第10話 亡霊の休息と牙
王都の地下、100年前に打ち捨てられた下水道施設。湿った空気と静寂が支配するその場所で、今泉恒一とレオンハルト・グラーツは、20年という空白を埋めるように言葉を交わしていた。
「……突然あのような信号を送り、無理を言ったことは分かっている。あちらでの生活がある中で、本当に申し訳ない」
王国軍を背負う「鉄の将軍」の面影はどこにもなかった。レオンハルトは絞り出すような声で、旧友に対し深く頭を下げていた。もはやその瞳には、救いを求める子供のような切実さが滲んでいる。
「よせ、レオンハルト。これは俺にとっての『宿題』だ。20年前、俺たちの仲間が命を懸けて守ったこの国を、こんな安っぽいプロパガンダで壊させてたまるか」
恒一の言葉に、レオンハルトは顔を上げ、震える声で返した。
「本当に、君しか頼れる者がいなかったのだ……」
「おい、将軍だろう。そんな顔をするな。……だが、その甘いところが君らしくて安心したよ」
恒一が微かな苦笑を浮かべると、傍らで一部始終を見ていたレイナ・ヴァイスは、王国の生ける伝説と、この「亡霊」の間に流れるあまりに深い絆に、言葉を失っていた。
少しずつ呼吸を整えたレオンハルトが、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば……エリシア様は、元気か。向こうではどう過ごされている」
レイナの耳がぴくりと動いた。将軍が今、この男の妻を「様」付けで呼んだ。その事実は、彼女の頭脳にある王族の系譜図を激しく揺さぶる。
「元気だよ。娘が一人、息子が一人。……元剣士とは思えないほど、今は立派な日本の母親だ。毎日子供の進路やテストの結果に一喜一憂しているよ」
「……そうか。平和に暮らしているのだな。そんな彼女から、このような地獄へ君を引きずり込んでしまった。謝っても謝りきれない」
「もういいと言っただろう」
恒一は肩をすくめた。レオンハルトは感嘆の溜息をつき、恒一の手元にあるARC-Zeroを見た。
「しかし、あいかわらずとんでもないモノを作る。君の『力』は、もはや我々の想像を絶する領域に達しているようだ」
恒一はただ、曖昧な苦笑いでその問いを流した。
(エリシアには『急な海外出張』だと嘘をついて家を飛び出してきたが……。もしバレたら、どうなることやら……)
人知れず顔面蒼白になる恒一を、レイナは訝しげに見つめていた。
* * *
突然、恒一の懐から鋭く短い警告音が響いた。
「――接敵まで400。謎の武装集団が地上からこのポイントへ急行している」
恒一の表情が一変した。ヤタガラスが捉えた熱源反応。それは王国軍の正規巡回ルートにはない、殺意を持った動きだ。
「脱出するぞ。急げ」
三人は即座に動き出した。施設地下の迷路を知り尽くしたレオンハルトの先導で、100年前の遺構を駆け抜ける。背後からは、重い石の扉が蹴破られる音が反響していた。
施設の最下層は、王都を流れる運河へと直結していた。濃い霧が立ち込める水面に、一艘の古い小舟が揺れている。恒一は棒で川底を押し、舵を切った。音を立てぬよう、滑るように霧の中へと消えていく。
しばらく下った先の、朽ち果てた水車小屋。そこで恒一は二人に「手土産」を渡した。
「レオンハルト、これはお前に。これからの連絡はすべてこの端末で行う。……安心しろ、お前たちの国の能力では盗聴はおろか、信号を捕捉することすら不可能だ」
そして、恒一はレイナの持つ情報部の端末を指差した。
「レイナさん、あんたの端末にも『機能』を追加しておいた。勝手にいじったのは謝るが、これが必要だ」
レイナが自分の端末を確認すると、通信用アプリと、高解像度の監視ログが勝手にインストールされていた。彼女が驚愕に目を見開いた時には、恒一はすでに小屋の闇の中へと姿を消していた。
* * *
地球。日本の防衛省情報部・地下分室。
「……はい、はぁ~い。今泉さん。王都での鬼ごっこ、お疲れ様でした」
黒崎俊介は、回線越しに軽薄な声を飛ばした。だが、その背後のオペレーターたちの動きは慌ただしい。
「黒崎、定期連絡だ。状況は聞こえていたな。……それより、家の様子はどうなっている。エリシアに怪しまれていないか?」
恒一の切実な問いに、黒崎は一瞬の沈黙の後、頬を引きつらせた。
「ご家庭へのサポートも我々の重要な任務です。……ですが、奥様は少々、我々の想定の斜め上を行かれる方でして」
黒崎がモニターを切り替えると、そこには市ヶ谷の防衛省本局のロビーで、事務官の胸ぐらを掴みかけている一人の女性の姿があった。
「『電波のつながらない場所』? 笑わせないで。衛星通信だってあるのに、これほど連絡がつかないなんてありえるの? ……今すぐ、今泉恒一の本当の現在地を吐きなさい」
かつて「脳筋剣士」と呼ばれたエアリスの直感は、現代日本の情報網すらも貫こうとしていた。
「……本局に殴り込みをかけようとしたところを、うちの職員三人がかりで『重要機密事項』だと誤魔化して、なんとか自宅に押し戻しました。正直、彼女の殺気に、うちの連中が心を折られてますよ」
黒崎は頭を抱え、深く溜息をついた。
「今泉さん、早く終わらせましょう。奥様が再び『実力行使』に出る前に。……さもなければ、この作戦の盤面そのものが崩壊されかねません」
通信を切った恒一の背中に、異世界の夜風よりも冷たい戦慄が走った。




