第288話 『逆流』
夜風が黒く美しい髪を撫でていく。
アメーリアは高さ10メートルほどの物見櫓の上に立ち、夜の闇に佇む新都の街並みを見下ろした。
その足元には2名の赤毛の女の死体が転がっている。
どちらも刃物で首を斬り裂かれて、自らの真っ赤な血で胸元を濡らしていた。
見張りの2人はほんの少し前に突如としてこの櫓に上ってきたアメーリアによって一瞬で殺されたのだ。
今はその死体をドローレスがガツガツと食らっている。
アメーリアは各所で煌々と焚かれる篝火に照らし出された新都の光景に目を細め、街の中心に見えるひときわ大きな石造りの建物を見つめた。
「あれが仮庁舎ね」
そのすぐ目の前にいくつかの天幕が張り出されている。
イーディスからの情報によればそこが作戦本部であり、ブリジットやクローディアが陣取っているとのことだった。
そして……。
「あの仮庁舎の中に坊やがいるわけか」
そう言うとアメーリアは櫓の上に腰を下ろし、目を閉じた。
そして静かに呼吸を繰り返すと、自分と呼応する意識が現れるその時を待つ。
(黒髪術者か)
以前からブリジットの情夫が黒髪であることは聞いていた。
だが、黒髪というだけならばこの大陸には一定数いる。
王侯貴族が愛妾として黒髪の者を囲っていることなど珍しくもない。
だが、それが特殊な感覚を持つ者となれば話は別だ。
アメーリアが支配していた砂漠島ではその昔、金色の髪を持つ女が島を統一する初代の長となっていた。
その金髪の女王は黒髪の男を夫とし、その子孫には金髪や銀髪の娘や、黒髪の息子が生まれたのだ。
そうしてその子孫として生まれた黒髪の者らは、特殊な力を持つ場合がほとんどだった。
即ち、今この大陸で黒髪でありそうした特殊な力を持つ者は砂漠島の血縁なのだ。
(その黒髪の坊やとブリジットやクローディアは血を遡れば同じ一族だというわけね。その2人が番う……血の回帰なんて実に汚らわしい一族だわ)
アメーリアは心の中で憎々しげにそう吐き捨てる。
それから10分、20分と経過したその時、彼女の眉がピクリと動いた。
(……来た! 心の糸だわ)
アメーリアは確かに感じ取った。
遠くから自分に向かって繋がろうとする意識の軌跡を。
それを砂漠島の黒髪術者たちは心の糸と呼ぶ。
閉ざされた視界の中で、すぐさま彼女の意識は宙を飛んだ。
そして自分に繋げられた心の糸を逆にたどって闇の中を進み、仮庁舎の壁をすり抜けて迫る。
美しい黒髪の若き男の元へ。
その顔がはっきりと見えたその時、アメーリアは腹の底から怨嗟の声を送った。
【そこに……いるのね】
途端に感覚が途切れる。
あちらがアメーリアの送る重圧に耐え切れず、意識を遮断したのだと分かった。
アメーリアは目を開くと、その口元から耐え切れずに笑いが零れる。
「ふふふ。クローディアにアーシュラがいるように、ブリジットには坊やがいる。本当に忌々しいわね。金と銀の女王たちは」
そう言うとアメーリアは立ち上がった。
その気配に気付いたドローレスが目を覚ましてアメーリアを見上げる。
「行くわよ。ドローレス。かわいい黒髪の坊やをいただかないと。でも、いくらおいしそうでも黒髪の坊やは食べちゃダメよ」
そう言うとアメーリアは微塵の恐れもなく、物見櫓の上から宙に身を躍らせるのだった。
☆☆☆☆☆☆
漆黒の鎧があちこちに転がっている。
それを着込んだ兵士らは、ある者は首を貫かれ動かぬ骸となり、ある者は頭部そのものが失われていた。
そしてその近くには赤毛の女戦士らが血だらけの遺体となって倒れている。
クローディア率いる統一ダニア軍と漆黒の兵士らによる激しい戦闘は夜が更けても続いていた。
