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「ま、合格点ってとこか。お疲れ」
「長かったぁ……」
脱力で、思わず床にへたり込んだ。
収録ブースと称した元喫煙所は狭く、カラオケの狭い一室くらいだろうか。平均身長の自分と超小柄な虎尾さんの二人が座るだけで、もうかなり狭い。
壁に敷き詰められた防音材により外部の音を完璧にシャットアウトする小部屋だが、喫煙所であった名残か、ほのかに煙草の残り香を感じる。
普段この部屋を使うのはみにえると過去には光コウくらいのもので、リンライク所属のVTuverであってもここを使うことはなく、自宅であったり親会社にある収録ブースを使っているらしい。なおこの部屋は、父速水有志が5年前DIYで作り上げたそうだ。
「……でも、ホントに出来るようになるもんだね」
「だから言ったろ。そもそもお前みたく脳にみにえる飼ってるようなオタクじゃなかったら最初から声掛けなかったしな」
「脳にみにえる……」
でも確かに前までは居たなぁ。困った時に脳内のみにえるが語りかけてくれたり配信で言ってもないことを喋ってくれたり……。
みにえるの中身が父と知ってからも、みにえるならこう喋るだろうな、というのを想像するのは容易い。声を聞いてきた時間が、妄想してきた時間が違うのだ。
本日は4月9日。みにえるが居なくなって、3か月と少しが経った。
流れるように高校を卒業しリンライクに入社することになったが、結局1月からほとんど高校に通うことはなく、東京にあるリンライクのオフィスに通っていた。
高校3年生の冬にほとんど出席義務はないし、大学にも行かないなら高校を卒業出来れば充分だったのだ。
「色々企画貯めて来たんだろ?」
「……うん」
「前も言ったが、みにえるはリンライクにおける実験機だ。企業所属を明言してないから、何をしても許される存在。それをこれからお前がコントロールすんだ」
「責任重大だなぁ……」
「あと話してなかったが、ウチの機材使った配信なら、ライブに3秒のラグがある」
「3秒?」
「あぁ、性格には3.217秒。完全なリアルタイム配信にも出来るが、あえてラグを残して配信してる。この3秒で何が出来ると思う?」
「……放送事故防止?」
「正解」
ニヤリと笑った虎尾さんは、俺の腹を小突く。この人の感情表現って割と物理攻撃なんだよね。突っ込みで鳩尾とかよく狙ってくる。
以前五十治さんが「とらおさんって感情表現が小学校で止まってるんだよねー」と言ってたのはまさにその通りで、なんというか言葉は大人らしいのに行動は子供っぽいのだ。
「マネージャーの一番重要な仕事は、一秒たりとも目を離さず担当のライブ配信を見守ること。ただみにえるにマネージャーは居ねえから、ぶった切るのはアタシの役目だな」
「……よろしくね」
「一言でもミスんなっつってんだよ」
「はーい」
撮影ブースの機材を軽く片付け出ると、事務所には数名の社員が居た。
高校在学中から3か月も通っていると、流石にもう顔見知りになった社員も多いが、テレワークで出社していない社員の方が多いらしく、未だ半分以上の社員に会っていない。
「とりあえず企画発表して、採用されたやつでどう動画を作ってくか詰める。ウチで使える良い企画あったら所属Vに投げても良いしな。ま、そこはアキラと相談して決めろ」
「え? 虎尾さんは?」
「音響に意見求めんな。企画はアタシの仕事じゃねえよ」
「……寂しいなー」
「うるせえ」
尻を蹴っ飛ばされた。ちょっと痛い。
虎尾さんが「ユーシみたいなこと言いやがって」なんて呟いてるので、たぶん父も同じような距離感で接していたのだろう。なんとなく、想像出来るな。
3か月間、最後の高校生活すら満喫せず何をしていたかと言うと、ひたすら収録ブースに閉じこもってみにえるの真似をすることだった。
声をみにえると同じにすることは出来た。だが、同じ声になったところでみにえるを演じられるわけではない。
みにえるのすべての動画を繰り返し見てきた経験、それに加え自身の配信経験もあったが、みにえるの再現はそう簡単なものではなかった。
声から漏れる独特な空気感――みにえるに一番重要なその要素は、生半可な練習で習得できるものではなかったのだ。
毎日みっちり8時間、みにえるの動画を見て勉強するほかは、ひたすら声出し練習。
次第にみにえるならこんな時こういう声の出し方をするな、というイメージを持てるようになり、そこからは早かった。
今では、みにえるの投稿動画アーカイブから抽出して作った文字だけの台本からみにえる喋りをすることも出来るようになったし、過去に一度も喋ってないオリジナルの話をすることだって、まぁ少しくらいなら出来るようになってきた。
正直かなりキツかったが、自分が段々とみにえると一体化していくような感覚は、きっと嘘ではない。声だけ一緒だった大天使が、少しずつ自分の血肉へと変わっていくのだ。この感覚が心地よくなくて、何なんだ。
「お疲れ。今時間あるか?」
「おー、エイト君もとらおさんもおつかれー。その表情……終わったね?」
「なんとか合格点貰えました……」
「まだゼロから喋ることは出来ねえがな。最初に話す内容決めときゃライブ形式でもなんとか30分持つくらいにはなったぞ」
「うんうん、3か月でそれは大したものだよ」
オフィスカジュアルと呼ぶのだろうか。少し綺麗めな格好をしたこの女性が、リンライク社長の光野晃さんだ。
