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養成所でのボイトレを始めてから、9日が経過した。
トレーニングに通っている若手やアイドル達は学生であったり社会人であったりも多く、土日にも普通にトレーニングがあったので休日返上して普通に通っていたが、日曜の夕方に偶然ルクス本社ビルで会ったかなめさんに「土日は来ないでも良かったんじゃね?」と言われたので虎尾さんにメールで確認をしたところ、「は?」と短文で返事が来て心が折れそうになった。ラインじゃないんだからせめて文章で返して欲しい。
そのまま月曜を迎え、早朝にアパートを出て寝惚け眼を擦りながらルクス本社ビルに向かっていたところ、クラクションの音が聞こえたので振り返る。
「あー……虎尾さん、おはようございます」
そこに居たのは、社用車に乗った虎尾さんである。
身長130cm少しの虎尾さん用に改造してある社用車なので、他の社員は誰も乗りたがらないらしい。っていうかクラクションで人呼ぶのすげーガラ悪いな。
「おはよ。乗れ」
「えぇ……」
説明はなさそうなので、大人しく後部座席のドアを開けると機材が詰まっていたので、諦めて助手席側に回り込んで乗る。
「どちらまで……?」
「…………」
「あのー……」
「……悪かったな」
「え?」
「休出してるとは思ってなかったんだよ」
小さな声で謝られた。声は小さくても、謝罪は謝罪だ。虎尾さんから滅多に出る言葉じゃなかったので、思わず変な声が出てしまった。
きゅうしゅつ――は救出じゃなくて休出、つまり休日出勤のことだろう。
「それは確認してなかったこっちも悪いんだけど……やっぱ平日だけで良かったんだ」
「オフイベん時は休出もあるがな。あとは担当が土日配信する奴は上手いコト時間調整してるが、エイトはまだ担当付いてねーしな」
「……あ、その感じだとそのうち俺もマネージャーやる感じ?」
「マネージャー専業で雇われてる奴も居るが、一人じゃそう何人も見れねえんだよ。配信があるからな。だからウチは経理だろうが社長だろうが一人は担当Vが居るぞ」
「……7期?」
「手が足りなくなるから7期からだな。デビュー前の今なら選びたい放題だぞ?」
「そう言われても全然嬉しくはないな……」
なんか最初のポケモン選ぶみたいなノリで言われたけど、これって自ら仕事増やしに行くんだよね。そんな楽しく選べるものじゃなくない?
「俺より年下って居る?」
「あー……確か去年高校卒業した奴は居たが、同い年か」
「そうなるのかな。……それより下は居ないか」
「居ないな」
「そっかぁ……」
ってことは一人除いて全員年上ってことか。マネージャーなんてただでさえ未経験なのに年上のマネジメントするってどんな心持ちでやればいいんだ。全然分からん。
「マネージャーの仕事は、企画から上がってきたのを担当Vと詰めること、配信と投稿のスケジュール管理、ツイッターの運用、配信中のモデレーター、所属Vとの仲介、グッズ担当との打ち合わせ、他社とのコラボはまぁ担当部署があるが、あとは――」
「……待って、それかなり忙しくない?」
「だろうな」
「虎尾さん何人担当してるの?」
「5」
「文句言ってごめんなさい」
最近知ったことだが、リンライクで音響関係の仕事をしてるのは虎尾さん一人しか居ない。名刺には『音響班』と書かれているのにだ。所属VTuver全員が都内に住んでるわけでもないのに、全員の機材周りの調整から何もかもを一人で担当している。
頻繁に新曲をリリースするリンライク全体の新曲作成であったりサブスクへの音楽配信、今では主流ではないがグッズとしては存在している物理CD、社内の音声関係全部を虎尾さん一人で回していると聞く。
それに加えて担当VTuverが5人も居るとなると、寝てるどころじゃないだろう。みにえるに付きっ切りになってる期間はどうしてたんだろう。聞くのも怖いよ。
「っていうか、明らかにキャパオーバーっぽいけど人は増やさないの? 今年の新卒俺だけっぽいけど……」
「あー……まぁそこは社長の意向もあるが、アイドル業ってまともなアイドル探すよりまともなマネージャー雇う方が難しいんだよ」
「……え? どゆこと?」
