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5分ほど待ったろうか。沈黙に耐えられず質問をしてみたが、遮音性の高いヘッドホンなのかただ無視されているだけなのかは分からないが、少女は一度も返事をしなかった。
永遠とも思える時間をじっと待っていると、「うし」と声を漏らした少女がこちらにヘッドホンを渡してきた。
「聞いてみろ」
「は、はい」
耳に当てる――ほんのり温かい――が、問題はそこではない。
『あなたはいったいぃ、どちらさまなんでしょうか~』
――その声を聞いた瞬間、一滴の涙が零れた。もう一生新規ボイスが聞けないと思っていたみにえるが、確かにそこに居たからだ。
いや、待て。居ない。居るはずがない。だってみにえるは、もう死んだのだから。
「みにえる……?」
「いやお前だよ」
「え、でもこの声……」
「声質がユーシと似てたんだろうな。思ったより調整は楽だったぞ」
「これ俺の声ってこと!?」
「そうだが? さっき自分で言ったことも忘れたか?」
「え、いや、そういうわけじゃないけど、え?」
リピート再生されているその声は、どう聞いても最推しのVTuver、大天使みにえるの声にしか聞こえない。これまで何千と聞いてきた、親の声より聞いたみにえるの声だ。間違えるはずがない。
だが、どうやらそうではないらしい。みにえるはバ美肉であり、正体は俺の父親である速水有志であり、そして何よりこの声は、速水英人――俺の声だ。
「『恋歌』使えばみにえるの声が作れたってこと……?」
「いや? 男女みたいに全く違う系統の声だったら無理だろうが、声の系統が似てれば不可能じゃない程度だな。お前が違和感ないってことは、まぁ大丈夫だろ」
「合格点も何も、みにえるにしか聞こえないんだけど……」
「そりゃそうだ。誰が加工してると思ってんだ」
「…………誰?」
いや、ホントに誰だよお前。なんとなくだけど、見た目通りの小学生じゃないってことは分かったよ。顔も声も可愛いのに何故か全然若く見えない。どういうことだろ。
「ほら」
少女が雑にリュックから取り出して手渡してきたのは、一枚の名刺だった。
『株式会社リンライク 音響班主任 虎尾ちえり』――そう書かれている。
「…………は?」
「それ以上に説明要るか?」
「いやいやいやいやいやいや!? どういうこと!?」
「どういうことって、そういうことだよ」
「いや違くて、リンライクってリンライクのリンライクだよね!? なんでそこの人が俺んち来てんの!?」
「要件は最初に言ったろ? みにえるの中の人やれって」
「え、いや、確かにそれは聞いたけど……?」
『株式会社リンライク』、VTuverが好きでその名を知らない人は居ないだろう。
何せ、日本どころか世界でも最大手のVTuverプロデュース企業だ。
所属VTuverは40人に満たないにも関わらず、年間売上高は200億を軽く超える化け物企業、それがリンライクだ。
リンライクからデビューすると一人で億を稼ぐのは基本と言われるほど絶妙なプロデュース力と企画の多様性、そして何より業界最大手のブランド力によって、VTuverの地位を確固たるものとした企業である。
「……みにえるとリンライク、なんか関係あるの?」
が、しかし問題はここだ。そもそもみにえるは企業勢でなく根っからの個人勢である。過去に一度として企業所属になったことはなく、そんな話をしたこともない完全なる個人。中の人が亡くなったとはいえ、あっさり休止宣言をしたのもその証拠だ。
「あるに決まってんだろ。リンライクの親会社がどこかも知らねえのか?」
「……ごめん全然知らないんだけど」
「ウィキ見ろ。代表取締役誰になってる?」
「え? ……この、光野晃? って人が何?」
「その名前でググれ」
「『ルクス・エンターテイメント』創業者の娘……って、ここ芸能事務所とかやってるとこだよね、好きな声優居るから知ってるけど」
「ルクスのIR見りゃ分かるが、リンライクはルクスの完全子会社だ。で、お前の親父――速水有志もそこの社員。5年前から出向でリンライク社員扱いになってたがな」
「…………つまり?」
そんなこと言われても、会社事情とか分かんないよ! リンライク所属VTuverは好きだけど会社そのものまで調べたことはないから、これが常識なのかも分からないし、だから何と言われても全然分からない。だから何よ!
