第283話 『夕暮れの新都』
日が西の地平線に向けて徐々に落ちていく。
赤い西日が差し込む新都の中央に、多くの人が集まっていた。
仮庁舎前の作戦本部。
クローディアの元に北から報告に走って来た女兵士が跪いている。
「北地区に多くの黒い兵士たちが姿を現しました。奴らは信じられないことに、投石機で飛ばされて空から侵入してきたのです」
その報告をする本人ですら、自分の言葉の荒唐無稽さに目を白黒させている。
白い綿のような物が無数に空から降って来て、城壁を超えてこの新都の街中に落下した。
その白い綿玉の中から漆黒の鎧を着た兵士たちが姿を現したのだという。
その報告にオーレリアとウィレミナは戸惑いの表情を浮かべるが、クローディアは表情を変えずに頷いた。
「にわかには信じ難い話だけど、実際に敵兵はこの新都に侵入してきた。対処しなければならないわ」
「は、はい。しかし敵兵の数は1000人を超えており、手薄な北地区の部隊では対処しきれません。現在、南地区からブライズ様が兵を引き連れて北地区へ急いでおられますが……」
「北はセレストが守っている。彼女なら間違った判断はしないわ。すぐにここからも人を送りましょう」
クローディアがそう指示したその時、西側から赤毛の女たちを乗せた十数頭の馬が作戦本部に向かってきた。
その一番最後の馬には、馬の背にグッタリともたれかかる銀髪の女の姿がある。
その銀色の髪の持ち主は、クローディアの従姉妹の末妹ベリンダだった。
☆☆☆☆☆☆
「ボルド様。大丈夫ですか?」
小姓が思わずそう心配してしまうほど、ボルドの顔には疲労の色が滲んでいた。
仮庁舎内の避難室の中、ボルドは黒き魔女アメーリアの動向を探り続けていた。
それは黒髪術者としての特殊な能力を駆使しての作業であり、常人には彼が何をしているのか見ても分からないだろう。
だが、その力を使えるボルドには感じるのだ。
だいたいの位置と距離ではあるが、アメーリアがこの新都内でどのように動いているのかということを。
しかしそれは代償の伴う行為だった。
アーシュラのように昔からその能力を使い慣れているわけではないボルドは、頭と体にかかる負担に悩まされていた。
常に頭を回転させ続けているかのようであり、脳への負担とそれによる体にかかる疲労の蓄積が彼を苦しめるのだ。
特にアメーリアは強烈な悪意を放つ存在であり、ボルドにとっては耐え難い悪臭のようにさえ感じられる。
本当ならばすぐにでもその気配を遮断したいくらいだった。
「ボルド様。ひと休みして下さい。顔色が優れないようですし」
そう言うと小姓は水を注いだグラスを彼に差し出した。
ボルドはそれを受け取るとゴクゴクと飲み、大きく息をつく。
水が喉から胃に落ちていく心地よい感覚をじっくりと味わうと、頭の重さが少しだけ和らいだ。
アメーリアの気配を探るようになってから、それが常に頭に重くのしかかり、まるで逆にアメーリアの意識に引っ張られているかのようにさえ感じられていたのだ。
泥の沼にハマッているような感覚だった。
だがアーシュラとの訓練でこうした状況から脱する方法は教わっている。
何か別の事に意識を集中させると、頭で感じている気配から解放されるのだ。
五感で感じられることのうち、味覚は比較的自分の意識を引き戻しやすいとボルドは知っていたので、水を飲んだ後に自分の荷物から干した杏子を取り出してひとかじりした。
甘さと酸味が舌を刺激し、ボルドはようやく落ち着きを取り戻す。
「ふぅ……ありがとうございます」
小姓にそうお礼を言うと、自分で感じ取った事を彼に報告した。
「アメーリアはまだ西にいます。距離を詰められてはいません」
もしかしたらどこかに隠れて休息を取っているのかもしれないとボルドは思った。
「少し休憩したら引き続き探索します」
「ボルド様。無理はされないほうが……」
表情を曇らせ懸念を口にする小姓だが、ボルドは首を横に振った。
「いえ。私が休んでいる間にもアメーリアが近付いてきたら大変ですから」
ブリジットもクローディアもその他の皆も気を張ってがんばっている。
自分も役に立てることがあるのだから、多少の無理をしてでも力を尽くしたい。
そう思ってボルドは少しの時間だが、頭と体の疲労を取るべく、壁に背を預けて腰を下ろすと静かに目を閉じるのだった。
☆☆☆☆☆☆
「ベリンダ!」
作戦本部に戻って来た従姉妹のベリンダが左腕に手ひどいケガを負っているのを見たクローディアは、思わず声を上げて彼女の元へ駆け寄った。
跪き頭を垂れるベリンダの左腕にはきつく包帯が巻かれているが、それは血を吸って真っ赤に染まっていた。
出血量がこれだけ多いということは、傷がそれほどひどいということだ。
「面目ありませんわ。クローディア。黒き魔女にちょっかいを出すなと言われていたのに……このザマです」
そう言って歯を食いしばるベリンダは、額に脂汗をかいている。
痛みが相当にひどいのだ。
クローディアは懐から取り出した柔らかな布でベリンダの額を拭うと、首を横に振る。
「よく生き残ったわね。何も気にせず、今は傷の治療に専念しなさい。まだこの先、あなたの力や知識が必要になる時が来るわ」
そう言うとクローディアはベリンダをすぐさま仮庁舎内の医務室に運ぶように部下たちに命じる。
だが、そんなクローディアにベリンダは言った。
「お待ち下さい。状況の説明を……」
「それは医務室で聞くから。行くわよ」
そう言うとクローディアはベリンダを伴って医務室へと向かった。
☆☆☆☆☆
「チッ! またあいつらかよ!」
ブライズは前方に不気味な漆黒の兵士たちが見えてくると、忌々しげにそう吐き捨てた。
先日よりブライズは南地区を守っていた。
当初、南から向かって来た南ダニア軍は南側の城壁前に一部の兵力を残して東に回ったが、その残っていた部隊も少し遅れて全て東側に回っていった。
南側に当面の脅威は無くなったため、ブライズは東への移動を考え、クローディアの許可を得ようとしていたのだ。
そんな折、街中に侵入者が現れたという話を聞き、ブライズは兵たちを率いて馬を飛ばし、新都内を南北に縦断する街道を通って北地区へ向かったのだ。
今、北地区では紅刃血盟会の評議員セレストが隊長を務める部隊が、黒い兵士らに押されてジリジリと後退していた。
敵の数が圧倒的に多いため、勝負になっていない。
「セレスト! 待たせたな!」
「ブライズ様!」
ブライズが兵を率いて駆けつけてくれたことで、セレストを初めとする北地区の兵たちが歓喜の声を上げる。
ブライズはその声に応え、馬から勢いよく飛び降りると、両手に鉄棍を握り、黒い兵士に襲いかかった。
「くたばりやがれ!」
ブライズは黒い兵士の頭に横から自慢の腕力で鉄棍を叩きつけた。
グシャっという鈍い音が鳴り、黒い兵士の鉄兜が哀れにひしゃげる。
頭部を破壊された黒い兵士は倒れて動かなくなった。
「頭を叩き潰してやれ!」
部下の兵士らにそう叫びながら、ブライズは多勢に無勢の状況をものともせず、果敢に攻撃を仕掛けていくのだった。




