねた。そこには、王都の広場で掲げられているビラの写しや、民衆の熱狂的な演説を記録した魔導具の音声波形が並んでいる。
「これを見てください。民衆が叫んでいる『人道』や『知る権利』という言葉……。これらは本来、我が国の言語体系には存在しなかった異質な概念です。過去十年の記録と比較した結果、扇動のテンポや語彙の選択には法則性が伺えます」
会議室に戦慄が走った。
「つまり……外敵は、軍事力で攻める前に、情報の毒で我が国を内側から腐らせようとしていると?」
セラフィン大神官の問いに、レイナは重く頷いた。
「はい。誰かが意図的に民衆を煽り、『殲滅魔法=絶対悪』という刷り込みを行っている。殲滅魔法を再配備すれば、民衆は『非人道的な国家だ』と暴発し、内乱が起きる。だが配備を見送れば、国境は突破され、敵国にその封印庫ごと利権を奪われる。……まさに、詰みです」
盤面には三つの破滅が並んでいた。
【武力による解決】:殲滅魔法を再配備して敵を防ぐ。だが、内乱によって国は瓦解する。
【静観による破滅】:配備を見送り、時間を稼ぐ。だが、手薄になった国境から敵がなだれ込み、魔法の制御権を強奪される。
【他国の介入】:門の存在を明かし、第三国の軍事支援を仰ぐ。だがその瞬間、王国は大国たちの資源争奪の戦場となり、地図から消える。
「我々は、正解のない盤面に座らされているのだ」
エーテルガルド連合王国軍将軍、レオンハルト・グラーツが、しわがれた声で沈黙を破った。 彼は二十年前、一人の男と共に地獄を見た。神の領域に踏み込み、一瞬で城塞都市を灰にする理論を組み上げた男の背中を、誰よりも近くで見ていた。
「だからこそ、彼を呼んだ。この盤面そのものをひっくり返すことができる男を」
マルセル宰相が、苦々しげにレオンハルトを見据えた。
「……今泉恒一を、か。特級戦犯。あの忌まわしき『殲滅魔法』を作り出した男を、再びこの地に招こうというのか。彼にまた、悪夢を再現させるつもりか?」
「違う」
レオンハルトは、断固とした口調で否定した。
「彼に求めるのは、破壊の力ではない。この『詰み』の盤面を、構造そのものから解体する力だ。彼は二十年前、殲滅魔法をこの世に産み落としてしまった罪を雪ぐために、それを二度と使わなくて済む安全装置を組み上げようとした。理論の産みの親であれば、この『情報戦』という名のノイズを、理論的に突き崩せるはずだ」
セラフィン大神官が、手元の古びた写本を撫でた。そこには恒一が去る際に記した「平和維持の誓約」が残されている。
「神ではなく、人が作り出した破滅……。ならば、産みの親が責任を取るべきだ、ということですか」
「そうだ」
レオンハルトは立ち上がり、窓の外を見下ろした。 遠く、王都の広場からは「殲滅魔法を封印せよ」「王族は真実を隠している」という、矛盾した叫びが地鳴りのように響いてくる。
「平和を維持するために、殲滅魔法を作り出した男を呼ぶ。……これほど皮肉な話もないと思うがな」
レオンハルトは、先ほど魔導通信陣を介して届いた、あの男の声を思い出していた。 短く、だが確かな覚悟を含んでいた、かつての友の声。
「彼は来る。そして、自らが産み出し、歪んでしまったこの世界の理を、もう一度繋ぎ合わせるだろう。……例え、それが自分の首を絞めることになろうとも」
王城の窓を打つ風が、かつての戦場と同じ冷たさを含んで吹き抜けた。 王国の上層部は、自らの無力を認めながらも、唯一の希望である「設計者」の再臨に、国の命運を託す決断を固めた。




