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「喉痛ぃい……」
あの後虎尾さんが俺を強制的に送り込んだのは、親会社であるルクスの養成所――デビュー前の新人歌手やアイドルを対象としたボイストレーニング施設だ。
カラオケなら6時間くらい居てもちょっと疲れたくらいで済んだのに、本場のボイトレはたった1時間でも喉が痛くなるし、発声ばかりで歌どころではないので上手くなってる実感すらない。次第にこれは懲罰なんだなと考えるようになったほどだが、一緒に受けている高校生くらいの女の子達は皆本気で、一人だけサボる気にもなれなかった。
「あっ! みにえるお兄さんも休憩ですかっ!?」
休憩時間になり、自販機の隣にあったソファに座りオレンジジュースを飲んでいると、聞き覚えのある声で話しかけられる。声の方に顔を向けると、そこに居たのはリンライク6期生、豊穣むら――の中の人だ。本名も聞いたけれど、ずっと活動名でしか呼んでいないので忘れた。
「こっちで会うの初めてだね」
「ですねっ! まぁボクはほぼ毎日来てますけど!」
「あ、そうなんだ?」
「元々はコウさん目当てでしたけど、やっぱ収録環境は家より断然こっちのが良いんですよね。変な音とかも入らないですし」
「まぁこっちは専門だしね……」
むら君が使っていたのは、養成所と同じフロアにある防音ブースだ。10部屋ほど並んでおり、中に人が入っている部屋には『使用中』の表記がある。
「そっちの部屋、元は何に使ってたんだろ? 流石に新しく作ったわけじゃないよね?」
「ラジオ収録に使ってたらしいですよ。かなり前のことなんでボクも詳しくないですけど、今でもYouTube配信のために使ってるグループが居るみたいです」
「なるほどなぁ……」
言われてみると、それっぽい作りだ。小部屋といっても大小あり、テレワークスペースのように一人が座るだけの部屋もあれば、カラオケルームのように数名がテーブルを囲める部屋もある。
――ここは、ルクス・エンターテイメント本社ビル。
音楽用の収録スタジオからテレビスタジオ、MV用の撮影フロア、養成所やトレーニング施設など、音楽に関するありとあらゆる設備が備えられた巨大ビルだ。
都心の一等地にこんな大きなビルを建てられるということは、業界大手の呼び名は伊達ではないということだろう。
VTuverプロデュース企業の中では最大手のリンライクすら、小さな会社に思えてしまうほどの規模があった。かたや配信業界の中でも異色のVTuver、かたや音楽業界そのものだ。規模が違って当然だが、現実を思い知らされた気持ちになる。
「お兄さんがこっち来てるの珍しいですね」
「あ、うん、しばらくボイトレだって」
「……虎尾さんに怒られました?」
「うん……」
先日の一件で、文字通り虎の尾を踏んでしまった。
しかし、「二度と歌うな」とは言われなかった。むしろ歌を人前に披露出来るところまでボイトレと歌の練習をすることになり、言いようによっては配信に協力的ではある。
まぁ、軽率に物理攻撃をしてくるのは、協力的な人の行動ではないと思うけど。
「ん? なんだエイト、サボりか?」
「休憩です」
「そうか」
麦茶のペットボトル片手に広めの防音ブースから出てきた虎尾さんの後ろには、高校生くらいの女の子の姿があった。
虎尾さんと並んでると姉妹に――は全然見えない。虎尾さんは成人しているとは思えないほど低身長の美少女ではあるが、その女の子は明らかに別のタイプであったからだ。
――そこに居たのは、ギャルだった。
「あっ、むら君だ。おっはー」
「えいちちゃんも居たんですね! おはようございますっ!!」
金髪で浅黒い肌をした、オタク業界そのものと無縁そうなギャル。むら君と仲が良いということはVTuver仲間、それもリンライク所属のはずだが――
「えいちって……ひょっとして叡智かなめ!?」
「あっはい、……ルクスの人ですか?」
「リンライクの方です」
「そうなんですね、いつもお世話になってます、リンライク2期生『叡智かなめ』こと此代りこって言います」
「えぇと……速水英人です。今の――」
答えて良いのか分からず虎尾さんに目を向けると、無言で頷かれた。
「今の大天使みにえるの中の人です」
「マジですか!?」
「マジです……」
