第274話 『迫り来る脅威』
「北門からブリジット率いる部隊が出撃したらしいぞ」
「いよいよだな」
新都の西側城壁の壁上通路で防衛任務に当たっている兵士らの間にも、ブリジット出撃の報が届き、赤毛の女たちは皆その顔に戦意をみなぎらせた。
その時、1人の兵士が声を上げる。
「おい! 何か近付いて来るぞ!」
その声に皆、前方に目を凝らした。
昼近くなり風が強くなってきたせいで、平原の砂が巻き上げられて視界が悪くなっている。
そんな中、2つの影が新都に向かって猛烈な勢いで駆け込んで来るのが分かった。
それは1つは人間で、もう1つは獣のように見える。
「何だありゃ……?」
砂煙の舞う中、その影が300メートルほどのところまで近付いてきて、ようやく分かった。
猛然と駆け寄って来るのは黒い髪の女と、奇怪にも四足歩行で平原を駆ける赤毛の女だったのだ。
兵士たちは息を飲む。
敵軍で黒髪といえば1人しかいない。
「く……黒き魔女アメーリアだ!」
誰かがそう声を上げると、弾かれたように女達が弓矢を構えた。
全員、緊張で顔が強張っている。
「い、射殺せぇぇぇ!」
その声を合図に一斉に矢が放たれる。
迫り来るたった2人の敵に無数の矢が雨あられと降り注いだ。
☆☆☆☆☆☆
岩山まで残り100メートルほどまで迫ったところで頭上から矢が降り注いだ。
城壁の上という高所から放たれた矢は放物線を描いて長い距離を飛ぶ。
だがアメーリアはそれをものともしない。
鋭いステップで次々と矢をかわすと、頭上に迫る矢を平然と手甲でへし折った。
彼女の後をついてくるドローレスなどは圧巻の動きを見せる。
黒熊狼に育てられた彼女は、それこそ本物の獣のように敏捷に矢をかわしていく。
そしてその足腰はダニアの女ゆえの強靭さで、どんなに走り続けても疲れを見せない。
2人は矢を避けると一気に岩山の下層部から足場を伝って上へ上へと登っていく。
その間も矢は放たれるが、2人には一向に当たらない。
頭上からダニアの女たちの苛立った声が聞こえてくる。
「くそっ! しっかり狙え! 集中して浴びせかけろ!」
そうこうする間にアメーリアもドローレスも岩山を登り切り、いよいよ城壁に取り付いた。
「ここからが本番よ。ドローレス。ついて来なさい。撃ち落とされないようにね」
そう言うとアメーリアは手甲の突起を壁面に食い込ませ、一気に壁を登っていく。
上からは弓矢をあきらめた統一ダニア軍の兵士たちが、拳大の石を次々と投げ落として来た。
だがアメーリアは壁を右へ左へと器用にすばやく移動しながらどんどん上っていく。
下を見ることはしないが、ドローレスも同じようについて来ているのを感じた。
そして残り2メートルとなったところで、アメーリアは一気に加速して……ついに壁を登り切った。
「こ、このっ!」
その壁の上で投石を試みようとしていた女兵士が慌ててアメーリアに掴みかかる。
だがアメーリアはその女の顔を殴り付け、首を掴むと壁の下へ放り投げた。
「邪魔よ」
「うおあああああっ……」
ついに黒き魔女の侵入を許した壁上通路では、女兵士たちが剣を抜いて一気に襲いかかった。
だがアメーリアは両手にはめた手甲でそれらを受け止めると、手の平の突起を女たちの顔面に次々と叩きつけていく。
「ぎゃっ!」
アメーリアの膂力と鋭い突起に顔を叩き潰され、何人もの女兵士が昏倒して動けなくなる中、後から登ってきたドローレスもついに壁の上に到達した。
「ドローレス。それ、外していいわよ」
アメーリアが自分の手甲を外しながらそう言うと、その様子を見たドローレスは嬉々として自分の両手から手甲を外す。
そうして身軽になったドローレスの異様な風貌に、周囲の女たちは目を剥いた。
「な、何だこいつ……」
四つん這いで通路の上に立ち、ギラギラとした目を周囲に向けている。
その口からは涎が垂れていた。
呆気に取られる兵士たちに、ベテランらしき中年の女兵士が声を荒げた。
「ボサッとするな! その女も敵だぞ! 叩き殺せ!」
その声に弾かれたように女兵士らが武器を手にドローレスに襲いかかる。
だがドローレスは誰もが予想し得ないほど速く動いた。
振り下ろされる剣をサッとかわし、ドローレスは飛び上がり際に敵の首を鋭い爪で切り裂いた。
「ぐああああっ!」
首を深く切り裂かれた女兵士は、盛大に血を噴き出してその場に崩れ落ちた。
同じようにドローレスが次々と敵に飛びかかり、そこかしこで血の雨が降る。
それを見たアメーリアはニヤリと笑った。
彼女の爪は人間とは思えないほど固く、先が鋭く尖っている。
幼少期から長年に渡る狼としての暮らしが彼女の体のあちこちを著しく変質させていた。
そして何より誰もが、このような異様な相手と戦う経験は皆無だった。
統一ダニアの女たちは不慣れな敵を相手に苦戦を強いられる。
そしてアメーリアは倒れた女兵士らが落とした剣を拾い上げ、左右の手に1本ずつ握った。
「武器を持って来なくて正解だったわね。ここならいくらでも拾い放題だもの」
そう言うとアメーリアは身近な敵兵を次々と斬り捨てていく。
アメーリアの斬撃は凄まじく、女兵士たちは次から次へと首を飛ばされて死体となって転がった。
壁上通路のため広さはそれほどなく、一度に襲い掛かれる人数も限られてくる。
その状況もアメーリアたちに味方をし、統一ダニア軍の女兵士らの死体はあっという間に20〜30人と積み上がっていく。
一方のドローレスは返り血を浴びるほどにその闘争本能が刺激されるのか、徐々に顔が赤く上気し、興奮の度合いを強めていった。
そして彼女の動きはますます速くなっていく。
ドローレス本人は知る由もないが、先ほどアメーリアが与えた干し肉には興奮剤が含まれていて、それが効果を発揮し始めたのだ。
それを見たアメーリアは口元に笑みを浮かべながら内心では冷静に計算する。
(いい感じね。しばらくは踊れそうだわ。けど、どこかで次の一手を打たないとならないわね)
アメーリアにとって戦士を数十人斬ることは簡単なことだ。
だが、それが数百人ともなれば話は別だった。
黒き魔女などと呼ばれる彼女とて人間であり、その体力は無限ではないのだから。
アメーリアは戦いながら新都の街の中を見下ろした。
建築途中の建物や多くの天幕があり、隠れ潜んで一息つけそうな場所はいくつもあった。
何より自分が街の中に入ってしまったほうが敵にとっては嫌だろう。
そう考えたアメーリアはドローレスに声をかける。
「ドローレス! ついてきなさい!」
そう言うとアメーリアは周囲の敵兵を蹴散らして、一気に壁上通路の欄干を飛び越え、壁の内側へと身を踊らせた。