「契約を守るより、契約を守らせる方が難しい。まぁこれは実際に関わってみないと分からねえだろうが、こっちは雇われる側じゃなくて雇う側なわけだ。担当が居るってのは、一人が一人を雇ってるのに近いんだよ」
「…………よく分かんないな」
「だろうな。ま、お前もいつか分かる。こういう業界で人を増やすってのは、社長を増やすようなもんなんだ。そいつの胸三寸で担当の全てが変わってくる。ワンマン社長みてぇな万能な奴を雇うか? それとも技術は拙くても担当に本気で取り組んでくれる若手を選ぶか? っつー話でな」
「あ、そう言われたらちょっと分かる気がしてきた」
大きな会社ならともかく、リンライクくらいの規模だと一人の裁量権が大きくなる。入社して1カ月の自分が担当でもないVTuverの動画を企画しているくらいだ。
所属VTuver40人に対し、社員はたったの23人。一人が二人を担当している計算になるが、実際はキャパが大きい人が大量に抱えているだけに過ぎない。それは本人の性質もあるだろうし、担当VTuverの性格もあるだろう。
だが、人を雇うということは、無理矢理でもなんとか回っているところに異分子を投入することになる。不協和音となれば、既存社員への負担が更に増えていくことだろう。
「ウチは元から少数精鋭でやってく前提の会社だからな。社員の方も所属の方もそこまで増やすつもりはねえんだよ」
「リライズと比べると量より質って感じではあるよね」
「あぁ。母体が違うからな」
「母体……ってリライズにも裏の親会社があるの?」
「裏っつーかIR見りゃ分かるが、スイカだ」
「スイカかー」
オタク業界で『スイカ』と言えば、一つしかない。『スイカブックス』――オタク業界最大の同人誌委託販売サイトだ。
委託販売業だけでなく多方面に手を広げている企業であり、実は同人誌販売での売上は全体の3割にも満たないという話を見たことがある。そんなところがVTuverのプロデュースをしてたのか。音楽業界からのリンライクとは全く違う出自のようだ。
「VTuver市場がデカくなりすぎた。元は1億取れれば御の字で始めたからな」
「それが今は年商200億超えかぁ……。それであのオフィスか……」
「あぁ。上場しないから外からは知る由もないが、内部留保はすげーことになってんだぞ。こっから1年で100人ずつ増やすことも余裕で出来るくらいには貯まってるが、それじゃブランドイメージを維持出来ないし管理も出来ないからやってないだけだ。あと事務所引っ越したくても手が空いてる奴が居ねえからやってねえ。そうじゃなかったら年商200億超えてんのに家賃50万のオフィス借りねえよ」
「へぇ……」
確かにリンライクは一人のプロデュースに全力で取り組むから、10人のうち1人当たれば良いやなノリで人を増やしていくリライズとは随分違った方向性に見える。
そのクオリティを生み出しているのが社員のブラック労働というのだからあまり褒められたことではないが、予想に反して市場規模が大きくなりすぎたというのは事実だろう。
誰も、光コウがデビューしたばかりの頃はVTuverが市場に受け入れられるとは思っていなかったし、ここまで稼げるようになるとは思っていなかったのだ。
「つーかなぁ、今のウチの稼ぎ頭って誰か知ってるか?」
「えーと……2期の神白かえで?」
「4期のロロ・ナイトメアだ。んで次点も4期のフィロ・ホッパー。かえではその次」
「えっ!?」
「意外だろ? まさか4期が一番稼ぐなんて誰も思ってなかったんだよ。企画したユーシすら想定してなかった。実際4期だけでウチの配信収益3割くらい出してんだ」
「えぇ……意外すぎ……日本で話題ほとんど見ないからかなぁ」
リンライク4期生は、今から2年ほど前にデビューしている。
特徴といえば、全員が日本語以外での配信をしているというところにあるだろう。
YouTubeに上げられるのは主に英語だが、他国の動画配信サイト向けに多言語配信しているメンバーもおり、一人一人がマルチリンガルという恐るべきスペックを誇る。
半数が日本在住ですらないため、虎尾さんが海外出張することまであるという。
