第208話 『凶刃』
「これはこれは。お邪魔してますよ。十刃長ユーフェミア殿」
不敵に笑いながらそう言ったのは目が大きく、形の良い眉をした美しい顔立ちの赤毛の女だった。
ユーフェミアは即座に腰帯に差した鞘から剣を抜き放つ。
「この天幕に勝手に入る愚か者はこの本家にはいないはずだが……名を聞こうか?」
「ええ。入口に御大層な10本の剣の紋章が縫い付けられていましたね。なかなか自己顕示欲の強い御方のようで。まあ、そうでなければ十刃長という立場まで上り詰められませんか」
そう言うと女は害意が無いことを示す様に両手を頭の横まで上げて立ち上がる。
その顔を見ると、まだ若い女だった。
ブリジットよりも少し上くらいだろうか。
「私はイーディス。今日はご挨拶に伺いました」
イーディスと名乗る女の発音は、分家の訛りに近かったが、少し堅めの発音は分家のそれとは微妙に異なる。
そしてイーディスはダニアの女がほとんど身に着けることのない腰衣を履いていた。
例外的に分家の華隊の面々は色仕掛けのために腰衣を履いていたが、目の前にいる女は美しい顔立ちではあるものの、その体はしっかりと鍛えられて筋肉に覆われている点が、華隊の女たちとは異なっていた。
ユーフェミアは眉を潜める。
(やはり……他所から来た女だ)
何か……嫌な感じがした。
初めて会う相手に警戒心を高め、ユーフェミアはイーディスの挙動から目を離さぬよう集中しながら言う。
「当ててやろう。貴様は黒き魔女アメーリアの配下の者だな。砂漠島とやらからわざわざ海を越えてきたのか。難儀なことだな」
「ご存じでしたか。さすがはユーフェミア殿。やはりあなたは本家の屋台骨だ。あなたという存在が本家にとって、ブリジットにとってどれほど大きな存在か、私でも分かります。だからね……」
そう言うと次の瞬間、イーディスはあまりにも素早い動作で飛び上がり前方宙返りを見せたかと思うと、着地後は逆に地を這うようにしてユーフェミアに襲いかかった。
そしていつの間にか手にしていた短剣を、ユーフェミアの太もも目がけて下から突き上げる。
その幻惑的な動きに意表を突かれたかに思えたユーフェミアだが、下から向かって来るイーディスの短剣を抜き放った剣の柄で打ち払うと、そのままイーディスを蹴り飛ばした。
「舐めるなよ。小娘が」
蹴り飛ばされたイーディスは後方の地面にひっくり返ったが、すぐさま飛び起きる。
だが、その顔には変わらぬ挑発的な笑みが浮かんでいた。
「へぇ。すごいですね。ブリジットに剣技を教えた指南役と聞いていたその噂に違わぬ腕前です。でも……10年早くあなたと戦いたかった」
イーディスがそう言った瞬間、ユーフェミアは背中と両足に強い衝撃を受けた。
「うぐっ……」
何かが背後から飛んできて自分の背中と両太ももの裏に突き刺さったと感じた瞬間、ユーフェミアは痛みに構わずに剣をイーディスに向かって突き出した。
だが、太ももに刺さっている物のせいで動きに違和感が出てしまい、その剣筋が鈍っていたのだ。
素早く半身になってこれをかわしたイーディスは鋭く短剣を前方に突き出す。
その刃は……ユーフェミアの胸に深々と突き刺さった。
「かはっ……」
「あなたはすでにダニアの女として強さの峠を越えていた。全盛期ならば今の一撃はかわせていたかもしれませんね」
そう言うとイーディスは無慈悲にその刃をグイッとさらに奥深く押し込む。
刃を正確にユーフェミアの心臓に突き刺したのだ。
ユーフェミアは両目を見開き、震える手でイーディスの肩を掴もうとした。
だがイーディスはユーフェミアの胸から刃を引き抜き、その体を足で蹴り飛ばした。
凶刃を急所に受けたユーフェミアは成す術なく仰向けに倒れた。
「ごほっ……」
喉の奥からせり上がってきた血がユーフェミアの口と鼻から噴き出る。
そんな彼女を見下ろしてイーディスは目を細めた。
「おやおや。最初のご挨拶がお別れのご挨拶になってしまいましたね。私がこの天幕に入ってから30分ほど。準備をしておくには十分な時間でした。罠の準備をね」
息も絶え絶えの苦しみの中でユーフェミアは悟った。
イーディスはあらかじめ仕掛け矢のようなものを天幕の中に用意していたのだろう。
それが背後から自分を襲ったのだと。
そして一瞬の隙を突いて、自分の急所を刺したイーディスという女の腕前が相当なものであると。
(ぬかった……これが……アタシの人生の終着点……か)
せめて最後に大きな声を上げて誰かに敵の侵入を知らせたかった。
だが、胸の奥からせり上げる血が肺に入り込み、声を上げることも出来ない。
ふいにユーフェミアの脳裏にボルドの顔が浮かんだ。
(彼を……無実の咎で処刑しようとした……天罰か)
そして次に養子であるウィレミナの顔が浮かぶ。
彼女の人生が幸多きものであることを祈らずにはいられなかった。
(ウィレミナ……どうか立派に育ってくれ……)
さらには亡き同輩であるリネットの顔が浮かび上がった。
(リネット……アタシもいよいよ天の兵士に……)
そして消えゆく意識の最後に浮かんだのは、彼女がその生涯をかけて育て、仕えた誇り高き女王の顔だった。
(ブリジット……どうか、ご武運……を……)
ユーフェミアの目から光が消えるのを確認したイーディスは、息をしなくなった標的の遺体を後に残して、天幕から風のように去って行った。
女王ブリジットに仕え、ダニア本家を政治・軍事の面から支えた十刃長ユーフェミアは、志半ばにしてその生涯に幕を下ろしたのだった。




