石楠花の妃
……もう勘弁してください。
あのお話は……もう。
二度口にするには、恐ろしすぎます……。
あたしがお話したことは、あれですべてです。
知らないんです。本当に……。
石楠花の妃さまが、蘭の妃さまに毒薬を渡したことは……本当にあのときまで、あたし、知らなかったんです。
石楠花の妃さまが、あの毒薬をどこで手に入れられたのか。
……その解毒薬をどうして持っていたのかも。
あたしはなにも知りません。
……はい、あたしが石楠花の妃さまの下女になったのは、霞草の妃さまがちょうどご懐妊されたころのことです。
でも、霞草の妃さまは……亡くなられて。
お腹のお子も同じように……いたわしいことです。
……けれど蘭の妃さまは喜んでいらっしゃいました。
蘭の妃さまが霞草の妃さまを敵視していらしたことは……きっとあなたもご存知でしょう。
けれど先に霞草の妃さまが懐妊されて……。
……ええ、そのころの蘭の妃さまの荒れぶりは、思い出したくもありません。
石楠花の妃さまは、そのう、なんと言えばいいのか……影が薄くて、大人しい方でいらっしゃいましたでしょう?
そんな方でしたから、蘭の妃さまには侮られて、都合のいいように使われている……と言えばいいのでしょうか。
蘭の妃さまはきつい方でしたから、大人しい石楠花の妃さまは言いなりでした。
石楠花の妃さまのご実家から送られてきた品々は、ほとんどすべて蘭の妃さまのものになっていたんですから。
……けれども、どんな仕打ちをされても、石楠花の妃さまは憂鬱そうな暗い顔をするだけで……。
とても綺麗な方だったんですけれど……でもきっと、そんな方だったから、蘭の妃さまは気に入らなかったのかもしれません。
それで……あの毒薬は、石楠花の妃さまのご実家から送られたものではありません。
ご実家からの品は、あたしたち下女が開封しますから……あの毒薬を石楠花の妃さまがいつ手に入れられたのかは、わからないんです。
本当です。神に誓って、あたしは嘘をついていません。
本当に、あの毒薬はいつの間にか石楠花の妃さまが持っていらして……それで、あんな恐ろしいことが。
……蘭の妃さまが奪ったんです。
石楠花の妃さまが持っていた薬瓶……。
蘭の妃さまが瓶を奪って、「これはなあに?」と石楠花の妃さまに聞いたんです。いつものように。
すると石楠花の妃さまは少しためらって、「媚薬です」とお答えになられました。
……ええ、覚えています。
石楠花の妃さまの持ち物はあたしら下女が把握していますから……どこで媚薬なんて手にしたんだろうと、不思議に思って。
でもそのときは深く考えませんでした。
きっと、他のお妃さまからいただいたものなんだろうと……深く考えませんでした。
ああ、お許しください!
まさか、その媚薬を蘭の妃さまが陛下にお使いになるとは思わなかったんです!
それが……それが……まさか媚薬ではなく、毒薬だったなんて!
あたしら下女はひとりとして知りませんでした!
……はい、はい。
石楠花の妃さまは……陛下が危篤になられたと、毒を盛られたらしいと、その犯人が蘭の妃さまだと聞かされて……大変動揺していらっしゃいました。
そして……解毒薬をあたしに届けさせたんです。
本当です!
あたしは媚薬が毒薬だったことも、あの解毒薬のことも、なにひとつ知りません!
本当に……本当に……!
……本当に、石楠花の妃さまが蘭の妃さまをうまく使って、陛下に毒を盛らせただなんて……本当なんですか?
石楠花の妃さまはお気の弱い方でした。
でもそんな、大それたことを仕出かすようなお方だったとは……。
……蘭の妃さまが処刑されたとお聞きになった石楠花の妃さまのお顔……あんなに青白い顔は、見たことがありませんでした。
可哀想なくらい震えて、怯えておいでで……。
それで、それで……。
……石楠花の妃さまを最後に見たのがあたしなんですってね。
石楠花の妃さまは蘭の妃さまが処刑されたとお聞きになってから、寝室で臥せって、ちっとも出てきませんでした。
あたしら下女とお会いになることも厭われて……いえ、どこか怯えておいでで……。
……あの日、寝室からくぐもった声が聞こえてきたんです。
あたし、石楠花の妃さまが心配になって……いけないことだとは知りつつも、寝室の扉を少しだけ開けて、中の様子を見ました。
石楠花の妃さまは、床に膝をついて、両手を握り合わせたお祈りのポーズをしていました。
石楠花の妃さまは……「おゆるしください」、「おゆるしください」、と。
それから……「差し上げますので」、と繰り返しておりました……。
あたし、なんだか恐ろしくって……見なかったことにしました。
でもまさか、あれが最後に見た石楠花の妃さまのお姿になるとは……思いもよらず。
……冷たくなって亡くなっている石楠花の妃さまを見つけたのは、あたしの同僚です。
悲鳴を聞いて駆けつけたら、石楠花の妃さまは寝間着のまま、床に大きく手足を伸ばして倒れていらして……。
ひと目で、亡くなっていることがわかるお顔の色でした。
かっと目を見開かれて。けれどもまたたきひとつしなかったので……。
……そのあとのことは、あなた方のほうがよくご存知のことでしょう。
……もうこの話はこれで勘弁していただけませんか。
なにもかもが……恐ろしすぎます。
この後宮はおかしい。