菫の妃
……アルセルの最期は以下のようなものだったと伝えられている。
アルセル最期の日の晩に訪れたのは、菫の妃の部屋だった。
アルセルと菫の妃が顔を合わせるのは、その初夜以来のことであった。
その初夜も形だけのものであり、菫の妃とのあいだに性交渉はなかったと伝わる。
それが事実であるかは不明だが、菫の妃が一度としてアルセルの子を懐妊しなかったことは事実である。
菫の妃はアルセルから特別の寵愛を受けていたわけではなかったこともまた、伝わっている。
そんな菫の妃の部屋への突然の訪問は、臣下たちからは止められたそうだが、アルセルはその制止を振り切った。
そのころのアルセルは、正妃である薔薇の妃が心労で倒れたことで、憔悴した様子だったという。
またアルセルも薔薇の妃同様に、身体の不調を訴えていたが、原因はわかっていなかった。
先立って毒殺未遂事件があったので、その後遺症ではないかと言われていたようだが、アルセルは納得していなかったと伝わる。
そんな中で、アルセルは菫の妃の部屋を訪れたが、この両者のあいだでいかな会話がなされ、なにがあったのかは詳らかではない。
それはアルセル自身が望んで、菫の妃の侍女や、自らの小姓らを菫の妃の部屋から遠ざけたためである。
人払いがされてからしばらく。
午前一時をすぎたころに菫の妃の悲鳴を聞きつけ、はじめにアルセルの小姓が部屋に踏み入ったという。
菫の妃の部屋に置かれたカウチソファで、アルセルは絶命していた。
巷説に言われる、いわゆる「腹上死」というものであったのかは定かではない。
しかしアルセルが菫の妃の部屋で最期を迎えたことだけはたしかである。
ゆえに同時代にも「アルセルは側妃の部屋で腹上死を遂げた」とまことしやかにささやかれたことは、史料にも伝わっている。
この噂は薔薇の妃の耳にも入り、心労により衰弱していた彼女は、失意の中、アルセルの後を追うように亡くなったという。