TAKO
オキシン国。地上迷宮セキドイシの近く、タルバカン村。昼。
「よいしょっと」
ベチャッ!ズリー、ズリー、ズリー、……
風人族ピノンが楽しそうにセメントを石の上に載せ、へらで平らに広げていく。
「おいエルフの嬢ちゃん。少しは休んだ方がいいんじゃないか?」
自分の家の新築を手伝ってもらっている村人の男が申し訳なさそうに気を遣う。
「え?平気ですよ。こんなのセキドイシの中に比べれば余裕のよっちゃんです」
「まったくですわ」
ドゴドゴドゴン。
近くの岩場から自分で運んできた石材を手刀でカットし整形した半人半魔のメリュジーヌが続ける。全身甲冑は現在やめて、胸当てだけが陽光を赤く、黒く、跳ね返す。
「これだけの量の石を一人で運んで素手で加工して……あんたも相当の使い手だな」
「そうでなければセキドイシの中から出てこられません」
セメントを混ぜ続けている村人たちが笑いながら頷く。
「「それに」」
ピノンとメリュジーヌが同じ方を見る。魔物ロックバードの白骨化した嘴に腰を下ろす少年の背中を見る。
「テツタロウさんがああして頑張っているんですから」
「私たちだけ休んでいるわけにはいきませんわ」
「……そうか。さすがはセキドイシ生還者」
「生ける伝説」
「違ぇねぇ。へへ」
タルバカン村。
正確にはタルカバン村跡地。
一週間前までは、迷宮セキドイシに潜伏していた魔物テッポウキノコによる感染爆発によりエンデミック状態にあった場所。
けれど一人の召喚者によって瞬く間に全て焼かれ、沈黙の廃墟となった土地。
その土地の復興支援を、焼いた召喚者とその仲間は続けている。
召喚者。
《報告。DNA分解酵素クリスパーキャスナインとガイドRNAにより、標的DNAの切断および標的遺伝子のノックアウトに成功。これよりトランスジェニックを開始》
〈おい!なんでそんな簡単に新しい食い物をホイホイ作れるんだよ。けっ!〉
名前は、釘崎鉄太郎。
召喚者鉄太郎が授かった能力。
《トランスジェニック成功。細胞培養開始。カルス形成。成長状況確認中》
〈陸ってのはつくづく不便だなぁ。海の中にいりゃあ漂っていようといまいと、食い物なんて勝手にこっちに流れて来るっていうのによぉ……〉
それは、死んだふり。タナトーシス。
《成長促進作用、乾燥耐性、pH緩衝能付与》
〈陸に上がりゃあ、餌を探さなきゃいけねぇだの、餌を作らなきゃいけねぇだの。ったく。めんどくせぇ〉
すなわち、エーススキルに選ばれた少年が、鉄太郎。
「……」
(どこへ、行くか)
少年は今、迷宮を抜け、魔物を町ごと焼き払い、町を治しながら、次の行き先を模索していた。
《改良品種完成。ダイヤスキル「錬成」終了》
〈わーってるよ。この高貴な珊瑚人族の俺様にまた土いじりをさせたいんだろ。お前と一緒にいるとほんと退屈しねぇぜ〉
「ふう……」
手にしている改良ジャガイモを改めて見る鉄太郎。そして彼の足下には、地下室に逃れ災禍を免れた村人たちが持ちよった植物の種子、いくつかの鱗茎に塊茎、塊根。
ムォー……
コケーコッ。コケーコッコッコッ……
緑の命を含んだ風が、そっと吹く。
ウシ1頭とたくさんのニワトリたち。
それらが背丈の低い、けれど緑に染まった大地をゆったりと歩き、下草を食む。あるいはせわしなく歩きながら下草をついばむ。
そこは一週間前までは草木一本生えていなかった場所。今は鉄太郎によってゲノム編集されたシロツメクサで一面を埋め尽くされている。
〈ラクダの餌藁から麦つくったり、木箱の中で下敷きに使われた雑草を飼料のために増やしたり、こんなの錬成なんていわねぇぜ〉
《不支持。命の錬成》
〈ああそうかい〉
迷宮に近い砂の大地は人々に埋め尽くされ、魔物に埋め尽くされ、灰塵に埋め尽くされ、そして今は、緑肥に埋め尽くされている。
そこで村人は石材を組み、コンクリートでつなぎ、家を再建している。
新しくできた牧草地へ、買ってきたウシとニワトリを放ち、耕した畑に種子や苗を植え、水を与える。
トポトポトポトポ……
水。
