第261話 『アーシュラの決意』
アーシュラは窓枠から顔だけを覗かせ、仮庁舎の2階から広場を見下ろした。
そして拘束されて広場に跪く中年の男性の顔を見つめる。
面識はないが、あの赤毛は確かにダニアの男の特徴だ。
(砂漠島の人……クライド叔父さんの部下かもしれない)
そんなことを考えているとクローディアが会議室に戻ってきた。
手には一通の手紙が握られている。
「アーシュラ。あなたの幼馴染のデイジーからよ。悪いけれど女王として事前に内容は読ませてもらったわ」
そう言うと彼女はアーシュラに手紙を手渡した。
その表情が自分への気遣いを滲ませていたことから、アーシュラは悟った。
その内容が決して良いものではないことを。
そして静かな気持ちで手紙の中身に目を通す。
そこには……クライドの死が記されていた。
彼はアメーリアの部下であるグラディス将軍に殺され、彼の元に集まった反アメーリア派の勢力は解体された。
デイジーらはアメーリアの配下に組み込まれ、こちらに進軍中だ。
またクライド一派の8割以上が、砂漠島の離れ小島である監獄島に収容されているとのことだった。
そこまで目を通したアーシュラは一度目を閉じ、深く息をつく。
クライドは叔父だが深い付き合いはない。
幼い頃に大陸に渡ってきたアーシュラにはほとんど彼の記憶がなく、再会した時もクライドの喜びように比べてアーシュラは喜べなかった。
だが、それでも父の弟であるクライドがアメーリアの部下の手で殺されたことに、アーシュラは深い悲しみと強い憤りを覚えた。
父が死に、母が死に、そしてまた叔父が命を奪われた。
悔しくてアーシュラの胸にアメーリアへの怒りが湧き上がる。
「アーシュラ……」
アーシュラを心配してクローディアは彼女を気遣う表情を見せた。
だがアーシュラは気丈に顔を上げる。
「大丈夫です」
そう言うとアーシュラは手紙の後半に目を通した。
そこには驚くべきデイジーの思惑が記されていた。
そして手紙の最後には剣を模した下手な絵が描かれている。
それがアーシュラのささくれ立った心を少しだけ慰めてくれた。
(デイジー……絵だけは上手くなってない)
デイジーの筆跡については正直なところ分からなかった。
アーシュラが彼女と一緒にいたのは子供の頃であり、成人した今となっては字体も変わっているだろう。
だが最後に描かれた剣の絵は、彼女が子供の頃によく描いていたものだとアーシュラは覚えている。
デイジーは絵の才能は皆無だが、剣が好きでよくこの下手な絵を描いていた。
「間違いなくデイジーの書いた手紙です」
「そこに書かれたことを実現できると思う?」
クローディアの問いにアーシュラはしばし口を閉ざして考え込む。
デイジーの思惑。
それは旧クライド派による反乱だ。
デイジーを初めとする旧クライド派の戦士たちが南ダニア軍から離反して、統一ダニアに味方するという大胆な内容だった。
アーシュラは表情を曇らせて言う。
「クライド派は黒刃の者たちに厳しく監視されているはずです」
その言葉だけでクローディアは見通しの厳しさを悟った。
アメーリアはもともと敵だった者たちを力で屈服させ、自分の配下とした。
クライド派の者たちがその胸に不満を抱き、いつでも反乱分子に変貌する恐れがあることを承知で、彼女らを自軍に組み込んだのだ。
黒刃というのはアメーリアの直属部隊であり、彼女たちがクライド派を厳しく監視しているのだ。
「デイジーたちは分散して各部隊に組み込まれました。一部隊における元クライド派の比率が極端に少ない以上、彼女たちだけで反乱は不可能です」
「だからデイジーは砂漠島から新たに呼び寄せられる勢力を利用しようと考えたわけね。でも、そう上手くいくかしら?」
砂漠島からの最後の増援として呼び寄せられる勢力は、監獄島に収容されていた者たちだ。
その数は1万人。
そのうち8割が元クライド派だという。
デイジーからの手紙によれば、彼女らは恩赦により監獄から解放される前に、クライドへの恩義を捨ててアメーリアへの忠誠を誓うことを求められた。
そうすれば監獄から出られるのみならず、今後の身分と生活を保証されるという甘言付きだ。
これに反発したのはクライド派の中でも特にクライドに近しい者たちだった。
だが彼女たちは見せしめのために、その場で処刑された。
その恐怖により、残ったクライド派の者たちはアメーリアに屈し、その軍門に下って外に出ることを選んだのだ。
「難しいと思います。ただ……従わなければ殺すというアメーリアの脅迫に屈して仕方なく従っている彼女たちですから、憎きアメーリアを倒す芽があると感じ取れば、こちらに味方してくれる可能性はあります」
デイジーもそのことを期待し、アメーリアに反旗を翻しやすくなる空気の醸成をブリジットやクローディアに求めている。
金と銀の女王の軍勢につけば、あの憎らしい黒き魔女を倒せそうだぞ。
元クライド派の者たちにそう思わせることが出来るかどうか。
そこにかかっている。
だがアーシュラは幼馴染からの手紙にも冷静だった。
「ですが監獄島の囚人のうち2割はクライド派とは関係のないただの罪人です。アメーリアはおそらくその2割の者たちには別の条件を提示して、クライド派を監視させるはずです。おかしな動きがあればすぐにアメーリアの元に報告がいくでしょう」
当然だとクローディアは思った。
アメーリアは馬鹿ではない。
自分に対して反乱を起こすかもしれない者たちをわざわざ監獄から解放するからには、彼女たちが確実に戦力になるよう手を打っているはずだ。
そしてアーシュラは努めて冷静な顔でさらに言葉を重ねる。
「あるいはこの手紙自体が罠の可能性もあります。元クライド派の者たちもすっかりアメーリア派に宗旨替えしていて、寝返ったフリをして我々を内部から崩そうとするかもしれません」
味方のフリをして相手の懐に近付き、その息の根を止める二重の間者だ。
クローディアもその危険性は考えていた。
全てがアメーリアの指示だとしたら、自分たちはまんまと踊らされることになる。
「その場合、デイジーは……」
「彼女もすでにアメーリア側についている可能性もあります。そうではないと……信じたいですが」
アーシュラは少し寂しげな目でクローディアを見つめた。
難しい判断だ。
1万人のうち監視役の2千人を排除できれば残り8千人が味方につく。
それは魅力的だが、現実には難しいだろう。
それを成すためには同じく1万人規模の派兵が必要になる。
ロダンから南ダニア軍がこちらに向かっている今、防衛戦力を減らすわけにはいかない。
そんなことをすればアメーリアの思うつぼだ。
「デイジーが砂漠島から来る元クライド派の者たちを説得して味方につけ、友軍になってくれる。それを期待する他ないわ。他力本願だけど」
その8千人を味方に引き入れるために1万人を派兵するなら、敵に1万人が加勢しようとも、ここで守りを固めるほうが得策だ。
防衛に適したこの新都で戦うほうが勝機はあるだろう。
「とりあえず下に降りましょう。ブリジットも含めてチャドと話をしないとね」
そう言うとクローディアはアーシュラを伴い、足を踏み出す。
そんな主をアーシュラは呼び止めた。
「クローディア。お願いがあります」
そう言うアーシュラの顔には切実な色が滲む。
「どうしたの? アーシュラ」
「ワタシを……デイジーの元へ向かわせて下さい」
意を決してそう言うアーシュラに、クローディアは驚きの声を漏らすのだった。