「マジかぁ……若ぁ……」
口元を押さえて呟くギャルは、仕草までギャルだった。しかし、今のみにえると聞いて「若い」と感じたということは、かつてのみにえるを知っているということだ。
むら君のように中の人の喋り方で判断したわけではないだろう。そんな特殊能力持ちはそうそう居ないと思う。ならば、虎尾さんが伝えても良いと考えた相手だろうか。
リンライク2期生、『叡智かなめ』。今年でデビュー4年目になるVTuver。
2期生におけるテーマは『クリエイター』であり、彼女はその中でも音楽家をイメージされている。楽曲製作や楽器演奏に特化しており、投稿される動画の全てが音楽系だ。
自身で歌うこともあるが、他のリンライク生に歌ってもらうことの方が多く、ボーカロイドに歌わせることもあれば、ボーカロイドの説明動画を投稿してたりもする。
そのくらいの情報は知っていたが、まさかこんなギャルとは思っていなかった。
「おいエイト、お前が勝手に歌った『TOP』もこいつの作詞作曲だぞ」
「……えっ、あれ名前違ったような」
「あっ、ワタシ別名義があるんですよ。天童リコって」
「天童リコ!? ってあの『ウィッシュ』とか『ライク』の曲作ってる!?」
「ですですー」
「……あれ、俺が小学校くらいの時に流行ってたアイドルですよね? 失礼ですが……おいくつですか?」
「今年で32ですケド」
「…………高校生くらいに見えてました」
「なははー、ま、この見た目じゃ分かんないですよねー」
「ごめんなさい……」
「いえいえー。てか年齢のこと言ったら虎尾さんのがやべーですし」
「それはそうですね…………」
「アァ?」
「「ごめんなさい」」
見た目が学生ギャルっぽいから若いという先入観で見てしまっていた。反省だ。
確かに、ここまで化粧が濃いと年齢なんて分からないものだが、想像より15くらい上なのは流石に驚く。予想との乖離だけで言うと虎尾さん以上だ。
「ところで、お二人は何かの打ち合わせ? かなめさんの配信の方?」
「ちげーよ。どっかの馬鹿がオリジナルソングとか言い出したから打ち合わせしてんの」
「へぇ……」
「お・ま・え・だ・よッ!!」
ずんずんと近づいてきた虎尾さんが、脇腹にフックを繰り出した。避けても止めても怒られるので腹筋に力を入れてガード――やっぱこれパワハラじゃない……!?
「まぁゴーストで入るんじゃなくて、まりちゃんに渡す前の草案って感じですけどねー」
「まりちゃん……って、あぁ、社長ですか」
社長、名前が多すぎるから分かんなくなるんだよ。業界歴20年超えらしいから仕方ないかもしれないんだけど、人によって呼び名が違うから一瞬認識が遅れてしまう。
「そーそ。普段まりちゃん呼ぶと怒られるんですけどねー」
「昔から知ってたんですか?」
「えぇ、ワタシってモロにアメージング世代なんで、知ってるも何も――ってカンジですかね? 絶対この子に曲作ってやるぞーって業界入ったら活動休止しちゃうし。まぁ数年後に夢は叶ったようなものなんで、のんびり余生過ごしてまーす」
「余生って……」
まだ30代で余生なんて言うことあるのか。これまで夢が叶ったことなんてないからその感覚は分からないけど、自分の意思で業界に飛び込んで来た人は、やっぱりそういう大望があるものなのか。流されるように業界に入るパターンはそうそうないのだろう。
「でも、元から業界で有名な人がVTuverなんてやるものなんですね。なんというか、若い人がやりたがる印象だったので……」
「んー、そういう人が多いのは事実ですケド、今のリンライ所属だとワタシ上から3番目くらいですよ? ねぇ虎尾さん?」
「あぁ。確かに若い奴が多いのは事実だが、若いだけのガキじゃリテラシー低すぎるから使えねぇ。むらみたいに配信慣れてりゃ別だがな。声優崩れとかアイドル崩れだと若くなくても業界入ってくる奴は多い印象だな」
「へぇ……。ってことはむら君ってかなり若い方なんだ」
「はいっ!」
「つーか一番下だぞ」
「え、俺と同じくらいじゃなかったの……!?」
「そう見えんのか? 15とかだろ」
「2月に16になるんでまだしばらく15ですねっ!」
「……卒業って中学卒業だったんだ」
元気に言われて思ったが、年齢からするとひょっとしてむら君ってしっかりしてる方なのかな。まだアルバイト経験もないのにいきなり業界飛び込んできて普通に大人と話せるって、図太いのか、それとも自分のキャラクターを理解しているからか。