かつてないほど湧き上がる水を湛えたため池。そして掘っただけだが、確かな灌漑用水路。
「テッチ。テッチ」
水脈を探り当て、水を地上に吹き上げた奇跡の張本人が、鉄太郎に駆け寄る。
「どうした?」
「あった。四葉のクローバー」
鉄太郎の腕に抱き着く、奇跡。
迷宮セキドイシに、魔法が永劫に封印してきた、海の王女。
海星人族アステロイダ・シンクヴェトリル。
「すごいな。良く見つけたな」
「ウシが食べようとしてたから、頼んで岩塩と交換してもらった」
「頼んで交換って、アステはウシと話せたのか。それは知らなかった」
「四葉。四人とも一緒」
「?……ああ」
不意を打たれた鉄太郎は、涙ぐむ。
「テッチ?まだどこか痛いの?」
裸同然で迷宮を脱出した海の王女は今、村人と同じ服を着ている。来ていた服を魔物の攻撃で焼かれ、皮膚まで爛れたピノンもメリュジーヌも同様に、村人と同じ服を着ている。
「いや。目にゴミが入ったらしい」
その3人の面影が鉄太郎の中で、涙で滲む。
「じゃあテッチの目、超音波洗浄してあげる」
「残り一つしかないからそれはマジで止めてくれ」
「ちょっとアステさん!何してんですか!?ウマ曳きちゃんとやってください!!」
ピノンに怒られてビクッとしたアステロイダが鉄太郎を覗き込むのをやめ、慌てて元の作業場に戻っていく。
「まったくもう。ちょっと目を離すとすぐテツタロウの所へ抜け駆けして……」
アステロイダの作業場は畑。
大きな鍬を曳く馬は引導役のアステロイダがいなくなって立往生していたが、ようやくアステロイダが戻ってきたので鼻を鳴らし、作業を再開する。
「しっかし、すげぇなあ」
衣服に吹きつけてある柑橘系の香と若い汗と土のニオイを鉄太郎は同時に嗅ぐ。
「村のみなさんほどではないですけど、アイツら三人とも、器用で働き者ですから」
「よく言うぜ。おめぇが一番器用で働き者じゃねぇか」
村の復興のため、活動拠点をタルバカン村跡地にしている行商人ルーガンが声をかける。その腰には水で満たされた水筒がぶら下がっている。
「どうでしょうね。それよりコレ、試してみてください」
鉄太郎は既に左眼の亜空間内で増やしたジャガイモの塊茎5個を行商人に手渡す。
「なんだこれ?ただのジャガイモじゃねぇのか?」
「育ちを良くしました。栄養生殖……植えれば通常のジャガイモよりすぐ増えると思うので、これでしばらくの間、飢えをしのげます」
「あの連中が飢えで死ぬもんか。ありえねぇほどの水があって、あれだけのニワトリがいて、しかもあのニワトリどもときたら、一日2個以上も卵を産んでくれるんだ。それでもだめならウシと一緒にあの下草を食って生き延びるさ」
改良ジャガイモを受け取り、一個一個を眺めつつルーガンが言葉を返す。
「あのウシの乳の出はいいので、飲み水の代わりにせず、温度変化の小さい地下室でじっくり発酵させればそこそこのチーズやヨーグルトも作れます。それを売れば少しは村の稼ぎになるでしょう」
「ニワトリ同様、ウシのそれも若旦那のスキルか」
汗を拭いながらルーガンが笑う。
「そんなところです」
「へへっ、ほんとスゲェな。神様みてぇだ」
石材に腰を下ろし、鉄太郎の隣に座るルーガン。水筒の栓を抜く。
「俺は……神じゃない」
喉を鳴らす音を隣で聞きながら、召喚者はつぶやく。
「そうだな。勇者だった」
生き残った村人たち150人弱が総出で仕事をする。
炊き出しと料理に精を出す女たち。大量の灰を土に梳き込みつつ畝をつくる老人たち。そこに等間隔で種子をまき、あるいはニワトリの卵をせっせと籠に回収する子どもたち。頑丈な石の家を造る若い男たち。
陽光の中で汗を流す彼ら一切を、暖かい風が撫でる。
「この村を出ます」
鉄太郎がルーガンに言う。
「またそれか。お前さんの力を狙う連中がいずれここに押し寄せるからみんなの迷惑になるってんだろ?」
驚きもせず、ルーガンは濡れた口を拭う。
「ええ。そうです」
「で、どこに行く?いつもの質問だが」
ルーガンが鉄太郎に水筒を渡しながら問う。
「……」
(そうだ。俺は……どこに行けばいいんだ?)