「この業界が今後どうなるか、どういうのが次に売れるかなんてのは誰も分かんねえ。完全に手探りなんだ。頭数を増やして次に当たるものを探すリライズみてえなやり方も正しいし、一人ずつしっかり練ってから丁寧にデビューさせるウチのやり方も正しい。結局、一番儲けた奴が正しいんだ。で、ここに新しいマネージャー入れると、どうなる?」
「一番儲けた人が正しい、なら何しても良い――って考える人も出てくるってことか。社会って難しいなぁ……」
「お前もその社会に入ってんだよ。何ヒトゴトみてえな顔してんだ」
「顔見えないでしょ」
虎尾さんは運転中で、こちらのことを一瞥すらしていない。だけどどこか満足気に「はっ」と笑うと、ぐっとアクセルを踏み込んだ。
「あれ、リンライクの方向かうんじゃないの?」
「今日は別件だ」
「りょーかい。首都高なんて珍しいね」
車はリンライクのある雑居ビルに向かうのではなく、首都高を走っていく。
しばらく走って首都高を降りたが、どうやらまだ東京都内ではあるらしい。まだ土地感覚がないのでどこかは分からないが、車が停まったのは墓場だった。
「……え、ここは?」
「お前に母親のこと話したってコウに言ったら、一応連れてこいって言われたんだよ」
「あー……母さんの墓ってことか」
「墓っぽくねぇだろ?」
「だね……」
田舎育ちなので、そこらへんにいきなり墓場があるのには慣れている。
しかしここはどうだろう。山肌に急に現れる墓場とは、明らかに違う。なんというか、管理されているのだ。
墓石はどれも高級そうだし、城のように豪勢な作りの墓もある。規則的に等間隔に同じ形の墓が並べられているわけでもなく、どの墓石にも個性があり、そのどれもが今掃除したばかりかというほど綺麗で、砂粒すら付着していない。
「あっちの親戚には会うこたないだろうがな。葬式、誰も来なかっただろ?」
「そういえばそうだっけ」
叔父が一応知ってる限りの親戚には声を掛けたと言っていたはずだが、母方の親族は誰も来ていなかったはずだ。ほとんどの参列者の顔すら知らなかったが、父の過去を知っている人ばかりだったので、あれは父方の親戚のはず。
「んで、はいコレ」
「……何? 通帳?」
虎尾さんが手渡してきたのは、古い通帳だった。常用されているようには見えないし、なんならこの後に二回ほど銀行が合併しており銀行名すら残されていない。使えるの?
「ユーシの通帳だよ。この口座は知らねえだろ?」
「財布にはみずの銀行のキャッシュカードしかなかったからこっちは知らないな……。何用の口座だったの?」
「知らん。遺産だ」
「遺産かぁ……」
開いてみると、最後に記帳されたのは10年以上前だった。いち、じゅう、ひゃく――
「……2500万?」
「あぁ」
「えーと…………これは?」
「知らん」
「知らんて」
「会社に残ってたユーシの私物片してる時に入ってたんだよ。ご丁寧に封緘までしてな。一応残額が残ってることだけは確認してあるから、それはお前んだ」
「えぇー…………」
「……葬式行けなかったの、悪かったな」
虎尾さんは俯いて、小さな声で謝った。――意外な光景に、思わず聞き返してしまう。
「え?」
「こんな機会だから言うが……アタシらは皆、ユーシに子供が居ることは知ってたが、それがどこの誰かも知らなかった。お前、扶養にも入ってねえし、ルクスにあった住民票は子供が生まれる前のだけ。だから調べんのも警察に丸投げしたんだよ」
「……そういえば新幹線で急死したんだったよね」
「あぁ、通報したのはアタシだ」
「えっ?」
あれ、確か同乗していた女子高生が通報してくれたって話だったような――
女子高生……じゃねえだろ。どう見ても女子小学生だよこれ。警察よく流したな。
「ユーシが担当してる6期の奴の家に向かうとこだったんだ」
「……そっか」
「聞かねえのか?」
「ん? 何を?」
「何で死んだのかとか、何があったのかとか」
「えー……あんま興味あるわけでもないけど……。どうせ過労死でしょ……」
「…………ま、そんなもんか」
「そんなもんだよ。こうしてみても、全然実感わかないし」
そこにあったのは、東條花枝――俺の母親の墓だった。
随分と真新しい花が供えられているが、一体誰が掃除しているのだろう。まぁでも他の墓も掃除されてるし花が供えられてるから、これも管理の一環なのかな。