「えっと、かなめさんは父と交流あったんですか?」
「はぁい。てかワタシ、実はルクスの社員なんですよ」
「……あー」
「なんで普通に仕事で有志さんとは話してましたよ? みにえる作る前にVTuverの相談もされましたし」
「それはそれは……生前は父がお世話になりました……」
「あはー。むしろ世話されてた方ですけどねー」
「だな」
「父さんほんと何してたの……」
「何って……ねぇ?」
「なぁ?」
「教えてくれないの!?」
「地下ドルレベルの素人女5人を日本中誰もが知るトップアイドルにして20代で最年少の部長になったってだけだ」
「ルクスの社員で有志さんの名前聞いて知らない人は居ないですよ?」
「えぇ……そんななの父さん……?」
なんか気の弱いオジサンだな、くらいにしか思ってなかった父が超やり手だったって他の人から聞かされるのなんか複雑な気持ちになるな。全然そうとは思えなかったし、なんなら窓際っぽい顔だと思ってたのに、人は見かけにはよらないってことか。
「あれ、ってか知らないんですか? ムスコとは別居してるとは聞いてましたけど」
「別居……そうですね、ほぼ会ってないし、何の仕事してるかもここに来るまで知らなかったくらいなので」
そう返すと、かなめさんは虎尾さんを見て「どして?」と首を傾げた。俺も知りたい。
「あー…………まぁ死んだし時効か。エイトお前、自分の母親のこと知ってるか?」
「何も。離婚したってことくらいしか」
「つーか死んでる。まぁ戸籍辿りゃそんくらい分かったろうが、その歳じゃ戸籍謄本なんて出したことねぇか」
「へぇ……?」
「アタシから説明すんのも何だから、ウィキ見ろ。『東條栄子』だ」
「はーい。てかページあんのね。とうじょうとうじょう……え、女優さん?」
東條栄子。本名は東條花枝。両親共に俳優のサラブレッドで、39歳で事故死。
20代の頃にアカデミー賞にノミネートされたほど有名な女優だったらしく、結婚が明らかになった当初はメディアで相当騒がれたようだ。
一般男性と結婚し子を授かったが、数年後に離婚。離婚調停で揉めに揉めて親権を獲得したが、その3日後に交際相手とのドライブ中、交通事故に遭い死亡した――
「えーと……これが俺?」
「お前」
「君だよ」
「マジかー……。いや離婚って何やってたんだ……」
「奥さん側の不倫だったらしいけどねー、そこは詳しくないので虎尾さんにパス」
「アァ? いやアタシも知らねぇよ。当時のことなんてコウも大して知らねぇだろ。詳しく知ってる当人はどっちも墓ん中だしな」
「言い方ぁ」
「死者を慮る趣味はねーよ。お前が今生きてる、そんだけで充分だろ」
「そう……?」
「そうだよ」
はっきり言われると、なんだかそんな気がしてくる。
まぁ確かにこれは話せないわ。父が何も言わずに死んでいったのも、もしかしたら少しは知っているかもしれない叔父が母のことを何も言わなかったのも、父と一緒に暮らしていなかった理由も、全てが繋がった。
あれか、叔父が受け取ってたっていう養育費の2000万、たぶんこれ慰謝料だよな。男側が慰謝料貰うことってあるんだ。ウィキに不倫疑惑って項目があってクッソ長いしなんなら相手一人じゃないみたいだし……。
もし母に引き取られて育てられていたら、まず間違いなく今の自分はなかっただろう。そう考えると、みにえるに出会わせてくれた父に感謝だな。問題はみにえるも父親だったってことなんだけどホントどういうことなんだろうなぁコレ。奇跡? いやな奇跡だな。
「ムスコさん、こっち居るってことはボイトレですか?」
「あぁ、まぁお試しだがな」
「オシオキしてる感じ?」
「……歌うつもりの奴には全員やらせてる最低限のメニューだ」
「なるー。ちゃちゃーと良い感じの歌作るんで、頑張ってくださいね!」
「はい……」
元気に返事を出来る気力はなかった。いつ終わるのかも教えて貰えてないので、一週間で終わるのかもっとかかるのかも分からない。喉を痛めないよう休憩は多く挟まれているが、それでもやはり素人には辛いのだ。
しかし、配信で口走っただけのオリジナルソングがかなり大事になってきたな。光コウとの関係は公然の秘密とするつもりだったが、もうそのあたりも有耶無耶だ。