「ちったぁ自分で考えろ。みにえるのデビューはいつだ?」
「2017年12月30日」
「覚えてんのかよキモ」
「ファンにキモいとか言わないで!?」
「じゃあリンライクの創業は?」
「えーと、2017年12月1日。うんうんそれで?」
「リンライクは、ルクスがVTuverをプロデュースするために作った子会社だ。んで、とりあえずVTuverってモンがよく分からなかった出向社員3人が、実験機として一人のVTuverを作った」
「……それが、みにえるってこと?」
「そういうこった」
「えぇー……」
初耳にも程があるよ。というか、それ企業所属どころか完全に企業人じゃねえか。どういうことだよ父さん!
「みにえるがリンライク所属ってことになってなかったのは、会社としてプロデュースしてないから。それだけだ。まぁ当時はプロデューサーもマネージャーも居なかったしな。みにえるの運用でノウハウ覚えて、『光コウ』を最初の一人としてプロデュースした企業――それがリンライクだ」
「……マジか」
「マジだよ。ちなみに『光コウ』もルクスの元社員だぞ」
「仕事でやってたんだ……。実は光コウもオッサンだったりしないよね?」
「しねーよ。リンライクでバ美肉してんのはみにえると6期生だけだ」
「……それ聞いてちょっと安心したよ」
『光コウ』――それはリンライクを伝説にしたVTuverだ。
たった一年という短い期間しか活動していないが、チャンネル登録者数は300万人を超え、過去にアップロードされた動画はどれも数千万再生されている伝説の配信者。
今から5年ほど前、まだVTuverというものが生まれたばかりの頃に無名企業、リンライクの一期生として地味にデビューを果たした彼女は、歌手顔負けの歌唱力と芸人顔負けのトーク力、今は一般的であるライブ2Dのトラッキング――アバターに動きを付けること――の第一人者として活躍した。
彼女はVTuverそのものを社会に浸透させた、まさに歴史を作った存在だった。
引退は惜しまれたが、元々一年限りの活動と発表されていたので驚きの声は少なかったらしい。その頃はまだVTuverを見てなかったので、詳しくは知らないが。
「知ってると思うが、『恋歌』はトーク用のソフトじゃねえから調整めんどくせえんだよ。今はバ美肉用のボイチェン多いからお前みたいにそっちでデビューするんだろうが、当時はそんなのなかったからな。既製品流用するしかなかったんだよ」
「……なるほどね。だからそれで俺の声がみにえるになったってわけ?」
「まーそういうこった。だから別のボイチェンじゃ無理だな」
「でも恋歌って安かったから一度使ったんだけど、そんな美少女声にならなかったんだよね。なんかコツとかあるの?」
「コツ? んなもんねーよ。見ろコレ」
少女が見せてくれた画面は、声の波形を確認するソフトだ。ボイスチェンジャーソフト『恋歌』から出力された音声をそこに載せて波形を確認している――そこまでは分かるのだが、そこから先が分からなかった。どうしてこんなソフトを使っているのだろう。
「……これは?」
「みにえるの音声パターン抜き出して、それとお前の声が同じ音になるまで『恋歌』のピッチ変えてるだけだ」
「耳で聞いて調整してるんじゃないの!?」
「人の耳はそんな上手く出来てねえよ。自分の中で同じに聞こえても、機械通せば全然違う。逆に言うと、機械通して同じ音になったならほぼ同じ声だな」
「……科学の力ってすげー」
「こんなもん20年前にはあった技術だぞ」
「…………実はすごい人だったりする?」
「ったりめーだろ。誰がみにえる作ったと思ってんだ」
「そうでした……」
「こちとらボイチェンVが主流になる前からオッサンの声が偶然美少女に聞こえる奇跡みてえな音探して配信やってんだ。素人とは経験値がちげーんだよ」
自慢げに胸を張って言われたが、やっぱり小学生かそこらにしか見えない。でも確実に違うよな、さっき普通に会社の名刺持ってたし。年齢聞きたい気持ちもあるけど、女性に年聞くの失礼って言うしなぁ。
