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第258話 『女王の多忙な一日』

 ブリジットの一日は忙しい。

 朝一番、日の出の時間にはすでに彼女はベッドにいない。 

 まどろむボルドを1人残して、剣を手に外に出る。

 そこにはベラとソニアが各々の武器を手に、ブリジットを待っていた。


 毎朝の訓練だ。

 多忙なブリジットから稽古けいこをつけてもらうには、この時間しかない。

 それでも訓練にあてられる時間は1時間に満たなかった。

 ベラとソニアは短い時間でブリジットからひとつでも多くを学ぼうと、鬼気迫る表情で武器を振るう。


 ブリジットはグラディスという女の特徴を聞き、2人が彼女に勝つことに特化した訓練を行った。

 必ず2対1で戦う、というのが条件だ。

 3人の訓練は真剣で行われ、一つ間違えれば大ケガにつながるため、3人ともとにかく集中していた。

 

 それが良い効果をもたらし、ブリジットは2人の腕前がこの短期間で相当に洗練されてきたことを感じていた。

 彼女たちに死んで欲しくない。

 この戦いを生き延びて共に笑い合いたい。

 その一心でブリジットは2人に厳しい稽古けいこをつけるのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


「さて……汗を流してボルドと朝食を済ませたら登庁だな。目が回りそうだ……ん?」


 ベラとソニアの訓練を終えて自分の天幕に戻る途中、ブリジットはふと城壁の外を飛ぶ鳥の群れを目にした。

 鳥の群れはまるで川の流れのように、ひとすじの帯となって空をめぐっていた。

 その動きが気になって、城壁の内側に設営された階段を上って、壁上通路に出てみる。

 すると壁の外では1人の少女が不思議ふしぎ抑揚よくようの口笛を吹きながら鳥を操っていた。

 鳥たちは空中から雷のごとく高速で舞い降りて来て、地上すれすれで羽をひるがえして再び空に上って行く。

 ブリジットもよく知るその少女の鳥使いの腕前は他に類を見ぬほど達者なもので、ブリジットも思わずうなった。

 

