第256話 『束の間の安息』
統一ダニアの新都にて、ボルドの忙しい日々は続いていた。
昼間、ブリジットが仕事に出ている間は彼も自身の仕事をこなし、夕方になってブリジットが戻って来ると彼女と共に過ごした。
多忙ではあるが充実した日々でもある。
そんなある日、彼のいる天幕にアーシュラが訪ねてきたのだ。
「ボールドウィン。少しいいですか?」
「アーシュラさん。ええ、どうぞ」
ブリジットから彼女の不在時の来客については、ボルドの顔見知りであれば通しても構わないと言われている。
ただし面会の時は小姓2人と衛兵2人を同席させることが条件だった。
それはボルドの安全のために小姓が申し出たことだ。
アーシュラは天幕に入ってすぐの客間に通され、ボルドの対面の椅子に腰を下ろした。
「今日はどうされたんですか?」
「あなたの訓練に来た」
そう言うとアーシュラは自分の頭を指差した。
それが何を意味するのかボルドにはすぐに理解できた。
ボルドの超感覚はアーシュラのそれと共鳴する。
「ワタシとあなたの感覚は黒き魔女との戦いに役に立つかもしれません。もちろん戦えない我々が戦場に立っても足手まといにしかなりませんが、今のうちに感覚を鋭敏に磨いておいて損は無いはずです。この訓練はワタシとあなたでしか出来ません。いつアメーリアがここを襲ってくるか分からない以上、やれることはやっておきましょう」
そう言うとアーシュラはボルドに椅子ではなく地面に座り、自分と対面になって目を閉じるように告げると、訓練を開始した。
その様子を小姓や衛兵たちは奇妙なものを見るような目で、固唾を飲んで見つめるのだった。
☆☆☆☆☆☆
訓練を終えてアーシュラが去り、夕刻になった天幕に仕事を終えたブリジットは戻って来た。
「ボルド。今戻ったぞ」
そう言って天幕の戸布をくぐったブリジットを、ボルドは歓喜の表情を浮かべて出迎える。
「おかえりなさい。ブリジット。本日もお疲れ様でございました」
多忙な日々だったが、こうしてブリジットと過ごせる夜の時間が、ボルドにとっては何よりも幸せなものだった。
共に夕食を取り、食後の茶を飲みながら他愛もない話に興じる。
そして天幕の中には簡易的な浴室が用意されていた。
簡易的とはいえ、檜で作られた湯船には熱い湯がなみなみと張られていたし、浴室の中は熱した石が金属の箱に詰められ空気を温めてくれていた。
そして四角い石を敷き詰めた床の上には、水をはじく樹脂を塗られた柔らかくて大きなソファーが置かれている。
さらには良い匂いの香まで焚かれ、女王とその情夫のために現状で出来る最高級の環境が作り出されていた。
小姓らの努力と忠誠心の賜物だ。
「来い。ボルド。アタシの体を洗ってくれ」
そう言うとブリジットは一糸まとわぬ姿となって、ボルドを浴室の中へと誘う。
湯けむりの中で、より眩しく映るその体を前に、ボルドは胸を熱くしながら石鹸を両手でしっかりと泡立てた。
そして彼女の肌に手を這わせて丁寧に洗い上げていく。
しかしそのうちにボルドの胸には熱さよりも不安がこみ上げてくるようになった。
ブリジットの体にはまだ治り切っていない傷やアザがいくつもあった。
ロダンでの戦いで負った傷がまだ癒えていないのだろう。
もちろん傷そのものは軽微なものばかりだったが、それでも数が多い。
そしてブリジットほどの強さを持つ戦士でも、こんなに傷をつけられてしまう戦争というものが、ボルドはあらためて恐ろしくなった。
この先、この新都は公国や王国あるいは南ダニアの軍勢に襲われる可能性が高いだろう。
大きな戦は避けられない。
そうなればブリジットの体にはもっと深い傷がたくさんつけられてしまうかもしれない。
いや、傷だけではすまないことだって十分に考えられる。
そんなことを思うとボルドは思わず身震いをしてしまった。
そんな彼の様子の変化を感じ取ったブリジットが、心配そうにボルドの顔を覗き込んだ。
「どうした? 寒いか?」
「いえ……次の戦は大きなものになりますね」
そう言うボルドの声はわずかに震えていた。
ブリジットが……そして大事な仲間や友人たちが傷つき倒れるかもしれない。
二度と会えなくなるかもしれない。
ボルドは怖かった。
今まではブリジットならばどんな戦でも戦い抜いて、必ず生きて帰ってきてくれると信じることが出来た。
だが、今度ばかりは彼女が倒れ、二度と自分の元へ戻らないのではないかと怖かった。
そんなボルドの恐怖を察したのか、ブリジットは真正面から彼をギュッと抱きしめる。
彼女の柔らかな双丘がボルドの頬を挟み込み、その肌についた泡がボルドの鼻をくすぐった。
ブリジットは愛おしげにボルドを見下ろしながら、優しい声で言う。
「ボルド。大丈夫だ。アタシとおまえは二度と離れ離れになることはない。どんな戦になろうとも、必ず生きておまえの元に戻る。約束だ」
戦場で死なないという約束がどれほど意味を成すだろうか。
だがボルドは自分を奮い立たせて、そんな考えを頭から追い払った。
愛する人の言葉を信じることが、今の彼に出来る愛の表し方なのだ。
「はい……すみません。私がブリジットをお慰めする立場だというのに」
「そういうことはもういいんだ。ボルド。アタシとおまえは慰め合い、励まし合って生きていくのだから。おまえに与えられるばかりではなく、アタシもおまえに与えたい」
そう言うブリジットにボルドは胸に湧き上がる温かさを噛みしめるように頷いた。
「さあ。洗ってくれ。おまえのその手でアタシの全身を温めてほしいんだ。ボルド」
「はい。喜んで」
ボルドはその両手で彼女の爪先まで丹念に洗い上げていく。
洗うボルドも洗われるブリジットも幸せだった。
束の間の安息が2人の心を癒やしていく。
ブリジットはボルドが彼女の体を洗い終えると、今度は彼の体をその手で洗った。
ボルドは恐縮するが、ブリジットは彼にじっとするように言うと、彼が自分にしてくれたように両手を泡まみれにしてその肌を優しく撫でて洗う。
だがボルドの体を洗ううちにブリジットの胸に扇情的な欲望が湧き上がってきた。
泡にまみれたボルドの肌は美しく、蒸気で雫をしたたらせる彼の黒髪は艶やかだった。
ブリジットは湯船から湯桶ですくったお湯をボルドにかけて泡を流すと、たまらなくなり彼に口づけを迫った。
すぐにその気配を感じ取り、ボルドは彼女を優しく迎え入れる。
「ボルド……」
「ブリジット……んむっ」
ブリジットはいよいよ辛抱できなくなり、彼を大きなソファーの上に押し倒すと、洗ったばかりの彼の体中に口づけの嵐を浴びせる。
ボルドは切なげな表情で荒い息をついた。
「はあっ……ああっ……ブリジット」
一通りボルドの肌を味わったブリジットは、彼のそれがはち切れんばかりに雄々しく天を突こうとしているのを見ると、自分の唇を舌で舐めた。
そして湯桶で湯船からすくったお湯を、金属の箱に詰められた焼けた石の上にかける。
途端にジュッという音がして、朦々と水蒸気が上がった。
「少々はしたないが、ここでおまえをアタシにくれ。もう止められないぞ」
立ち込める湯気で白く煙る中、ブリジットはボルドの上に跨るとゆっくりと腰を沈めていくのだった。