「で、話戻すが。みにえるの中の人やれよ」
「そういえばそんな話だったっけ……」
「さっきは喋り方まで変えたが、そんなん一々してたらライブ配信は無理だ。とりあえず自力でみにえる喋り習得して、それに声合わせて、投稿からだな」
「えーと、俺が父さんの代わりにみにえるの中の人になるってことだよね?」
「そう言ってんだろ?」
「…………良いの?」
「良いも悪いもねーよ。VTuverの中の人が変わっちゃいけないなんて法律はねえ」
「いやそれはそうだろうけど……」
「名誉毀損罪がワンチャンあるが、故人なら訴える奴も居ねえ。みにえるについて知ってんのは社員でも数人だからな。当たり前だがウチで受肉してるVは知らねえし」
「そういえばみにえるのコラボ相手って個人勢ばっかだったっけ……」
「あぁ。だからまぁ、バレなきゃ問題ねーよ」
「ねぇやっぱそれ、バレたら問題だよね?」
「だろうなぁ。炎上してリンライクの株価がダダ下がりしてルクスまで波及して所属V何人も引退することになるかもしれねぇなぁ?」
「…………」
あまりに責任が重大すぎる。こんな軽く振られることじゃないだろう。
そもそもVTuverの中の人が代わるなんてことが前代未聞だ。顔を出さないから不可能ではないとはいえ、普通は声でバレるし炎上しないはずがない。個人勢なのを隠している企業人で、かつそれを知ってるのが数人だとしても――
「一つ、質問良いかな」
「答えられる範囲ならな」
「……もうそれ、引退で良かったんじゃない?」
自分で聞いておいて、ズキリと胸が痛む。
それは、大好きだったVTuverがこの世から居なくなるということだから。ファンの目線でいたら、たまったものじゃない。
中の人がバ美肉している父親で、内情まで知ってしまった今は少しだけ違った目線で見れるけど、それでもこの状況は引退させるしかないと考えてしまう。
みにえるは、VTuver黎明期から活動していることもあり知名度はそれなりに高いが、企業所属の有名VTuverほどチャンネル登録者数が多いわけではないし、トレンドに上ることもまずない。あくまで個人勢の中では有名な方といった程度だ。
つまりそれは、中の人を挿げ替えてまで存続させないといけないほど有名なVTuverではないということ。
「ま、普通ならそうだろうな」
少女はあっけからんとした様子でそう返す。
やっぱり、そうじゃないか。ならばどうして死んだ人を生き返らせようとしているのか。それもこんな、息子を後釜に据えるなんて無茶な方法で。
「じゃあお前は、みにえるが活動休止を発表した時どう思った?」
「……そりゃ、悲しかったよ」
「全てを失ったみたいな喪失感を覚えたか?」
「……うん」
「アタシらも一緒だ。なんならリンライク初期メンにとって、みにえるっつーのは会社そのものより大切な存在だった。自分らで作った子供みたいなもんだからな」
「それは……」
そうか、彼女らにとっては、そういうことになるのか。
何も知らないところから、たった三人で作り上げたVTuver。
有名であったかとか、大金を稼いだとか、そんなのは二の次なのだ。
自分たちで作り上げたものを、捨てたくはなかった。親が子を捨てないように、慈しみ、愛情をもって育ててきた大天使みにえるという存在を、失いたくない。
――ただ、それだけの話だった。
「みにえるが失われたのは、この世界における喪失だ。違うか?」
「……違わないよ」
「だろ。理由なんてそれ以上に必要か?」
自信満々にそう告げられ、納得してしまいそうになる。
もし冷静なときに落ち着いて聞けば、居なくなった人間の代わりになるなんて、おかしな妄想だと一笑出来ただろう。
――だがしかし、この場に一人として冷静な人間は居なかった。
みにえるが活動休止を発表したあの日、それまで自分の中にあった世界は、足元から崩れるように失われた。あの世界は、もう二度と取り戻せない。
だから、作るんだ。新しい世界を。
自分たちを納得させる、ただそれだけのために。