〈んなもん答えは決まってんだろうが。魔王殺しだよ。嫌なら俺様にお前の体を渡せ!でなきゃ海に沈めてやるぜ!〉
《いずれも不支持。天使サンダルフォンとジョーカースキル所持者志甫蒼空の動向が不明な中、魔王領を単独で目指すのは危険。また海の中は魚人族が支配していて危険》
鉄太郎は水筒の水をゴクリと飲む。
召喚者鉄太郎の中で、いつものやり取りが始まる。
彼の左眼の亜空間カルミナブラーナを支えるシュクラサンゴと、彼の死んだフリスキルを操作する天の声とのやりとり。
その両方の言い分を聞きながら、次の行動を決める鉄太郎。
〈空を飛んでいたあの白トカゲなんざ、俺の「カミオロシ」をこのガキにぶち込んでイチコロだぜ!〉
《禁忌シリーズはあくまで最終手段。いくら治癒鉱石ミミングタイトを入手したとはいえ成長毒の大量使用は危険》
〈じゃあこれからどうすりゃいいのか言ってみろよ!〉
《最適解はなし。死んだフリスキル所持者の意思次第》
(俺、次第か……)
水で喉を湿らせた鉄太郎は礼を言って、ルーガンに水筒を返す。
返して、セメント塗りをするピノンを眩しそうに見つめる。
(セキドイシを出るまで、こんなことを考える時が来るなんて、思わなかった)
重い石を軽々といくつも運び加工するメリュジーヌへ、彼の目は移る。
(誰か強い奴の後ろにくっついて、その強い誰かが魔王を殺す。その時に一緒にいられれば元の世界に戻れるかもしれない。それくらい楽観的にしか考えていなかった)
いつの間にか馬の背中に乗り、種子を狙って降りてきたクロコンドルに水鉄砲を食らわせて失神させるアステロイダへ、彼の目は移る。
(誰か強い奴……)
〈自覚ねぇのか馬鹿!てめぇがその〝強ぇ奴〟なんだよ〉
シュクラサンゴがたしなめる。
(だとしたら)
《不支持。他の生存召喚者を全員伴っての行動は危険。先日孤島フィリニアを脱出したとされるジョーカーに狙い撃ちされる恐れあり》
天の声がたしなめる。
〈だから俺様が止めるっつってんだろうが!〉
《「俺様」ではなく召喚者釘崎鉄太郎》
〈んだとテメェ!ガキの禁忌シリーズは誰がこじ開けたと思ってんだ!?〉
《召喚者釘崎鉄太郎本人。我らはあくまで付き人に過ぎず》
〈こんのぉぉ………ちくしょうっ!もう土いじりなんてやってられっか!俺はずっと戦っていてぇんだよ!〉
《戦闘は準備が必要。その必要条件を満たすために亜空間内での農耕作業がある》
体内で二人の言い争いを聞きながら、自分なりの最適解を孤独に模索する召喚者鉄太郎。その手には、四葉のクローバー。
(みんなで、平和に、静かに過ごせたら……)
《支持。しかし困難と思われるため、不支持》
〈冗談じゃねぇ!何寝ぼけたこと言ってんだ!眠りすぎて頭がいかれちまったんじゃねぇのか!ベルゼブブをぶっ殺した時のお前はそんな腑抜けじゃなかったぜぇ!!〉
「?」
フゥウゥゥゥウウウウ……
ふと、冷たい風が鉄太郎の頬を通り過ぎる。
(磯の香り?)
