第209話 『緊急会談』
大陸を北から南へと縦断する大河のほとりには、いくつかの森が点在する。
その中でも最も鬱蒼とした木々が生い茂る『屍の森』と呼ばれる場所がある。
あまりにも木々が深く太陽の光が遮られるため、昼間でも森の中は薄暗い。
この場所に迷い込めば、生きて出ることは出来ず、屍となって森の中で永遠に眠り続けるのだと言われているため、そうした名で呼ばれるようになった森だ。
実際、近隣の人々も容易にこの森には近付かない。
クローディアがブリジットとの会談場所としてそんなところを選んだのは、前回の反省からだ。
先日の宴会場では皆が酔って寝静まっているところを襲撃され、多数の死傷者を出すこととなってしまった。
そうした手痛い経験から、敵の追跡と襲撃を避けるなら、こんな難所のほうが良いという考えからだった。
そのため森の外側から30分も歩いて中に踏み込んだ奥地を約束の地に選定したのだ。
だが、そんな場所ではそもそも辿り付けない可能性がある。
ブリジットらももちろん初めて足を踏み入れる場所だ。
迷ってしまっては元も子もない。
だが、クローディアにはそうはならないという確たる算段があった。
なぜなら彼女の傍にはアーシュラがいて、ブリジットの傍にはボルドがいるのだから。
「こちらです」
ボルドはそう言うとブリジットら一行を先導して草をかき分けながら進んでいく。
馬車では入れないような場所のため、御者2名と4名の護衛の騎馬兵らは共に森の外で待たせてある。
クローディアからブリジットに送られた手紙には、屍の森に着いたら、そこからはボルドの指示に従って進むように書かれていた。
ボルドから彼が会得しつつある力のことを聞いていたブリジットには、その理由が分かった。
だが、そのことをハッキリ聞いたことのないベラやソニアは、迷わずに進み続けるボルドの姿に眉を潜める。
「ボルド。おまえ、本当にこの場所に来たことがねえのか?」
そう尋ねるベラにボルドは少し困ったような表情を浮かべるが、すぐにブリジットが助け船を出す。
「ボルドにはな、分かるらしい。どの道を進めばクローディアの元に辿りつけるのか。とにかく今はボルドを信じよう」
ブリジットの言う通りだった。
ボルドの頭の中では、先日の宴会場の際と同じように扉を叩く音が聞こえていた。
それをしている相手はアーシュラだと分かる。
彼女がボルドを導いているのだ。
ただそれをこの場でベラやソニアに説明しても混乱させるだけだろう。
ボルドには黒髪術者としての力が芽生えつつあった。
だが、まだ慣れないことであり、それを他人にうまく説明する自信は無い。
それでもブリジットだけには隠すことなく全てを話して聞かせた。
彼女ならば自分の言うことを荒唐無稽な世迷言だと決めつけずに、真剣に聞いてくれるという信頼があったからだ。
ブリジットはその話を聞いた時、戸惑いの表情は見せたものの、全てを黙って聞いてくれた。
そしてボルドにそうした力が目覚めつつあること、これからもっと能力の発露があるかもしれないということは、常に頭に留め置いておくと言ってくれたのだ。
その言葉にボルドは心からの安堵を覚え、ブリジットに感謝をしたのだった。
「この先です。もう見えてくると思います」
そう言うボルドの言葉通り、森に入って30分ほど歩いたところで、少しだけ開けた場所が現れた。
木々が途切れて、そこだけ日の光が差し込んでいる。
そこに小さな天幕がひとつ張られていて、その前でアーシュラを従えたクローディアが5人の部下たちと共に待っていた。
その場にはバーサの妹たちであるブライズとベリンダもいる。
「クローディア。待たせたな」
「いいえ。ブリジット。急な呼び出しに応じてくれて感謝するわ。こんな場所まで悪いわね」
ブリジットとクローディアはそう言い合うと固く握手を交わす。
ブリジットの後ろでボルドは背すじを伸ばすとクローディアに深々と頭を下げた。
「クローディア。以前は大変お世話になりました。おかげさまで再びこうしてブリジットにお仕えすることが出来ております。貴女様には感謝してもしきれません」
恭しいボルドの言動に、クローディアの背後でブライズとベリンダはわずかに目を見張った。
人質であった時と違い、ボルドの態度は礼節を尽くした立派なものだった。
ブリジットの情夫として主に恥をかかせるわけにはいかないというボルドの心がけの賜物だ。
だが、クローディアだけはほんの少し、寂しげな表情を滲ませる。
ブリジットは彼女のその表情を目の当たりにして、ふと小さな違和感を覚えた。
しかしそれは一瞬のことであり、すぐにクローディアは笑みを浮かべて女王らしく鷹揚に言う。
「元気そうね。ボールドウィン……いえ、ボルド。そんな堅苦しい物言いは無用よ。立派な情夫が仕えていてブリジットは幸せ者ね」
そう言うとクローディアは部下5人のうち2人を天幕の外で見張りに当たらせ、皆を天幕の中へと案内した。
ブリジットもベラとソニアを見張りに立たせ、ボルドとアデラを伴い天幕へと足を踏み入れる。
中には給仕のための小姓が2人、冷茶と茶菓子を用意していた。
全員が椅子に腰を落ち着けると、クローディアはアデラに目を向ける。
「話を始める前に、アデラ。あなたには我が部下のアーシュラが命を救われたわね。感謝するわ。ありがとう」
クローディアがそう言うと、その隣でアーシュラがアデラに深々と下げる。
アデラは緊張の面持ちで口を開いた。
「お、恐れ多いことです。わ、我らは皆、志を同じくする同胞として結束するのですから、同胞を助けるのは当然のことです」
「その言葉。分家を預かる責任者として嬉しく、心強く思うわ。これからもよろしくね。アデラ」
「はい」
2人の話が終わると、ベリンダと共に椅子に腰を落ち着けているブライズがアデラに声をかける。
「分家のブライズだ。おまえ。天命の頂でワタシを追いかけてきただろ。あのヒクイドリの騎乗技術は見事だった」
「あ、あの時の……あなたでしたか」
アデラは自分が追跡をした人物が目の前にいると知り、このブライズがあの時の黒熊狼を使った襲撃犯の首謀者であることを理解すると、どんな顔をすればいいのか戸惑った。
そんなアデラを見てブライズは快活に笑う。
「そんな顔すんなって。昨日の敵は今日の友だ。同じ動物使いとして、ぜひともおまえと話がしたいね」
「お姉様。それはまた次の機会に。本日は悠長な話をしている時ではありませんわよ」
そう言ってベリンダが姉を諌める。
そんな従姉妹たちにクローディアは言った。
「そうよ。今日は残念ながらあまり時間は取れないわ。この場でブリジットとワタシとで早急に意思確認をして、本家と分家の意見を擦り合せなければならない。公国からのワタシたちへの出頭要請期限は明後日なのだから」
時間は無い。
即断即決が求められる時だった。
そう言うとクローディアはまだ冷茶に口をつける前に本題を切り出した。
「公国への出頭。ワタシは断るつもりよ。ブリジット。あなたの考えを聞かせてくれる?」