第285話 『苦しい戦い』
トバイアス軍との戦いを切り上げたブリジットは、兵たちを引き連れて北門から新都に帰還した。
2000人でこの門を出撃したが、戻ってこられたのは1800人ほどである。
だが、このくらいの死者数で済んだのは双方、苛烈な攻め合いにならなかったからだ。
統一ダニア軍は焙烙火矢を射るブリジットを守るために、トバイアス軍は投石機を守るために、それぞれ防戦に重きを置いていた。
結果、投石機による兵士の新都投入という荒唐無稽な作戦に一定の成功を収めたトバイアスは、赤毛の兵たちを連れて東へ去っていった。
そしてブリジットらも自分たちの足止めのために向かって来る漆黒の兵士らを相手にすることなく帰還したのだ。
戻って来た北門の前では残していった2000人の兵が待機している。
ブリジットの元にはクローディアからの伝令役である銀色の腕章を着けた女が駆け寄ってきて跪いた。
「お疲れ様でございます。ブリジット」
「ああ。敵投石機は全て破壊したが、トバイアスは東へと取り逃がした。作戦本部にはそう伝えてくれ。それよりあの奇妙な白い綿玉はどうなった? 中から黒い奴らが現れたはずだ」
「はい。現在、ここから少し南の中央北部でセレスト様の部隊が黒い兵士たちと交戦中ですが、多勢に無勢で苦戦しております。間もなく南からブライズ様の部隊が救援に駆けつける予定ですが状況は芳しくありません」
そう報告する伝令役の兵士にブリジットは即座に伝えた。
「ここに残っている後発隊2000人であればすぐに片付けられる。アタシが行こう」
「いえ、クローディアから言付かっております。陣頭指揮を交代するのでブリジットには作戦本部に戻って休息を取って欲しいとのことです」
「少し南ならばこのままアタシが進んだほうが早かろう」
「ブリジットとクローディアは新都を守る両輪ですから、どちらかに負担がかかり過ぎないようにとクローディアから厳しく命じられておりますので。どうかお聞き入れ下さい」
兵士の言葉にブリジットはクローディアの強い意志を感じ、仕方なく頷く。
「分かった。ではアタシの兵2000をクローディアに預けることにする」
「ハッ。それともう一つ重要な御報告があります。黒き魔女アメーリアが部下1名を連れて西の壁を乗り越え、この新都に侵入しました」
「何だと?」
思いもよらぬ唐突な報告にブリジットは顔色を変えた。
兵士は緊張に息を飲むが、すぐに報告を続ける。
「アメーリアは現在、西地区に潜伏中とのことです。ベリンダ様が交戦して負傷し、医務室に運び込まれました」
「チッ! まさかそんな少数で自ら攻め入ってくるとは……」
「ブリジットにはすぐにボルド殿の傍にお戻りになって欲しいとクローディアは仰っております」
「ボルドは……作戦本部は無事なんだな?」
「はい。クローディアが守っておられますので」
それを聞くとブリジットは振り返り、後方で控えている部下たちに告げた。
「先発隊はこのまま休息を取りつつ、北門の警備につけ。トバイアスが万が一にも戻って来ないとは限らないので油断するなよ。後発隊はここから南下して街中に入り込んだ奴らの掃討だ! アタシは一度作戦本部に戻るが、クローディアがすぐにおまえたちに合流する。以降はクローディアの指示に従え。いいな!」
「はいっ!」
部下たちの返事を聞くと、ブリジットは間近に控えるベラとソニアには別の命令を与える。
「ベラ、ソニア。おまえたちはここで体を休めてから東に向かえ。グラディスが来ている。必ず仕留めろ」
そう言ったブリジットに2人は頷く。
ベラもソニアも厳しい戦いを終えたばかりで疲れを見せていたが、その顔から戦意は少しも色褪せていない。
「必ず勝って戻る。ブリジット。黒き魔女をぶっ殺してやれ」
「ああ。アタシたち3人は勝って必ず生き残るぞ。抜け駆けして天の兵士になるなよ!」
そう言い合うとブリジットとベラ、ソニアは拳をぶつけ合い、互いの健闘を祈るのだった。
☆☆☆☆☆☆
日が暮れ落ちた夜の新都に篝火が無数に焚かれる。
赤い炎が照らし出す地面にいくつもの黒い影が蠢いていた。
漆黒の鎧を身に着けた物言わぬ兵士たちだ。
彼らは街の中を無秩序に動き回り、赤毛の女と見るや誰彼構わず襲いかかる。
この虚ろな虐殺者たちはつい先刻、白い綿玉に包まれて投石機によって新都に放り込まれた者たちだ。
落下の衝撃を綿玉が吸収しきれなかった者もいるようで、そうした者は腕や足があらぬ向きに折れ曲がっている。
それでも彼らは構わずに殺戮を続けていた。
数で圧倒される統一ダニアの女たちは、そこかしこに物言わぬ骸となってその身を横たえている。
「一ヶ所に固まれ! 互いを守り合うんだ!」
銀髪のブライズは額に大粒の汗をかきながら声を張り上げた。
両手に持つ鉄棍は度重なる敵への打撃で変形してしまっている。
ブライズは部隊を率いて南からこの北地区に到着すると、八面六臂の活躍を見せた。
ここまで彼女が打ち倒した敵兵の数は40人以上に及ぶ。
だが、それでも焼け石に水だった。
敵の数が多すぎてさすがにブライズもさばき切れなくなっている。
ブライズは後方をチラリと見た。
数百メートル後方には彼女が連れてきた黒熊狼を入れた檻がいくつも用意されている。
その後方にはロダン攻撃の際に活躍を見せた黒牙猿の群れを入れた檻も用意されていた。
だが用意できた数は黒熊狼が数十頭、黒牙猿が100頭余りだった。
ここまでの戦いで獣たちもその数を減らしており、さらにダニアの街からこの新都への移住で病んでいたり、死んでしまった個体も少なくない。
以前はダニアの街の裏山に設けられた養育場でブライズが多くの獣たちを育てていたが、獣は環境の変化に敏感だ。
気候も違う慣れない土地の暮らしに、人間以上に戸惑っていた。
(何とか戦えそうな奴らを連れてきたが、ここで投入するのは無駄死にさせるだけだ。しかしこのままじゃ……)
この戦況で獣たちを投入して大きな効果があるとは思えない。
しかも興奮した獣が味方を攻撃してしまう恐れもある。
だが味方にはすでに数十人の戦死者が出ている。
このまま戦い続ければやがて全滅するのは明らかだった。
「くそっ!」
迷いを振り払うようにブライズはそう吐き捨てると、目の前の黒い兵士の兜に鉄棍を叩きつけた。
だが、細かい亀裂の入っていた鉄棍はその衝撃に耐え切れず、とうとうへし折れてしまう。
ブライズは唇を噛みしめ、残ったもう一本の鉄棍を振り上げた。
その時だった。
「加勢するぞ!」
「黒い奴らをぶち殺せ!」
そうした声が響き渡り、前方から地鳴りのような音を響かせて大勢の騎馬兵が押し寄せてくる。
統一ダニアの旗を翻しながら赤毛の兵士たちが馬に乗り、駆けつけたのだ。
その数は漆黒の兵士たちを上回っている。
ブリジットの姿こそなかったが、それが本家の者たちだとブライズにはすぐに分かった。
「へっ! 来るのが遅いんだよ!」
ブライズはその顔に笑みを浮かべながら、残った鉄棍で目の前の黒い兵士の頭を兜ごと叩き潰した。