異世界パイガに来てから一度も感じたことのない大きな海の香りを鉄太郎は鼻で捉える。
「まだ、こちらにいらっしゃいましたか」。
聞いたことのない甘い声が耳元で聞こえ、ルーガンは振り返る。
「おわっ!?」
鉄太郎は振り返らず、本能的にルーガンを抱えて前方に飛びのく。
ザザッ!!
(なんだ、今の尋常じゃない殺気は)
鳥肌を立たせた鉄太郎は顎を汗が伝うのを感じながら、急ぎ振り返る。
「誰ですかあれ?」
「知りませんわ。ただしよく知っている嫌な感じをしておりますわ」
「テッチ守る」
既に風のように、土のように、水のように素早く鉄太郎の傍に集まったピノン、メリュジーヌ、アステロイダ。
既に狼弓が握られ、全身を甲冑で覆い、生捕りクロコンドルをバリバリ食べている。
ルーガンも、仕事の手を止めた村人も含めて、全員が〝それ〟を見る。
「ふむ。新種ではないですが、これほどの改良を人の手で加えられるとは」
〝それ〟は、鉄太郎が作ったジャガイモを既に手に取り、宝石でも鑑定するようにしんしんと眺めている。
「さすがはエース召喚者。釘崎鉄太郎」
「「「「……」」」」
鉄太郎の名前を知っていることに、さらに警戒を強めるピノン、メリュジーヌ、アステロイダ。弓をもちあげて弦をやや引く。拳を固め、左足を前に出し半身を切る。クロコンドルを食べ終え、口の中の羽をぺっぺと吐く。
「あ、そうでした。自己紹介がまだでございました」
真白のマント。真っ白の首。ワカメのかぶせたような真っ白の髪。
優男の声以外、全て白い。
「「「「?」」」」
そこに青色が滲む。
さらにオレンジ色の線が現れて流れる。
マントは青地にオレンジの線。ワカメ髪は完全なオレンジに染まり、勝手に持ち上がり、オールバックになる。ようやく見えた真っ白い顔面を、歌舞伎役者の化粧のように青とオレンジの線が隈取っていく。ただし瞼は閉じたまま。
「我が名はカトマイ。蛸人族のカトマイと申します」
蛸人族と聞いた瞬間、鳥の羽を吐いていたアステロイダが固まる。
〈蛸人族だと!?〉
同時に鉄太郎の中で騒ぐシュクラサンゴ。
(知ってるのか?)
《説明。蛸人族は上位の魔物を超える力をもつ魚人族》
〈そんな生温いもんじゃねぇ!こいつらは魚人族の中でもトップクラスの強さのバケモノだ!しかも蛸人族と言やぁ海王国の処刑人!俺たちを殺しに来やがったんだ!!〉
(どうりでこの殺意……ん?)
