第286話 『邪悪な笑み』
「戻ったぞ!」
北門からブリジットは単騎で街道を早駆けし、作戦本部へと戻った。
それを待ちかねていたクローディアはすぐさま彼女を出迎える。
「ブリジット! お疲れさま。ケガは?」
「問題ない。手間取って悪かったな。敵の投石機は全て破壊したが、新都に不埒者どもを放り込まれてしまった」
悔しげにそう言うブリジットだがクローディアは首を横に振る。
「それはワタシが対処するわ。残りの報告は2人にしてちょうだい」
そう言うクローディアの背後ではオーレリアとウィレミナがブリジットに頭を下げた。
クローディアは左右の腰に下げた剣の他に、短槍を手にすると馬に飛び乗る。
「行って来るわ。新都にふさわしくない者たちを排除するためにね」
「気をつけろ。部下たちには話を通してある。使ってやってくれ」
「ええ。アメーリアがいつここに来るか分からないわ。皆を守ってあげて。ブリジット」
そう言うとクローディアは馬に鞭を入れ、大急ぎで北へ向かって行った。
残ったブリジットは作戦本部に変わった点がないことを確認すると、周囲を警戒しつつオーレリアたちに声をかけた。
「すまなかったな。急な予定変更をしてしまって」
「いえ。現場の御判断ですので、お気になさらず。敵投石機を全て破壊出来たことは間違いなく今後の戦況に優位に働きます」
そう言うオーレリアにブリジットは頷くと、自分の率いた部隊の被害状況を報告した。
2000人の先発隊はおよそ1割が戦死。
残った者たちは現在、北門内側で防衛任務につかせつつ休息を取らせている。
後発隊の2000人は今頃、侵入した黒い兵士たちを相手に奮闘を見せているだろう。
一通りの情報交換を終えるとウィレミナはおずおずとブリジットに申し出た。
「ブリジット。ボルド様はご無事です。今も避難室の中にいらっしゃいます。お会いになられますか?」
「そうか。無事ならいい。今はここを動くわけにはいかん」
「そうですか。黒き魔女の居場所をボルド様が掴んで下さるので、こちらは大助かりです。今は兵たちに遠巻きにアメーリアを見張らせています。常にその居場所を把握しておく必要がありますので。ただ……」
そこで少し表情を曇らせてウィレミナは話を続ける。
「黒髪術者の力を使われると消耗するらしく、ボルド様もお疲れの御様子です。休み休みやっていただいております」
「そうか……ボルドもがんばってくれているのだな」
あまり無理はさせたくない。
だがこの非常時に自分の情夫だからという理由で休ませろとはブリジットとしては言いたくなかった。
そんな彼女の心情を推し量り、ウィレミナは言う。
「ボルド様には十分にお休みいただくよう、小姓たちにも厳命しております。決してご無理はさせません」
「ウィレミナ……すまない。苦労をかけるな。よろしく頼む」
「いえ。まずは一息ついて下さい。現在のところアメーリアは西地区から動いておりません。異変が起きればすぐに知らせが来るようにしていますので」
そう言うウィレミナに頷き、ブリジットは作戦本部の椅子に腰をかけた。
数百回に及ぶ射撃で体は疲れているはずだというのに、休息をしたいと思う気持ちが持てない。
経験上、こういう時は気をつけなければならないと思った。
気が昂ぶって疲れを感じない時ほど、体力が底をつこうとすることに気付かなくなる。
そして体力が底をついてしまうと、たった一歩ですら踏み出そうにも足が動かなくなるのだ。
(戦は続く。体を休めねば……)
ブリジットは部下に命じて食事と飲み物を持って来させ、それを受け取るとその部下に言伝を命じた。
「ボルドに伝えてくれ。アタシも皆も無事だから安心しろと。戦はすぐには終わらないから、きちんと体を休めるように、ともな」