「天雷か……見事なものだな。アデラ」


 それは古くから伝わる鳥使いの奥義だ。

 鳶隊とびたいの中でもアデラの能力は突出していた。

 まるで鳥たちとたましいを一体化させているのではないかと錯覚するほど彼女は自在に鳥を操り、鳥の方も彼女の指示に従って一糸いっし乱れぬ動きを見せている。

 まだアデラが成人前に奥の里で過ごしていた時、ブリジットは彼女の能力に目を付けた。

 その時もこんなふうにまだ早朝で人の目が少ない中、彼女は体中に小鳥たちをまとわりつかせながら1人で遊んでいたのだ。


 その朝の衝撃をブリジットはまだ鮮明に覚えていた。

 アデラが口笛を吹くと、それに合わせて鳥たちは色々な形で宙を舞っては地面の上に舞い降り、そこで様々な隊列を組んで整列し始めたのだ。

 まるで鳥の軍隊のようだった。 

 ブリジットはその光景に我が目を疑い、その日から彼女に注目するようになったのだ。


 だがアデラにはその特異な能力とは裏腹に弱みもあった。

 ダニアの女にしては性格が優し過ぎるのだ。

 人を押しのけて前に出るような欲もない。

 そして他人とのコミュニケーションを苦手としていた。


 ある日、奥の里での鳶隊とびたいの訓練に参加したアデラを見た時、ブリジットは愕然がくぜんとし、これではいけないと思ったのだ。

 アデラは訓練中、まったくその能力の欠片かけらも見せようとはしなかった。

 周囲の者たちの水準に合わせた技術だけを披露ひろうしていたのだ。

 おそらくその技術の高さの片鱗へんりんを見せて周囲にうとまれることを嫌ってのことだろう。

 実際、彼女はその能力を嫉妬しっとされ一部の者たちから目を付けられて、ぞんざいな扱いを受けていた。


 その際、ブリジットは考えたのだ。

 自分が出て行って状況を是正ぜせいし、強権を振るうことは簡単だ。

 だがそうしてアデラを特別扱いすれば、おそらく鳶隊とびたいの中に余計な軋轢あつれきが生まれるだろう。

 それでは結局、アデラの居場所はなくなってしまう。


 だからブリジットはある日、アデラを呼び出した。

 その日のことをブリジットは思い返す。


 ☆☆☆☆☆☆


鳶隊とびたいのアデラだな」

「は、はい……ブリジット。アタシなどに何か御用でしょうか……」


 まだ成人前のアデラを女王であるブリジットが呼び出す。

 そんなことは普通ならばあり得ないことだ。

 すっかりおびえるアデラにブリジットは穏やかな口調で言った。


「アタシなど……などとおのれ卑下ひげする必要はない。鳥の扱いにおいて、おまえがすでに鳶隊とびたいの中でも突出した能力を持っていることをアタシは知っている」

「……そ、そのようなことは」

「自分が見せられる最高の技術を今ここでアタシに見せてみろ」

「えっ……」


 アデラはおどろいて目を見開いた。

 そんな彼女にブリジットは言う。


「おまえは来年15歳だ。成人して正式に鳶隊とびたいに入隊することになる。鳶隊とびたいに入るからには自分が持っている最高の技術を示せ。おまえがそうすることで鳥たちを守ることが出来る」


 ブリジットの言葉の意味をアデラはすぐに理解した。

 鳶隊とびたいは訓練した鳥を扱う。

 鳥を戦術的に使えるようにするためには手間がかかり、そうして仕上がった鳥は貴重な財産となる。

 鳥使いの腕が中途半端であれば、そんな貴重な財産である鳥たちを無駄むだに死なせることになってしまうのだ。


「おまえ……鳥が好きなんだろう? 見ていれば分かる。鳥をただの使いだとは思っていないはずだ。ならばしっかりとおまえの腕前で鳥たちを守れ。おまえがその力をもれさせてしまえば、助かるはずの鳥たちは助からん」

「ブリジット……」


 その言葉にアデラはわずかにくちびるを震わせながらうなづくと、鋭く口笛を吹いて鳥たちを呼び寄せた。

 そしてブリジットに披露ひろうしたのだ。

 いにしえの操鳥術である【天雷】を。


☆☆☆☆☆☆


「もう立派な鳶隊とびたいの主戦力だな。アデラ」


 そう言って笑顔でアデラを見送ると、ブリジットは階段を降りる。

 そして自身の天幕に向かう途中、今度は街の中の広場で双子の弓兵であるナタリーとナタリアを見かけた。

 まだナタリアのほうはケガが完全にえたわけではないというのに、2人で巨大石弓バリスタの調整を行っている。

 ブリジットは2人に声をかけた。


「朝から精が出るな。おまえたち。だが間違っても街の中では試射するなよ」

「あ、ブリジット。おはようございます。完成済みの15台は城壁が出来てないところに並べたッス。防衛線はバッチリッス」

「こいつは一番最初に作った試作品なんスよ。今からお蔵入りッス」


 2人の話によれば現在完成済みの巨大石弓バリスタ15台は試作品を改良したものであり、飛距離と精度のどちらも大幅に向上している。

 それにともなってこの試作品は運用が停止されることになった。

 解体も検討されたが、2人の希望で倉庫に格納されるのだ。


「しまい込む前に最後に整備してやろうと思って」

「そうか。ほどほどにしておけよ。特にナタリアはしっかりケガを治しておけ。おまえたちの射撃を頼りにしているからな」

「了解ッス」


 快活な双子に手を振り、ブリジットはその場を後にした。

 戦の足音が確実に近付いている中、各々が準備にいそしんでいる。


(皆を……死なせるわけにはいかん)


 ブリジットは女王としてあらためて気を引き締めるのだった。

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