第287話 『闇夜にうごめく者たち』
闇夜の中に煌々と焚かれた篝火が照らす街中では、漆黒の鎧の兵士たちと赤毛の女戦士たちが入り乱れて激しい戦いを繰り広げていた。
数は赤毛の戦士たちのほうがわずかに多いものの、それでも建物や天幕の立ち並ぶ狭い市街地で戦っていることもあり、数的有利を享受できているとは言い難かった。
そんな中、唯一の銀髪を振り乱してブライズは果敢に戦い続けている。
もう彼女の得意武器である鉄棍は2本ともへし折れてしまっており、そこらに落ちている剣やら槍やらを拾い上げてはそれで黒い兵士たちに攻撃を加えていた。
今この場にいる赤毛の女たちはそのほとんどが本家の者であり、馴染みのないブライズにとって指揮をとるのは容易ではない。
結果としてひたすら乱戦で目の前の敵を倒すことに集中するしかなかった。
(くそっ! 本家の奴らと意思疎通する時間が足りなかった)
そうでなくともブライズはかつて本家の隠れ里である奥の里を襲ったバーサの妹であり、本家の女たちからはいまだによく思われていない。
即興で皆をまとめる術はブライズには思い付かなかった。
そうブライズが歯噛みしていたその時、この停滞した状況を打ち破る人物がこの場に駆けつけてくれたのだ。
「ブライズ!」
その声を聞き間違えるはずもない。
ブライズが後方に視線を送ると、颯爽と馬に乗って短槍を手に駆けてくる銀髪の女王の姿があった。
「クローディア!」
ブライズのその声に周囲の女たちが次々と顔を上げる。
そんな女たちの視線の先ではクローディアが華麗に身を翻し、馬から飛び降りた。
そして手にした短槍で漆黒の兵士の兜と鎧の隙間を正確に突く。
喉を貫かれた敵兵は、悲鳴も上げずにガックリと両膝を地面について沈黙した。
その技量はすさまじく、クローディアはほんの瞬きする間に3人の敵兵を葬った。
そして彼女はすばやく近くの建物の屋根に飛び乗ると、仲間たちに向けて大きな声を上げる。
「我こそはクローディア! 勇敢なるダニアの戦士たち! ブリジットに代わってここはワタシが指揮をとるわ! 全員、ダニアの誇りと力をここに示しなさい! ダニアの女は不屈にして不敗! 戦場は我らの躍る場所よ! 他の誰にも支配させないわ!」
よく通るその声と凛とした言葉。
それがダニアの女たちの心に火をつけた。
戦場の雰囲気がガラリと変わる。
「2人一組で敵を確実に1人ずつ仕留めなさい! 引き付け役とトドメ役にしっかり役割分担! さらに2人組同士4人で互いの背中を守り合って!」
的確な指示に女たちは即座に対応する。
本家の女たちにとって慣れないクローディアの指示だったが、その戦い方は本家と分家にかかわらず、ダニアにとって戦場での基本的な戦法のひとつだ。
そしてクローディアは屋根の上から飛び降りて着地すると、短槍を手に1人で5人、10人と黒い敵兵を葬っては再び屋根の上に飛び上がった。
そこから味方の兵たちに的確な指示を与え、さらには彼女たちを鼓舞する声を発する。
そしてまた屋根から舞い降りては自らの手で敵を屠るのだ。
繰り返される女王の雄々しき振る舞いによって、戦場には先ほどまでとは明らかに違う風が吹き始めていた。
その様子にブライズは思わず苦笑を浮かべる。
「まったく。かなわねえよな。生まれてからずっと女王になるために生きてきたアイツには」
そう言うとブライズはクローディアが乗ってきた馬に目を向ける。
その馬の鞍には2本の鉄棍が備え付けられていた。
クローディアが自分のために用意してくれたものだと分かり、ブライズは馬に駆け寄ってそれを手に取る。
使い慣れた手触りの鉄棍を左右の手に握ると、疲れたブライズの体に再び力が湧き上がってきた。
