【1】IQ178だけど、ドーナツは別腹
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天使と悪魔が出てきますが、決してシリアス一辺倒ではありません。
科学だったり、祈りだったり、ちょっぴり不思議な友情だったり……。
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ワシントンD.C.
午前8時30分。
国立分析研究所の自動ドアが開いた瞬間、屈強な警備員が声を張る。
「おはようございます。ドクター・レヴァン」
すると、入ってきた若い男――光を吸うようなエメラルドの瞳を一瞬見開き、ぷくっと口を尖らせた。
「もー!ノアでいいじゃん!いつもそう言ってるだろ?」
警備員は慌てて身を屈め、小声で反論する。
「分かってるよ!だけどなぁ、俺が『ノア、おはよう』なんて言ったら……クビなんだよ、クビ!」
ノア――本名ノア・レヴァンは、ぱちんと音がしそうなウィンクを返し、ボディバッグから小袋を取り出す。
「はい、これ。この前の夜、居残りしてた時に差し入れしてくれたお礼!めちゃ美味いドーナツだから、休憩に食べてな!」
「……あのなぁ」
警備員がため息をつく。
「ここ、監視カメラだらけなんだぞ?俺が勤務中にドクターからドーナツもらってるの、バッチリ映るだろ!」
「知ってる。けど、映っても良いじゃん?」
「警備員が仕事中にドーナツ受け取れるか!」
ノアはあははと笑った。淡いゴールドの髪がサラサラと揺れる。
「はいはい。真面目な警備員さん。じゃあ休憩室に置いとくから!」
「……時間と空気は読めよ?」
「りょーかいっ♪」
悪戯っ子の笑顔を浮かべ、ノアは歩き出す。
身長185センチのスラリとした体型、ガラス張りのホールの光を浴びて輝く髪――ランウェイモデルそのもの。
研究棟ゲートにIDをタッチするだけで、人々の視線は釘付けになり、思わず感嘆の声が漏れる。
ノア・レヴァン。20才。IQ178の天才。
飛び級を重ね、三つの博士号を持ち、国立分析研究所DNA部門の主任博士。
……だが、誰も知らない。
ノアのバッグの中身は、ジャンクフードでパンパンだということを。
研究棟の廊下。
同僚エリオット・ブレアが青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「どした?エリー?」
その呼び名に、エリオットの顔は青から真っ赤に変わる。
「僕をエリーって呼ぶなって何度言った!?女の子みたいだろ!?……恥ずかしいんだ!」
「でも、エリオットって長いじゃん。エリーで通じるし。で、何?」
「……お前、ウォーカー所長を怒らせたのか?」
ノアが小首を傾げる。
「ナディア?知らない」
「知らない、じゃない!鬼の形相で『ドクター・レヴァンをすぐ呼んで!』って僕、怒鳴られたんだぞ!?」
「ふーん。じゃあ行ってみる。……あ、そうだ!」
バッグを探り、新しいポテチをひょいと差し出す。
「スパイシーチリソース・ダブルチーズ味!めちゃ美味いから!」
「ノア!僕は――」
キラキラッ。
ノアの笑顔が炸裂。オルゴールが鳴るかのような眩しさに、エリオットは沈黙した。
ノアはそのままスタスタ去り、エリオットは袋を握りしめて脱力する。
「……僕もう27歳なのに……新作ポテチなんて……食べないのに……」
小声でぼやきつつ、自分のオフィスに戻っていった。
「おはよ、ナディア!俺に用って何?」
ナディア・ウォーカー所長はすっと立ち上がり、美貌に氷の笑みを浮かべる。
「ドクター・レヴァン。私は所長よ?“ウォーカー所長”と呼ぶのが筋じゃないかしら?それに、ノックもせずに上司のオフィスへ入るなんて、失礼極まりないわね」
「あ、ごめんごめん!エリーが『急用だ!』って焦ってたからさ〜!」
ノアは勝手にソファへ腰を下ろす。
「ノア!あなたIQ178の天才でしょ!?礼儀は脳に刻まれないの!?」
「知ってる。でもさあ、礼儀なんて発揮する場面を選べば十分でしょ?学会とか講義の時は完璧じゃん、俺」
「……っ、正論ね。けれど――」
ナディアはワンピースの裾を翻し、ヒールで優雅に歩み寄る。
「あなた、リオに連絡を返してないんですってね?電話もメールも無視?あの子、今朝泣きついてきたのよ!」
ノアが「ん?」と首を傾げ、弾けるように笑う。
「あー!リオからの野菜ね!」
「そうよ!アメフト界のスターで、将来プロ確実のリオ・レヴァンが!忙しい合間を縫って、あなたの健康を気遣ってるのに!全部私がありがたく頂いてるの!でも彼はあなたに食べて欲しいのよ!」
「リンゴは好きだよ?食べてるし」
「だ・か・ら!」
ナディアのこめかみに青筋が浮かぶ。
「食べたなら感謝を伝えなさい!メールでも一言くらい――なぜ今週は完全無視なの!?」
ノアはにこっと微笑む。
「ナディア知ってるだろ?今週届いた新型DNA解析器。俺も開発関わったやつ。夢中になってたら連絡忘れてた。リオなら“ありがと”って思ってるのは分かるし。……それに電話に出たら1時間は切れないだろ?時間、もったいないじゃん」
「……はあぁぁ……」
ナディアはこめかみを揉み、深呼吸する。
「リオはスターなのよ。スポンサーに囲まれて多忙の中、あなたのことまで……って、コラー!話の途中でお菓子食べるな!」
「だって腹減ったし。ナディアの話、長いんだもん」
ノアは立ち上がり、肩をすくめる。
「リオには“サンキュ”って送っとく。じゃ、論文チェックしたいから出るわ」
「……どうぞ……」
ナディアは脱力し、デスクへ戻る。
去り際のノアは振り返り、片目をつぶった。
「今日のワンピ、マジ似合ってる!じゃあな!」
開けっ放しのドア。
ナディアはハーッと天を仰いだ。
――こうして、研究所の朝は今日も騒がしく始まる。