顔も知らない母親。一応、ウィキによると幼少期は3人一緒に住んでいたらしい――が、当然何も覚えていない。精々2歳かそこらの話だからだ。物心ついた時には叔父に育てられていたから、当時の記憶はとうに失われている。
墓を見たら不思議と涙の一つでも流れるかなと思ったが、別にそんなことはなかった。
まぁ、顔も声も知ってる父親の葬式でもそうだったのだから、今更泣けるとは思えなかったけど、こうして墓を見ても何も思えないあたり、本当にどうでもよかったのだろう。
「虎尾さんは両親と仲良いの?」
「んー? いや別に。死んではいねえが、数年会ってねえな」
「生きててもそんなもんかぁ」
「生きててもそんなもんだ。だからアタシは言ったんだけどな、コウが一度は連れてきとけって言ったんだよ。コウの家、かなり子煩悩だからな……それが基準になってんだろ」
「あー……」
そういえばルクス・エンターテイメント自体がアメージングのために作られた会社だったんだっけ。でもそのマネージャーが父だったってことは、これまた創業時のメンバーってことになるのかな。また出てくるよ謎設定。死んでから設定増やすな。
「このお金、どうすれば良いんだろ」
「相続人お前の他に居んのか?」
「居ないよ。俺一人」
「なら銀行に持ってって他の相続とおんなじように引き出しゃいいだろ」
「……何に使うの?」
「知らね。家でも買えば?」
「家かぁ……」
俺、持ち家に憧れる世代じゃないんだよなぁ。一人で住むなら賃貸で充分だろって気持ちはあるし、別に車とか欲しいわけでもないし免許も持ってないしなぁ。
「そんだけあったら会社の一つでも興せると思うが」
「え? 会社? なんで?」
「独立前提で働く奴は普通に居るぞ」
「VTuverの会社作るってこと……!? いや、別にそれは良いかなぁ」
そもそも、虎尾さんに拉致されなければ生み出す側に行くつもりなんてなかったのだ。何をしたいでもなくとりあえず大学に行ってから考えようと思ってただけで、将来のことを考えたことなんてなかった。
それでも今こうしてVTuverに関わる仕事をしていると、天職というほどではないが、自分の知識と熱意が活かせる仕事は他にないんじゃないかと思えてくる。好きな仕事じゃなかったら、毎日何時間も残業したりはしない。
「社みこのマネージャー、誰か知ってるか?」
「あ、社長だよね。前企画書作ってたから知ってるよ」
リンライク1期生『社みこ』。狐耳に巫女服、京都訛りという、言ってしまえば安直すぎる設定のVTuver。
1期生のリーダー格であり、光コウを除けばリンライクで最もチャンネル登録者数が多い。また、他の同期メンバーと比べても、配信収入を遥かに超えるグッズ収入を得ており、自叙伝がコミカライズまでされているほど人気を誇る、まさにVTuverのドリームを体現したような存在だ。
「その前は西城椿って女だった」
「……そんな社員居たっけ?」
「検索してみろ」
「はいはーい。……えー……?」
西城椿。その名でヒットするのは、VTuverプロデュース企業『じゅじゅにく』の総合プロデューサーであり創業者だけであった。
最大手企業はどこかと問われれば、VTuverファンはリンライクかリライズの名を挙げるだろうが、その次に有名な企業と言われればじゅじゅにくが浮かぶだろう。
どちらかというとリンライク寄り――少人数のプロデュースを主軸としており、とにかくメディアミックスやグッズ展開が早いことで知られている企業だ。
「ウチでノウハウ掴んで、そんで独立してった。まぁそれ前提で雇ってるとこもあったんだけどな。ちなみに椿も元ルクス社員だ。出向じゃなくて辞めてこっち来たがな」
「そんな経歴があったんだ……。ちなみにリライズの創業者も実はウチの社員だったりしないよね?」
「あっちは知らねえ」
「良かった……実は兄弟で殺し合ってるみたいな展開じゃなくて」
胸を撫で下ろすと、虎尾さんが「ははっ」と上機嫌そうに笑って墓に背を向ける。
「もう満足したろ。戻るぞ」
「はーい」
満足も何も、頭の中は2500万円の使い道でいっぱいだが――
まぁそんなことを虎尾さんに言えるわけもなく、通販サイトを眺めているうちに、あっという間にリンライクのオフィスに到着した。