「ハッ」
ブリジットはとにかく食事を口に詰め込み、しっかりと量を食べると目を閉じて少しの間、体を休めるのだった。
☆☆☆☆☆☆
イーディスは日が暮れて暗くなった西の壁上通路を進み続けていた。
人手が足りないせいか篝火はまだ十分に行き届いておらず、視界は悪い。
だが暗闇でも目の利くイーディスは苦もなく通路の上を軽やかな足取りで歩くことが出来た。
北から西側に向かえば向かうほど見張りの兵の数は少なくなっていく。
今は東側が攻防の主戦場であり、必然的に西の防衛優先度は低くなるからだ。
(この都はまだ街の規模に対して人が少ないんだわ)
新興の都市ゆえの人口密度の低さ。
イーディスにとっては夜の闇も相まって動きやすい限りだ。
闇に閉ざされる夜は彼女の時間だった。
もう少し真西に進んでから、人通りの少ない路地を通って再び中央部の仮庁舎に向かう予定だった。
そしてその地下に潜って通路を進み、扉を開放するのだ。
招かれざる客をこの新都に招き入れるために。
その企みに細められるイーディスの目は、ふと暗闇の中に特徴的な人影を捉えていた。
(あれは……)
新都に入ってから赤毛ばかり見ていたせいで、すぐにそれが目に留まる。
夜風に靡く美しく長い黒髪。
それは美貌という点では他の女の追随を許さぬイーディスが、唯一うらやむ肉体的特徴だった。
そしてその隣に特徴的な四つん這いの人影が見えたことで、イーディスはそれが誰であるのか確信した。
壁から降りてその人物の元へ向かおうかと思ったが、用心深いイーディスはそれを思い留まる。
今自分が自由にこの新都内を動き回れるのは、特殊な化粧による変装で面が割れていないからだ
その優位性を失うわけにはいかない。
「……やれやれ。今、黒き魔女と接触しているところを誰かに見られるのはまずいわね」
そう言うとイーディスは懐から紙切れと黒鉛で作った携帯用の筆を取り出す。
そして紙に用件を書き綴ると、腰に下げている矢筒から一本の矢を取り出し、その矢に紙を結び付けた。
そして背負った弓を取り出すと、その矢文を番え、暗闇の虚空に向けて放つ。
「間違って当たったら悪いわね。ま、黒き魔女様はそんなにマヌケじゃないか」
軽薄な笑みを浮かべるイーディスの視線の先、矢は闇を切り裂いて飛んでいった。
☆☆☆☆☆☆
納屋の外に出たアメーリアは拍子抜けして首をかしげる。
少し離れた場所から周囲を取り囲んでいたと思しき敵は、彼女が外に出た途端に蜘蛛の子を散らす様にさらに遠くへと逃げてしまった。
追いかける気にもならずアメーリアは肩をすくめて嘆息する。
「向かって来る気概もないなら放っておいてほしいわね。鬱陶しい」
アメーリアの隣ではドローレスが苛立たしげに爪で土を掘り返している。
その時、頭上に広がる暗闇の空から一本の矢が飛んできて、アメーリアの数メートル先の地面に突き立った。
その矢には何やら白い紙が巻きついている。
「あら。矢文だわ」
アメーリアは矢を地面から引き抜くと、その文を広げて記された内容に目を細めた。
「……イーディスだわ。あの子も潜入していたのね。抜け目のない子」
おそらく西の方角から飛んできたと思しきその矢に結び付けられていたのは、なかなか面白い情報の記された紙片だった。
「なるほど。ブリジットのかわいい情夫くんか。ぜひ会ってみたいわねぇ」
そう言うアメーリアの口元が歪な笑みに彩られる。
「その子をワタクシが手に入れたらブリジットはどんな顔をするかしら。面白くなりそう。ねえ。ドローレス。そう思うでしょ?」
禍々しい笑みを浮かべながら、アメーリアは不思議そうな顔で自分を見上げているドローレスの頭をやさしく撫でるのだった。




