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015 信頼のネットワーク

王国情報局の最深部。窓のない文書解析室の冷たい静寂の中で、レイナ・ヴァイスは独り、自らの端末を「ARC-Zero」に接続して、局内のメインサーバーを走査スキャンしていた。表示される画面には、無機質なマナの波形と、それらに紐付けられたアクセスログが絶え間なく流れている。


「……ありえない」


レイナの指先が微かに震えた。ログには、本来なら存在しないはずの「暗号チャンネル」が幾重にも生成されており、情報局内の主要ポストに就く数名の幹部たちが、敵対国家の秘匿サーバーと定期的に通信している事実が冷徹に示されていた。データの汚染は想像を絶していた。


調査を進めるべく、彼女は自室の魔導ランプの基盤を物理的に剥がした。そこには、本来ならば存在しない、極小の「異物」が取り付けられていた。


(……あやしい魔道具だわ。マナの反応がほとんどないけれど、これが私たちの情報を吸い上げていた盗聴器に違いない)


レイナは吐息を漏らし、その異物を見つめた。王国の探知結界を完璧にすり抜けていたこのデバイス。彼女にはまだ、その原理までは理解できなかった。


――後に王国の情報部による精密な分析によって、カシムがもたらしたこの技術の正体が解明され、魔導技師たちを震撼させることになるのだが、それはまた後の話である。


実のところ、王国の防衛魔導は、強大な魔力の「揺らぎ」や「発動術式」を検知するよう設計されていた。いわば、巨大な炎を探すセンサーだ。しかし、カシムの持ち込んだこのデバイスは、「スペクトラム拡散通信」理論を魔導に応用していた。

情報を一つの強力な魔法信号として送るのではなく、王国のマナ・ネットワーク全体に流れる「背景雑音(環境マナ)」と同等の微弱な出力まで分解し、広大な周波数帯域に薄く引き伸ばして送信していたのだ。

王国側が「魔力がない」と判断して切り捨てていた微細なノイズの層――「ノイズフロア」の下に情報を隠蔽し、ホワイトノイズに擬装する。それは、王国にとって未知の脅威であった。


(私たちは、完全に『外』から見透かされていたのね……)


レイナは背筋を走る戦慄を抑え込んだ。

彼女が次に取るべき行動を演算しようとしたその時、懐の端末が鋭く、短い警告音を鳴らした。今泉恒一からの、緊急秘匿回線だった。


『レイナさん、聞こえるか。今すぐ情報部のホットラインを叩け。城内北壁の屋根伝いに、光学迷彩を施した工作員が入り込んでいる。ヤタガラスの追跡によれば、あと三分で王の私室の真上に到達する』


「今泉氏……!? 了解、すぐに本部に緊急伝達を!」


一瞬の困惑はあった。だが、彼が提示する情報の圧倒的な精度、そしてレオンハルト将軍が彼に向ける絶対的な信頼が、彼女の迷いを断ち切った。

レイナは廊下へ飛び出し、局内にある緊急通信室へと駆け込んだ。


「城内北壁に侵入者あり! 透明化の魔道具を使用中。至急、当該区域の警備を最大に引き上げろ! 繰り返す、北壁だ!」


彼女の叫びが、魔導拡声器を通じて城内に響き渡る。重厚なサイレンが夜の空気を切り裂き、静まり返った王城は一転して怒号と甲冑の鉄が擦れる音に包まれた。


レイナは焦る気持ちを抑えながら現場へ急行。北壁の基部へ辿り着いた彼女が目にしたのは、高所から落下し、石床の上で不自然な体勢のまま意識を失っている三人の工作員の姿だった。外傷はほとんどないが、神経系を直接撃ち抜かれたような痕跡がそこにはあった。


「これは……」


侵入者の傍らには、周囲の光を不自然に屈折させ、背景に溶け込ませる銀灰色のマントが転がっていた。噂に聞く「光学迷彩」、透明化の魔道具だ。もし連絡が数分遅れていたら。レイナは背筋を凍らせながら、そのマントを一着、素早く懐に隠した。敵の目をかいくぐるには、こちらもその牙を逆利用して生き残るしかない。彼女はそう確信し、その場を後にした。