新都の北と中央のちょうど中間点で繰り広げられる戦いは序盤こそ双方拮抗していたが、クローディア自身の活躍と彼女の指揮による統一ダニアの攻勢により中盤以降は情勢が変化していた。
1500名ほどいた漆黒の兵士は、合計で2000人を超える統一ダニア軍の攻撃によってすでに半分以下にその数を減らしている。
一方の統一ダニア軍はクローディアの統率のもと攻守にバランスよく戦うことで、劇的に自軍の損害を抑えていた。
ここまで戦死者は全体の1割にも満たない。
統率された統一ダニア軍に対して、漆黒の兵士らは指揮する者もなく、連携すら取れない烏合の衆に過ぎなかった。
それでも恐怖を感じぬ彼らは劣勢であることに気付きもせず、ひたすらに前進し剣を振るい続ける。
それゆえ数と気勢に勝る統一ダニアも敵を殲滅するのは簡単ではなかった。
長時間に渡る戦闘で女らも疲労が蓄積し、少しずつ動きが鈍くなっていた。
一方の黒い兵士らは本当に人間かと疑わしく思えるほど疲れを見せず、変わらぬ動きで武器を振るい続けている。
時間の経過とともに統一ダニア軍に徐々に戦死者が増え始めるのを見たクローディアが、再び屋根に上がって声を張る。
「陣形変更! 2人組から4人組に! そして4人組同士、背中合わせで8人組! それから8人組同士で声を掛け合って、前衛と後衛に分かれなさい! 後衛は休息を取って! 5分で合図したら前衛と交代! 前衛は5分間粘って敵を少しずつでいいから削って!」
クローディアの声に女戦士たちはすぐに呼応する。
すぐさま陣形が入れ替わり、前で戦う者と後ろで休息を取る者とに分かれた。
これが功を奏し、統一ダニア軍の被害は再び止まる。
戦局はわずかに緩やかになっていき、戦いは東の空が白み始める時刻まで続いた。
☆☆☆☆☆☆
「ボルド様。顔色が悪過ぎます。これ以上はやめて下さい」
小姓はほとんど強く諌めるような口調でそう言った。
真夜中の仮庁舎。
その避難室ではボルドが真っ青で血の気のない顔を見せている。
つい先ほど、黒髪術者の力でアメーリアの位置を探索していたところ、ボルドの頭の中にとてつもない不快感が逆流してきたのだ。
頭の中に流れ込むそれはアメーリアからの明確な意思だった。
(あ、頭が……)
ひどい頭痛と吐き気に苛まれるボルドは、先ほどまで感じていたアメーリアの気配を感じ取れなくなっていた。
感じ取ろうとすると頭痛がひどくなり、感覚が遮断されてしまう。
まるで強過ぎる刺激臭を嗅いで嗅覚が麻痺してしまったかのようだ。
ボルドは唇を噛みしめると探索を断念し、水を飲み、干した果実を口にする。
そうして一息つくと彼は苦渋の表情で小姓に告げた。
「アメーリアにこちらの存在を気付かれたようです。探索が出来ない状況に陥っています。アメーリアが近付いて来る恐れがあるので、十分に気を付けるようブリジットにお伝え下さい」
そう言うとボルドは自分の状態を小姓に伝えた。
その報告のために部屋から出て行く小姓を見送りながら、ボルドは静かに呼吸を整える。
こういうときアーシュラだったらどのように対処するだろうか。
彼女ならばきっともっとうまく立ち回ったはずだ。
そう考えると、黒髪術者としての自分の経験の少なさが恨めしい。
(黒き魔女アメーリア。ブリジットはあんな恐ろしい人の相手をしなくてはならないんだ。自分にも何か手助けできる手段があれば……)
ボルドは重い痛みの残る頭の中で、自分が先ほどアメーリアにやられた時の感覚を必死に掘り起こす。
思い出したくもないひどい感覚だった。
だが、ほんの束の間、ボルドは感じたのだ。
アメーリアと繋がる心の糸の感覚を。
そこに何か反撃の糸口があるような気がして、彼は必死に先ほどの感覚を思い起こそうとするのだった。




