第206話 『束の間の旧交』
「ボルドさん。あんな崖から落ちてよく死ななかったっすねぇ」
そう言うとナタリアは美味そうに鶏肉と野菜のスープをかき込んだ。
彼女の背中には痛々しく包帯が巻かれている。
先日の宴会場での戦闘時に背中を斬りつけられて負った傷だ。
その場でソニアがすぐに適切な応急処置を行ったおかげで、ナタリアは今こうして命があるのだった。
「おまえが言うな」
ベラは呆れた顔でナタリアに匙を向ける。
分家との初会談から戻って数日、今はベラとソニアの天幕の下でベラ、ソニア、アデラ、ナタリーとナタリアの5人がボルドを囲んで食事をとっていた。
戻ってから何かと忙しく、旧知の皆でこうして接する機会があまりなかったため、ベラが皆に声をかけてこの機会を作ったのだ。
ブリジットは快くボルドを送り出し、自分は十刃会との会議に赴いている。
とはいえ、あまりゆっくりはしていられない。
午後にはボルドやベラ、ソニアはブリジットと共に出かけなければならないのだ。
つい昨日、このダニア本家に文を携えた公国の使いが現れた。
それは警告文書だったのだ。
公国領の南岸に位置する漁村が、赤毛の女の大集団に襲われた。
その犯人ではないかと疑いがかけられ、ブリジットには公国への出頭要請が出されたのだ。
今、ブリジットはユーフェミアら十刃会とその件で最後の打ち合わせを行っている。
午後にはすぐにここを発ち、分家のクローディアと緊急会談を設けるべく待ち合わせの場所へ向かわなければならない。
ボルドにとっては今は仲間の皆と語り合える貴重な時間だった。
彼は自分が生き残った経緯をあらためて皆に説明した。
皆がその話を聞いて面白おかしく囃し立てる中で、ソニアだけはムスッとした顔で食事を口に詰め込み、それを葡萄酒で流し込むとボルドをジロリと見ながら言う。
「おまえは二度と崖に立つなよ。ボルド」
「は、はい……」
天命の頂でボルドが自ら身を投げたことをソニアは怒っているのだ。
まさかあの宴会場の谷戸で再び崖同然の急斜面から飛び降りたことは言えないとボルドは思った。
「ボルドさん。分家ではひどい扱いは受けなかったのですか?」
アデラは心配そうにそう尋ねながら、匙で兎肉を口に運んだ。
鳶隊の彼女は鳥をかわいがる余り、鶏肉を食べられない。
鳶隊にはそういう者が少なくないので、鶏肉以外の肉を使った料理も日常的に給仕されていた。
「はい。軟禁状態ではありましたけど、良い待遇でした」
新都から分家の本拠地であるダニアの街に移送された後は自由こそなかったが、それでも捕虜ではなく客人待遇だった。
「そりゃボルドは大事な人質だからな。丁重に扱うだろうさ。腑に落ちないのはクローディアがボルドを直接ブリジットに会わせようとしていたことだな」
ベラはゴロッとした鶏肉を頬張りながらそう言う。
ボルドは直接クローディアからその考えを聞いたわけではないので彼女の真意は分からないと前置きをした上で言った。
「私を人質のように扱うことでブリジットに不信感を与えてしまうのではないかと懸念したんじゃないでしょうか。クローディアはブリジットとの協力関係を何としても実現させたがっていたように思えます」
結果としてブリジットは様々なわだかまりを乗り越え、クローディアとの協力体制を築くことを女王として決断した。
それが正しいかどうかは、後に証明されるだろう。
ボルドらが食事を終える頃に、十刃会との打ち合わせを終えたブリジットが天幕に戻って来た。
「食事は終わったか。ベラとソニア、そしてボルドは予定通りアタシについて来い。それからアデラも一緒に来てくれ」
突然の指名にアデラは驚いた顔を見せる。
そんな彼女にブリジットは告げた。
「おまえ。クローディアの腹心の部下を救ったらしいな。随分と感謝していたぞ。直接、礼を言いたいのでぜひ会いに来てくれとクローディアの文に書かれている」
アデラはその言葉におずおずと頷き、立ち上がった。
「ええ~? アタシらも行きたいっす」
「行きたいっすよ」
口を揃えてそう言うナタリーとナタリアをベラが睨みつける。
「怪我人は寝てろ。傷にバイ菌が入ると背中から腐って死ぬぞ。ナタリーは相方が腐った肉の塊にならねえよう、せいぜい見張っとけ」
そう言うベラに双子は嫌そうな顔をしながら、仕方なく皆を見送るのだった。
「やれやれ。ガキどもめ。そういえばブリジット。裏切者はどうしたんだ?」
そう尋ねるベラにブリジットは肩をすくめる。
裏切者。
本家の人間でありながら、あの戦場でブリジットに斬りかかった恐れ知らずの不届き者たちだ。
あの戦場で死んだ者もいるが、2名の若い女戦士が生き残り、捕らえられている。
「とりあえず拘束している。だが取り調べはなかなか進んでいない。薬物の影響でどうにも要領を得ないことばかり言っているからな」
容疑者2名は薬物の禁断症状が出ているらしく、まともに会話も出来ない状態だという。
「そんな妙な薬を一体どこで手に入れたんだ?」
ベラは不思議そうにそう呟く。
「同族の女にもらったと言っていた。それが本当のことなのかどうかはまだ分からん。もう少し奴らの薬が抜けてからでないと取り調べにならんな」
ブリジットはしかめっ面でそう言った。
とにかく真相を究明して二度と同じことが起きぬよう対策を徹底しなければならない。
同じ戦場で背中を預けて共に戦うはずの仲間から、背中を斬りつけられたのではたまらない。
そんなことが起きれば実害を見過ごせぬことは無論として、それ以上に恐ろしいのは一族の中で疑心暗鬼が起きて、皆が戦場で満足に戦えなくなってしまうことだ。
そうした不安を振り切るようにブリジットは言った。
「我らダニアは世界から見れば身寄りの少ない一族だ。それゆえに一枚岩であらねばならん。裏切者を出すようなことは断じてこのアタシがさせない」
きっぱりとそう言い切るブリジットに皆が頷いた。
だが……不安要素は裏切者だけではない。
公国の南岸に上陸したと言われる赤毛の女集団。
その話が真実なら、間違いなく以前にクローディアから聞いた砂漠島のダニアだろう。
その者たちの真意は分からないが、敵に回ればこれほどの脅威はない。
クローディアが早急に自分と話したいという気持ちは分かる。
(こうなると先日、ああしてクローディアと顔合わせをしておいたのは正解だった。今から関係を構築するのでは遅過ぎる)
ブリジットはそんなことを思いながら馬車に乗り込む。
御者2人と護衛の騎馬兵4人。
それ以外には幌付きの荷台に乗り込んだブリジット、ベラ、ソニア、アデラ、そしてボルドの5人という少人数での移動だった。
十刃長のユーフェミアには留守を任せてある。
皆を乗せた馬車はクローディアとの待ち合わせ場所に向けて走り出した。