そして彼女はクローディアと2人1組となり、すさまじい勢いで黒い敵兵たちを次々と倒していくのだった。
☆☆☆☆☆☆
イーディスは闇に紛れて移動すると、納屋で拝借した樽を抱え、中央の仮庁舎に戻ってきた。
そして避難民への飲み水と食料の配給という名目で仮庁舎の地下へと降りていく。
その際、彼女は1会最奥部の部屋をチラリと見やった。
先ほどの衛兵たちとは顔ぶれが違うのでどうやら交代したようだが、それでも相変わらず2名の衛兵が油断のない表情で部屋の扉を守っている。
(あそこに女王様の情夫くんがいるのよね。黒き魔女がどう動くか見ものだわ)
イーディスは先ほど矢文によって、ブリジットの情夫ボルドの居場所をアメーリアに伝えた。
あの黒き魔女ならば必ずこの情報を有効活用するはずだ。
そう思いつつイーディスは樽と食料を避難民たちの元へ届けた。
そしてそれらの物資に喜んで群がる彼らを尻目に、地下室の奥から地下通路を進んでいく。
そこから距離にして1キロほど歩くと、例の鉄の大扉が見えてきた。
「ごたいそうな扉だこと。もっと誰もが自由に行き来できる風通しのいい街にしてあげるわね」
イーディスは懐から鍵を取り出す。
死んだダンカンが持っていたそれを使って錠前を解錠し、イーディスは扉を開け放った。
そしてそのまま地下通路を進み、やがて冷たい夜の空気の中へ踏み出す。
闇夜の中で周囲を見回しながらイーディスは頭の中に新都の地図を思い浮かべた。
潜伏中に新都の各所に貼ってあるのを幾度も見ていたので、すでに彼女はその地図の内容をすっかり記憶している。
そして先ほどの西の壁上通路から見た死兵らの、歩いていた方角と距離から向かう先を割り出す。
方向感覚に優れたイーディスの得意技だった。
「さあ団体客をご案内しないとね。深夜のお客さんになるから街からは歓迎されないでしょうけれど」
そう言って妖しく微笑むと、イーディスは闇の中を迷いなく進んでいくのだった。
☆☆☆☆☆☆
窓のない部屋の中にいると時間の感覚が分からなくなる。
ボルドはおそらく数分間の眠りから覚め、大きく背すじを伸ばした。
細かく睡眠をとっているものの頭は重く、体からは疲労が抜け切らない。
それでもボルドは再び意識を集中させる。
つい先ほど外の様子を伝えにきた兵士から、ブリジットの言伝を受け取った。
戦いは続いているが、ブリジットやクローディア、そして他の皆も無事だという。
その報告にボルドは安堵しつつ、作戦本部にブリジットが戻ってきていることを心強く思った。
彼女のために自分も頑張らなくてはならないと思い、黒き魔女アメーリアの気配を探る。
だが……。
「うっ……」
ふいに頭の中に流れ込んでくるものに彼はむせ返りそうになる。
それは悪臭にまみれたどす黒い悪意だった。
それが今、明確に自分に向けられている。
思わずボルドは手を口で押さえてその場に片膝をついた。
「ボルド様?」
異変に気付いた小姓が慌ててボルドの背中を支える。
景色がグルグルと回るような眩暈を覚えて、小姓が支えてくれなければ仰向けに倒れてしまいそうだ。
そして彼は頭の中で声を聞いた。
【そこに……いるのね】
恐ろしい声が明らかに自分に呼びかけてきた。
それが頭の中に繰り返し響き、そのせいで必死に自分に呼びかけてくれる小姓の声も遠くおぼろげにしか聞こえない。
ボルドは背すじを這い上る悪寒に、歯を食いしばって必死に耐えた。
声の主が誰であるのかは明確だった。
(アメーリアが……こちらに気付いている)
そう。
これまではボルドからの一方的な探索だったが、今は違った。
アメーリアがボルドを認識している。
その恐ろしさにボルドは吐き気を堪えるのがやっとだった。