どうやら過去にアイドル活動をしていたらしく、ルクス・エンターテイメントは彼女の実の父親が作った会社らしいが、詳しい話は聞いてないしウィキにも書いていなかった。
あとなんとなくセンターみたいな自信のある顔をしている。センターかは知らないし、当時の芸名も知らないんだけど。
「とりあえず、とっととみにえるの活動再開するためにもまずは企画発表だ。前アタシに話したみたいにすりゃいいから、浮かんでたの全部話してみろ」
「う、うん」
そこからしばらく、3か月の間に考えた動画のネタを社長に発表する。
やりたいゲーム、動画やライブ配信の方向性、これからやってみたいこと――みにえる喋りが習得できるまでに余った時間で考えておけと言われていた企画発表は、これからの仕事の役にも立つ。何せ、リンライクには父と同じ企画職で雇われているからだ。
自ら作り上げたバ美肉VTuver『紀伊モロロ』では使えなかったネタや、キャラクターイメージの問題で触れなかったゲームなどはいくらでもあったし、業界最大手の話を聞くことで様々な刺激を受けた。まだ所属VTuverには会っていないが、特段会いたいと思っているわけではない。いや、光コウの中の人には会ってみたいけど。
「ねぇその、放送事故計画ってどういうの?」
「あ、はい。これはちょっとリスキーなので無理かなーと思ってたんですが……」
「話してみてよ」
「……去年、海栗塚ぼたんの放送事故あったじゃないですか」
「「あー……」」
「あれ見て、思ったんですよね。中の人が可愛ければ炎上せずに、むしろ集客プラスになったんじゃないかなって」
リンライクがVTuverプロデュース企業最大手なら、二番手は『リライズ』だと大体のファンは考える。リライズは所属VTuverが現時点で300人を超えているが、特徴といえば『ゼロからではないプロデュース』に集約されるだろう。
完全にゼロからVTuverを生み出すリンライクに対し、リライズは既にVTuverとして活動している人を積極的に採用し、時には新たなガワを与えて活動させ、時には元の名のまま活動させる。
オフラインイベントを頻繁に企画し、内部ファンにではなく外部ファンへの訴求力を高めていく――そうやって大きくなってきた企業だ。
しかし、昨年、業界を震撼させる炎上騒動があった。リライズ所属VTuverの中では上位5位に食い込むほど人気だった『海栗塚ぼたん』というVTuverが、ライブ配信の終了間際に放送事故を起こしたのだ。
それは、VTuverが最もやってはいけないこと――リアルの顔出しである。
美少女アバターで喋っていた人気VTuverの正体が、体重100kgはあろうかという力士体型の女性だったというだけで、失言などをしたわけではなかった。
――が、それはVTuverにとっては致命的であった。年間数億稼いでいたと言われている海栗塚ぼたんはそれから数日のうちに引退を宣言し、表舞台から姿を消した。
「まぁ確かに、一番顔出ししちゃいけないタイプだったよね」
「みにえるみてえに男だったらまだマシだったのかもなぁ」
「うんうん、正直、イメージ商売をやってる以上、あれは一番避けないといけない事故だね。でもどうやってそれをイメージ戦略に持ってくの?」
「ニコ生出身のVTuverとか、元から顔出してる人もたまに居るじゃないですか。でもああゆうのって可愛いから許されてるんですよね」
「そうだねぇ」
「……居るんですよね、ここに。誰が見ても美少女の人が」
「居るねぇ」
「……………は?」
俺と光野社長の目が、虎尾さんを見た。
「みにえるがバ美肉って確信してる人は、少なくともファンの中には居ません。たまに『恋歌みたいな声』って言われることありますが、大した数じゃないです。つまりみにえるは、30万人超えのチャンネル登録者数を誇っていながら、バ美肉ということをファンに気付かれていない――ということになりますよね」
「うんうん」
「そのみにえるの中身が、実は美少女だった――って感じなんですが、どうでしょう」
「採用っ!!」
「おい待てお前ら何言ってんだ!?」
「虎尾さんを人身御供にしようかと」
「すんじゃねえ!!」
脛に思い切り蹴りを入れられた。流石に痛い。でもこれ、社長が話せって言ったし、虎尾さんが炎上はビビらず企画は作れって言ったから考えただけなんだよ。
実際、虎尾さんが美少女なのは間違いない。それは誰の目にも明らかだろう。
いかにもオタク受けしそうな黒髪ロング、低身長、大きな瞳に小さな顔。そしてコロコロ変わる表情――どれをとっても美少女なのだ。まぁ中身は随分とアレだが。
「もうちょい詰めよっか」
「アタシの許可は!?」
「えー、楽しそうだし良いじゃん?」
「良かねえ! 他人をVTuverの中の人に仕立て上げようってんだろ!? そんなん常識的に考えて――」
「やったよね」
「やりましたよね」
「…………やったな」
そう、虎尾さんには前科がある。速水有志の代わりに、息子である速水英人をVTuverに仕立て上げるという前科が。
そういうの、さ。跳ね返したいよね……っ!
「声はどうするの? 一瞬映すだけだったらあんま話題にはならないと思うけど……」
「……それも考えがあります。まず最初の配信を使って――」
まさか採用されるとは思っていなかったが、虎尾さんへの復讐を込めてかなり細かく考えていた企画であった。悪ノリと言っても良いよ。
2時間ほどかけて企画を練り上げ、罪悪感を利用して虎尾さんを担ぎ上げ、断れない空気を作り上げた。
そして、復帰配信の日。それが、みにえる伝説の幕開けとなった。