鉄太郎たち4人の警戒していた蛸人族の殺意が突如消える。
ス。
「「「「?」」」」
蛸人族が身を屈める。俯き、跪く。
「釘崎鉄太郎殿とその御一行。この度は、皇女様をお救いいただき、魚人族を代表して心より感謝申し上げます」
呆気にとられるピノン、メリュジーヌ、アステロイダ。
「……」
しかし、
「それで?」
鉄太郎はもう、元に戻っている。森神石を埋め込んだロックバードのマントが塩風で翻り、森神石の胸当と手甲が灰色に鈍く光る。
殺意を撒き散らした直後に自分に向かってひれ伏す曲者を、死んだフリスキル所持者は既に〝観察対象〟と捉えている。博物学者のような彼の中にはもう〝深い森〟が広がっている。
「皇女アステロイダ様を、お渡しいただけませんでしょうか?」。
「どうしてだ?」
間髪入れずに鉄太郎が問い返す。
「皇女アステロイダ・シンクヴェトリル様を聖なる海に御帰還あそばせることは、我ら魚人族にとって千年来の悲願。それを果たしたく、この内陸の地まで私ははせ参じました」
潮風が強くなる。オキシン国から出たことのない村人にとっては完全な異臭が鼻を突く。
「連れ帰ってどうするつもりだ?」
「人が故郷に帰ることに理由など要りません。あるべき所へ、あるべき御方を御戻しするのは当然のこと。そもそも魚人族の皇女たる尊き御方を拉致し、陸地のふざけた迷宮に閉じ込めたのは卑しむべき魔王です。ですので迷宮という牢獄から解放された今、皇女様が海に戻られ、皇位皇職に戻られるのは当然のことかと」
そこまで言って、カトマイが瞼をはじめて開く。血のように赤一色の眼球が広がり、全員が恐怖ですくむ。
「テッチ……」
怯えたアステロイダがカトマイから鉄太郎へ目を向ける。
「断ったらどうなる?」
〝海の赤〟より〝暗い森〟を恐れる召喚者は少しも怯まず、カトマイの眼を見つめたまま、まっすぐに問う。
「今なんと?」
「アステロイダが〝お前らの〟海に戻りたくないと断ったら、お前らは力づくでも連れ戻すつもりか?」
「海の皇女様が乾燥した陸に留まりたい理由など思いつきませぬ。海に戻れば海星人族の皇女様は万能。我ら蛸人族も、あなたから香る珊瑚人族も足下にも及びません」
「……」
アステロイダが俯き、自分の胸に手を当て、わずかに後ずさる。
「ああ、それと」
カトマイが立ち上がる。
「皇女様が乾かぬよう、この大陸にワカラバを敷きました」。
「え……」
アステロイダから思わず声が漏れる。再びカトマイを見る彼女の顔から血の気が引いていく。
「ご安心を。陸の人間どもが「マルコジェノバ連邦」と呼称している大地だけです。そこだけをワカラバいたしました」
ニコリと蛸人族は笑う。瞼を閉じる。
(ワカラバって何だ?)
〈やべぇ。野郎ども、本気だ〉
鉄太郎の中のシュクラサンゴの声も、震えて小さい。
「皇女アステロイダ様」
蛸人族が笑顔を消す。真顔になる。
「聖なる海に、お戻りになられますよね?」
「…………」
アステロイダの手に汗が滲む。
「戻ればワカラバを解除します」
「……」
アステロイダの呼吸が大きくなる。
「戻させるわけないだろ」。
はっとしたアステロイダが鉄太郎を見る。
「あなたには聞いておりません」
「俺が勝手にしゃべっている」
「ふふ。ではご自由にどうぞ」
「どうもこうもない」
「は?」
アステロイダと自分の会話に割って入った鉄太郎に、再びカトマイは赤い眼を開く。
「釘崎鉄太郎殿。あなたは天使が勝手に運命づけた魔王退治に必要だからという理由で、皇女様を傍に置いておきたいのでしょう?天使なぞどうでも良いですが、卑しき魔王の覆滅は我々も切に願うところです。憎き魔王を、魚人族が海より攻めて、遂には滅ぼす。そのためには皇女様のお力添えが絶対に必要なのです」
「お前ら魚人族っていうのもずいぶん勝手だな」
「ではあなたは勝手ではないと?」
「いや違う。俺の方がもっと〝勝手〟だ」
力なく垂れていたアステロイダの手を、召喚者が握る。
「俺は仲間を手放さない」。
「目的もないのに?」
「だからこそだ」
「なるほど。たしかに我々よりずっと身勝手で傲慢です」
鼻で笑い、呆れて瞼を閉じるカトマイ。観察者ではない蛸人族は、アステロイダの肩の動きなど気にしない。