「まりちゃんのスケジュール次第ですけど、7期も大体決まったんですよね?」
「あぁ。このままキリよく7人で行くか、準備遅れた2人削って8期に送るかは考え中だ。まぁそっちはえいみとコウが決めることだから、アタシが口出しすることはねーが」
「歌系は何人?」
「歌いたがってんのは3人だったかな。まぁ早い段階でいつものグループ曲くらいはやるだろうが、そっからは任せる」
「りょっ! むら君のシングルも一周年までにはお披露目出来るようにするからね!」
「あっ、はいっ!!」
自分に関係ない話だと早々に会話から離脱してエゴサに取り組んでいたむら君は、慌てて顔を上げて返事をする。そういえばむら君ってオリジナルソングは一つも持ってなかったのか。結構歌の投稿多かった気もするけど、考えてみると既存曲ばかりだった。
「ボク今度みにえるお兄さんと一緒に歌いたいと思ってるんですけど、なんか良いお歌ありますか?」
「あれ本気だったんだ……」
「うーん、コウさん関係のはソロ前提だからパート分けしづらいし、作詞作曲が『天童リコ』か『叡智かなめ』、あとニコニコにある『鹿角P』の楽曲から適当に歌いたいの教えて貰えれば権利は大体あたし持ちだから大丈夫かなー?」
「鹿角Pですか? あの、ボカロの?」
「そそー」
「えいちちゃんだったんですか!?」
「そだよ? ってあれ、言ってなかったっけ」
「はじめて聞きました!! えっ昔からめっちゃ聞いてましたよ『深淵世界』とか『DANCE・TEN』とか『ルック・オーバー』とか!!」
「うれしー、ぎゅーしちゃお、ぎゅー」
隣で座ってるむら君が突然抱き締められ、どうすれば反応すれば良いか分からず困惑する――のは俺一人。この二人、歳の差親子くらいあると思うんだけどなんかすっごい友達みある距離感だな……。でも確かに結構性質近そうな感じはする。
むら君は同期である6期生とはほぼ絡んでないみたいだけど、年上ウケは良いのか先輩VTuverとよく一緒に対戦ゲームをしている。叡智かなめとの接点はなかったような気がしたが、動画を全部見ていたわけではないし、リアルでの交流もあるだろう。
「むら君、凄いね……」
「えっ何がですか!?」
「いきなり大人の女の人に抱き締められて普通の反応するって……男子高校生くらいの歳なのに……」
むら君の中の人もアバターに負けず劣らずショタみが強いから、こういうのに慣れてることにかなり違和感があるのだ。
「普通ですよね?」
「いや普通じゃねーだろ」
虎尾さんの突っ込みに、うんうんと同意する。良かった俺だけじゃなくて。
「虎尾さんもよくみにえるお兄さんとスキンシップしてるじゃないですか!」
「し、て、ねーよ!!」
「痛いっ! なんで俺叩くの!!」
手にした雑誌で頭スコーン叩かれてビックリしちゃったよ。この流れ、絶対むら君が攻撃対象になるべきでしょ。なんでヘイトこっちに集まってんの。タンクじゃねーの。
「あの、かなめさん、虎尾さんって前からこんなですか?」
「え?」
「え?」
いや疑問で返されるとこっちが困るんだけど。
「虎尾さんがこんな反応してたの、有志さんくらい? ムスコさんだからかなー」
「…………」
「いやなんか言ってよ」
「うるせぇ」
今度は脇腹への鉤突き。このまま煉獄でも始める気か?
「てか父さんへもこんな対応だったの……」
「アタシをからかうアイツが悪い」
「父さんにからかわれてたんだ……。って待って、俺そんな虎尾さんからかってる!?」
全然自覚ないんだけどそうなのか!? 駄目だ分からん。かなめさんもむら君も笑ってるし、なにわろてんねん。助けろや。
「おい休憩終わんぞ」
「はーい……」
なんか解せない気持ちはあるけれど、休憩を終えた参加者が続々とトレーニングルームへ戻っていく姿を見て、重い腰を上げた。
「がんばってくださいっ!」
「がんばー」
応援してくれる二人に見送られたが、振り返って会釈で返すと、虎尾さんはこちらを見ずにスマホに視線を落としていた。アンタが送り出したんだからせめて見送ってくれ。
しかし、文句を言う筋合いはない。そもそも言い出しっぺが自分なのだ。自分のケツは自分で拭かなければ。
うーん、練習中もそんな気持ちでいれればいいんだけど。
普段よく配信で歌ってるむら君はこの地獄のボイトレをとっくに修了していたんだなと思うと、少しだけ尊敬したくなった。




