第257話 『南からの進軍』
日が暮れ落ちた平原に無数の篝火が焚かれている。
その灯かりの中で大勢の赤毛の女たちが思い思いの時間を過ごしていた。
ある者は夕食後の茶を飲み、ある者は座ったままコクリコクリと船を漕いでいる。
グラディス将軍はそんな部下たちの様子を見回りながら、野営地の中を静かに歩き続けていた。
敵地へ向けた行軍のため、いつでも戦えるように酒と男は厳に禁じられている。
規則を破る不埒者はグラディスから容赦のない鉄拳制裁を受けることとなるだろう。
ロダンを出発した南ダニア軍は一日目の夜営を平原で迎えていた。
目的地である敵軍の本拠地まで3日間の行程だ。
ブリジット及びクローディアの率いる統一ダニア軍の新たな本拠地である新都の位置が判明した。
「イーディスの手柄だな」
グラディスはそう言うと雲ひとつない満天の星空を見上げる。
彼女の同僚であるイーディスは情報収集や暗殺などの諜報活動に長けていた。
およそ忠誠心とは無縁の、人を食ったような女であり、グラディスとは互いに嫌い合っている。
だがグラディスは彼女を嫌ってはいるが、その能力は認めていた。
自分に同じことをしろと言われても無理だろう。
無論、戦場での腕っぷしならば自分の方が圧倒的に優れているという自負がある。
とにかく次の戦は先日のロダン攻略とは比べ物にならないほど厳しいものになるだろうとグラディスは理解していた。
相手は同じダニアの女たちだ。
そしてブリジットとクローディアという双璧の女王たちがいる。
だがグラディスの顔には恐れは微塵もない。
そこに浮かぶのは燃えたぎるような戦意だ。
「腕が鳴るじゃないか。こういう戦をしたくて私は島から出てきたんだ」
敵対勢力だったクライドを殺し、砂漠島をアメーリアの勢力で統一した時、グラディスは達成感と共に虚しさを覚えた。
もう戦うべき敵がいない。
それは彼女にとって人生の彩りを失うことと同じだった。
だから大陸にいる新たな敵と戦えると分かった時、彼女はそれまでに感じたことのない興奮と喜びを覚えたのだ。
その顔は殺意に満ちた笑みで彩られる。
「あの生意気な2人は次で必ず殺す」
グラディスの脳裏に浮かぶのは、ロダンの街で対峙した2人の若き戦士の姿だった。
本家のベラとソニア。
まだ粗削りだったが、砂漠島でもあれだけの使い手は数えるほどしかいないと思える2人だった。
そしてグラディスは彼女たちのイキの良さに好意すら覚えていたのだ。
グラディス相手に2対1でも劣勢に追い込まれた2人の顔は、屈辱と悔恨に歪んでいた。
ああいう顔をした者は、次はさらなる殺気を持って必死にかかってくるだろう。
そう考えるだけで、グラディスは腹の底で闘志の炉がグツグツと燃え盛っているかのような熱を感じる。
惜しむらくはベラもソニアもあと数年鍛えれば、もっと強くなるだろうということだった。
ダニアの女戦士が肉体的にも技術的にも円熟して最も強い時期と言われる24~26歳になる頃には、今の自分に匹敵するほど戦士になっているだろうと25歳のグラディスは思う。
「同じ世代に生まれてりゃもっと楽しめたんだろうが、これも運命だ」
そう言うとグラディスは満天の星空を見上げるのだった。
☆☆☆☆☆☆
グラディス将軍率いる軍勢の野営地にいるデイジーは、空になった水桶を手に、近くの小川へ水を汲みに出た。
行軍中は脱走兵が出ぬよう、一時的であっても本隊を離れる時は、所属部隊の管理者である黒刃の者に行き先と用向きを告げて許可を得なければならない。
デイジーもつい先ほど、空の水桶を見せて水汲みの許可を得たところだった。
「チッ。あの仏頂面女め。ウンともスンとも言いやがらねえ。てめえの口は飾りかっつうの。アイツは鼻から飯を食うんだな。絶対そうだ」
ブツクサと不満を口にするデイジーが所属する部隊の黒刃は、無愛想で無口な短髪の女だった。
ただの一兵卒である自分を歯牙にもかけないような無機質な彼女の視線は、いつもデイジーを苛立たせる。
だが黒刃の者たちに逆らえば反逆の意志があるとして厳しく罰せられることになるだろう。
黒刃の者たちはよく鍛えられていて、構えにも隙がない。
黒き魔女の直属である彼女たちは、部隊の監視者および引き締め役として、全員がアメーリアの訓練を受けていた。
それでもデイジーは1対1ならば黒刃にも負けない自信があった。
身分こそ一兵卒に過ぎないが、子供の頃から脇目も振らず強くなることだけを考えて生きてきたのだ。
だからこそ仕える相手は尊敬できる存在でいてほしいという思いが強い。
そして彼女にはそれ以外にも別の思いがあった。
「クライドのオヤジがやってきたことを無駄にしたくねえ」
アーシュラの叔父であるクライドは生前、反アメーリア派をまとめることに腐心していた。
だというのに無惨に殺され、彼が苦労して集めてきた反アメーリア派は解体されてアメーリアの軍門に下ったのだ。
そのことがデイジーには悔しくてたまらない。
本心を言えば、今こうしてアメーリアの部下であるグラディスの部隊に組み込まれていること自体、吐き気がするほど怒りを感じていた。
それでも彼女が今の状況に甘んじているのは、自分の本懐を遂げるためだ。
デイジーは川幅の狭い小さな川辺に着くと、水桶で水を汲むこともせずに舌を口の中に打ち付けて音を出す。
コッコッコと特徴のある音を3回。
すると川向こうから同じようにコッコッコと音が聞こえてきて、ほどなくすると1人の男が姿を現した。
それは中年に差しかかった小男だった。
デイジーはその顔に面識がある。
「セドリックから話は聞いているな?」
「ああ。親父から全て聞いている。クライドの無念を晴らすために俺はここに来た」
その男は按摩師セドリックの息子だった。
彼はクライドとは旧知の仲であり、クライドの手引きによって砂漠島からいち早く逃げ出して難を逃れた男だった。
デイジーがセドリックに依頼して彼をこの場に呼び寄せたのだ。
「これをアーシュラという女に渡してくれ」
そう言うとデイジーは竹筒を男に放った。
男はそれを受け取ると中身を確かめる。
中にはデイジーがしたためたアーシュラ宛ての手紙と、新都の位置が記された紙が入っていた。
「確かに受け取った。アーシュラという女だな。必ず渡す」
「頼むぜ。あんただけが頼りだ」
そう言うとデイジーは水桶に水を汲む。
汲み終える頃にはすでに男の姿は消えていた。
セドリックの息子はクライドの元で諜報活動に勤しんでいた男だ。
こういう仕事はお手の物だろう。
ただ、それでもデイジーには危ない橋を渡っているという自覚がある。
だが恐れは微塵も無かった。
デイジーは今こそが命をかけてでも己の信念を貫く時だと信じ、拳を握り締めると静かに呟くのだった。
「アーシュラ。届いてくれ。この状況をひっくり返そうぜ」