「そしてそれを邪魔するようなヤツがいれば、誰だろうと排除する」
大きく揺れていた少女の肩が、小刻みに震えはじめていることなど、気づかない。
「でしょうね。そのような短絡的で野蛮な頭脳でなければ、迷宮の前で下等種族とともにノラリクラリ〝村おこしごっこ〟なぞしないでしょうから」
ギリリ……
無言のまま額と頬に血管を浮かべたピノンが風の矢を構える。風が迸る。
ミシ。
地面に亀裂が走るほど深く足を食いこませたメリュジーヌが腰を落とす。
「二人ともやめろ」
鉄太郎が制す。
「私もそれがよろしいかと思います」
蛸人族が優雅に微笑む。
「助けて」
「?」
「お前はそう言われたら、助けにいくか?」
「相手と状況次第です」
「アステロイダが迷宮セキドイシの中で「助けて」と叫んだら、魔王を倒したいお前はなりふりかまわず助けにいくのか?」
「……」
「相手の痛みが分からない人間は、自分に都合のいいモノだけを欲しがる」。
「「「……」」」
その言葉で、堪えきれなくなったアステロイダの目から涙があふれる。
その言葉で、ピノンとメリュジーヌが構えを解く。
その言葉で、蛸人族だけが笑顔を消す。
ビキキキ……
会ってすぐ。
(人間族風情の若造が……)
自分という存在を魚網のように〝まともに括られた〟ことで、蛸人族の全身に怒りがつき走り、血管が浮きたつ。
「皇女様を永きに渡り捕えていた特異の魔物や不死の淵壱ベルゼブブを斃すあなた方を私一人で殺す……などということは到底できないと思っておりますので、実はちょっとした仕掛けをいたしました」
怒りを堪えながら蛸人族は笑みを再び浮かべる。話題を変える。
「どういうことだ?」
「ですから、病葉です」
「?」
「病葉とは端的に言えば、魚人族が陸上で活動するための結界。これをマルコジェノバの地に敷いたのは、魚人族の軍勢をもって天使の愛する召喚者全員と皇女を狙う魔物を抹殺するため」
「召喚者全員?」
「ええ。マルコジェノバ連邦最大の国家すなわちマルコジェノバ国に、このたび天使に招かれたらしき召喚者が現時点で全て揃っております。ですから天使も含めて皆殺しにするにはうってつけでしょう?」
(マルコジェノバ国に、みんないる……)
「〝逝き先〟が決まって、ようございましたね」
鉄太郎の表情を読んだカトマイがクスリと笑う。自らのほとぼりをそうして冷ましていく。
「では失礼いたします」
蛸人族カトマイはそう言ってお辞儀をする。
「ところで皇女様」
「!」
「私の父のヌクロファを覚えていらっしゃいますか?」
「ヌクロファ……覚えてる」
「ヌクロファが躾けてお渡ししたメイドイソギンチャクはまだお持ちでしょうか?」
「セキドイシで、ベルゼブブと戦って死んだ。私とテッチたちを守ってくれて、死んだ」
「そうですか。では現在これといった武器は何も持ち合わせていらっしゃらないということですね」
「……」
カトマイがお辞儀をやめて身を起こす。蛸人族の形があっという間に崩れていく。
ムチュムチュムチュムチュ……ゴキゴキゴキゴキゴキ……
「「「「!?」」」」
鉄太郎ら4人だけでなく、村人全体が眼を瞠る。
「こう見えてもヌクロファの息子です。魔物の飼育に関し、多少の心得はございます」
カトマイの声だけがどこからか響き、気づけば家の屋根ほどもあるイソギンチャク1体を背負った大きなヤドカリ1体が出現する。
「上にいる者が魔物イソダマスナギンチャク。下の者は、それと共生関係にある魔物カイナンヤドカリです。イソダマスナギンチャクは先代のメイドイソギンチャクほど有能ではございませんが、多少の役には立つでしょう。ご自由にお使いください。それとカイナンヤドカリは私が考案した移動具です」
飛びだしたカイナンヤドカリの黒い小さな目に、鉄太郎たちが映りこむ。
「一刻も早く地獄の戦場にお越しいただくための」
声の主カトマイはいつの間にか飼育魔物の隣にいる。4名に背を向けながら。
スー……
そのカトマイの体から色素が再び抜ける。真っ白に漂白され、やがて風景に溶け込む。
磯の匂いが消えていく。
「皆様さようなら。今度お会いする時は皇女様以外殺戮いたしますので、ごきげんよう」
声だけを残し、カトマイの気配は完全に消えた。