*  *  *


サイレンの咆哮が、王城の分厚い石壁を揺らしていた。

レオンハルト・グラーツ将軍は、執務室から廊下へ飛び出すと同時に「身体強化ブースト」の術式を全開にした。青白い魔力が四肢の血管に沿って走り、彼の巨躯を弾丸のような速度で突き動かす。


今の王城において、誰が敵で誰が味方なのか、その境界は完全に消失していた。王の身辺を固める近衛兵の中にすら、カシムの毒が回っている可能性がある。職務の分担や命令系統を考えている余裕はなかった。


「王よ、ご無事か!」


レオンハルトは、近衛兵たちが抜剣して立ち塞がる寝室の扉に押し入り、力任せに押し開いた。室内には重苦しい緊張が立ち込め、王の寝室を取り囲む兵たちの視線が、侵入者であるレオンハルトへと突き刺さる。

中央の椅子に腰掛けた王は、将軍の姿を認めると、威厳に満ちた声で命じた。


「ラインハルトか。……皆の者、この部屋から立ち去れ。王室の外周警備を最大レベルで継続せよ」


「しかし、王よ……。刺客がまだ城内に潜伏している可能性が……」


「二度は言わぬ。将軍と二人で話す」


王の放つ圧倒的な圧に、近衛兵たちは沈黙し、一礼して退室した。重厚な扉が閉じられ、二人だけが残された。


「……今泉恒一から連絡があったのだな、王よ」


王は静かに頷き、手元の空中に青白く浮かぶ魔導文字の残像を消した。


「左様だ。彼は……恒一はすでに王都に入り、活動をはじめている」


「そして、お互いに、彼からのアクセスを受けとることができた。それこそが、我々がまだ敵の汚染に染まっていないという唯一の証明でしょう」


レオンハルトは安堵の溜息を漏らして、窓の外に目を向ける。


「実は、私は彼に、王国の置かれた状況を覆すために、助力を要請しました。正規の軍や議会が機能不全に陥っている今、彼のような存在による介入こそが、唯一の希望だと考えております」


「その計画も、恒一から聞いている。……二十年前、我々が共に戦ったあの英雄が戻ったのだ。もはや、この国を無様に壊させるわけにはいかんな」


疑心暗鬼に蝕まれるエーテルガルドの闇の中で、信頼の灯りが静かにともったのだった。


*  *  *


城内の騒動が収まり、王都の喧騒が遠のいた頃。今泉恒一は、居住区の片隅に位置する、廃墟同然の地下隠れ家へと戻っていた。

彼はARC-Zeroの通信チャンネルを開き、成層圏に滞空するヤタガラス経由で日本側の黒崎へと繋いだ。


「……以上が王城内の状況だ。工作員三名は無力化、レイナとレオンハルトの接点は維持している。向こう側の監視網の穴は、概ね特定した」


恒一は、無機質なコンクリートの壁に背を預け、呆れ混じりに報告を終えた。異世界へ潜入して四日。レオンハルト、国王、そして想定外の協力者となったレイナ。王国側の重要ノードとのリンクはすべて確保した。


端末から、黒崎の軽薄だが鋭い声が響く。


『お見事です、今泉さん。さすがは王国の英雄ですな~。さて、次のフェーズですが……。王都の東、町外れにある古い穀物倉庫の中に、固定式の『緊急帰還ゲート』を設置しました。そちらのタイミングで構いません、一度日本へ戻ってきてください』


黒崎の声が、わずかに苦笑を含んだものに変わった。


『……というのも、奥様――エリシアさんが、こちらの想定を遥かに上回る精度で事態を察知しておりましてね。我々の方でも懸命に『海外出張中』の体裁を維持していますが、そろそろ限界です。一度顔を見せておかないと、作戦そのものが彼女の手によって破壊されかねません』


「……そうか。カシムの工作よりも、そっちの方がよほど致命的だな」


恒一は短く溜息をつき、端末の画面を消した。敵の情報工作、王国軍の内通、そしてヤタガラスの支援。それらすべてを合わせた重圧よりも、今の彼にとっては、疑念を深めるエリシアと正面から向き合うことの方が、はるかに困難なミッションに感じられた。


彼は一度、この血なまぐさい異世界を離れ、平和な日本の家庭に忍び寄る不穏を鎮めるべく、東の穀物倉庫へと足を向けた。

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