朝顔の妃
……「語り呪い」という、ある一地方に伝わる呪術をご存知ですか?
もとは病の平癒を祈願するための儀式だったそうですが、時代がくだるにつれて「まじない」から「のろい」へと変容していったと言われています。
ではどんな呪術かというと、「語り呪い」と呼ばれる通り、呪いたい対象にどのように苦しんで欲しいか、口頭で詳述することにより、実際にその口に出した通りに相手が苦しむ、というものだそうです。
一種の言霊ですね。
もちろん、これは力のある、たとえば巫女の家系の女性など、霊的パワーのある人間でなければ成功しないと言われています。
当たり前ですが、力のないひとが「語り呪い」をしようとしてもほぼ失敗します。
ただの恨み言、負の願望を口にしただけに終わります。
また「語り呪い」は「語る」ことが重要だそうで、単に相手の名前を口にすると共に「死ね!」などと言っても相手は死なないそうです。
「語る」つまり「詳述」することこそが肝要で、相手がどのようにじわじわと弱り、死に至る過程をいかに細かく表現できるか、それを「語る」技量が問われる呪術なんだとか。
なかなか難易度が高いですね。
しかもこの「語り呪い」、呪いたい相手の目の前でやらないといけないらしいです。
自分がじわじわと死にゆくさまを語ってくる人間を前にして、大人しく最後まで聞いていてくれるひとっているんでしょうか……?
縛り上げたりなどのひと手間が必要そうですが、それならば呪いなどに頼らず、実力行使したほうが早いと思うひともいそうですね。
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いやはや、呪いを成就させるためのハードルというのは、どうやったって高くなるもののようです。
さて、そのようにハードルが高すぎる「語り呪い」。
昔むかし、この「語り呪い」をして実際にひとを呪い殺そうとした女性がいたそうです。
その女性はとある国のとある後宮に入れられ、そこで「朝顔の妃」と呼ばれていたそうな。
朝顔の妃は見目麗しく聡明な女性だったと伝わっていますが、寡婦……つまり、夫を亡くした女性だったそうです。
しかもその亡くなった夫とのあいだには娘がひとりいて、なんと特別に許されて、後宮で共に暮らしていたんだとか。
母親が「朝顔の妃」と呼ばれていたので、その娘は「朝顔姫」だなんて呼ばれていたらしいです。
後宮に唯一出入りできる男性である王さまは、この母子をあわれんで一緒に暮らせるように取り計らったようなのですが……朝顔の妃はこの王さまを「語り呪い」で殺そうとしたのです。
朝顔の妃は、不幸にも事故で若くして亡くなった前夫を愛していた。
この時代にしては珍しく、恋愛結婚だったとか。
彼が死してなお、その愛が尽きることはなく、ゆえに後宮入りは朝顔の妃にとっては大変不本意なものだったことでしょう。
まだ前夫への愛があるのに、周囲は寡婦でいることを許さず、無理やり後宮に入るよう謀られたとか。
最愛の娘である朝顔姫とも引き離されるところ、王さまはあわれんで朝顔姫も後宮で暮らせるようにしてくれたそうなのですが……。
朝顔の妃にとって、どのような情けをかけられようとも、王さまは憎い存在だったようです。
朝顔の妃は望まず、王さまの妻のひとりになってしまった。
それはまだ前夫への気持ちがあった朝顔の妃にとって、耐え難いことだったことは想像に難くありません。
ゆえに朝顔の妃は、王さまへ「語り呪い」をすることにしました。
娘の朝顔姫を使って。
人形を使って練習をしたそうです。
人形を前にして、朝顔の妃は朝顔姫に「語り呪い」を教えたそうです。
まだ幼かった朝顔姫は、母親に教えられるまま「語り呪い」の練習をしたそうです。
朝顔姫の当時の年齢について、後世には伝わっていませんが、「幼年にしては口が達者だった」と同時代に記述があります。
やがて朝顔姫は「語り呪い」によって、カゴに入れられたネズミを呪い殺したそうです。
しかしそれを目撃した使用人によって、朝顔の妃が王さまを呪い殺そうとしているという密告があり、朝顔の妃は牢に入れられました。
ところでその国の国教では、自殺は大罪なのだそうです。
自ら命を絶ったものの魂は、死後地獄へ行くのだとか。
朝顔の妃の動機はそれではないか、と推察している方がいらっしゃいました。
……亡き夫のもとへ、つまりあの世へ行きたいが、自殺をしては地獄に行くことになり、夫には会えない。
ではどうすれば夫のもとへいけるのか。
その答えが、一連の呪殺騒動だという説です。
朝顔の妃は、王さまを呪い殺そうとした罪により、婚姻無効とされたのち、処刑されました。
婚姻は解消されたため、だれの妻でもない身の上で、朝顔の妃はあの世へいけたわけです。
娘の朝顔姫は幼年のために罪を赦されたと記録にあります。
同時代人の記録によると、こののち後宮を出された朝顔姫は母方の親戚に預けられ、生涯独身を貫いたとあります。
みなさんもご存知かと思いますが、この王さまには子孫がなく、現在では王朝は断絶しています。
後宮もとっくになくなって久しいのですが、朝顔姫と呼ばれた女性は、後宮にいたころについては生涯で一度も語らなかったそうです。
ところでこの「語り呪い」、実は最初に挙げたもの以外にも制約が存在するんです。
それは、「語り呪い」は生涯に一度しか使えない、というものです。
ですから必要以上に「語り呪い」の存在を恐れる必要はないと私は思っています。
そしてこの制約が、上で述べた朝顔の妃の真の目的を語っているのだと推察されているわけです。
朝顔の妃がこの制約を知らなかったとは考えにくいわけで、そうなると朝顔姫にただのネズミ呪い殺させたのは、自身が処刑されることが目的だった……。
あるいは、朝顔姫に「語り呪い」を人間に対してして欲しくないという気持ちも少なからずあったと、私は思いたいです。