第255話 『第三国の思惑』
「はぁ~。とんでもない未開拓地だな。本当にこんなところに人が住んでいるのか?」
まだ若きその男はそう言うと、遠くに見える岩山に目を凝らした。
漆黒の目が二度三度と瞬き、同じく黒々とした髪が風に揺れる。
最近、人が住み始めたと思しきその岩山には城壁らしきものが建てられ、確かな人の営みを感じさせた。
だが周囲はまだまだ手つかずの野山や森林が広がっている。
数百年前から人の入植が進むこの大陸に、まだこんな場所があったのかと男は驚きに目を見開いた。
その目には好奇心が色濃く満ちている。
「だけどきちんと街道を整備すれば、この辺りには数十万人が暮らせる街を作れるぞ。どうせ戦が始まるまであと数日あるし調査でも……」
男がそう言いかけると、彼の後方から女性の咳払いが聞こえてくる。
男の従者と思しき双子の少女たちが彼の背後から声をかけた。
「イライアス様。これ以上、先に進むことはまかりなりません」
「首長様のご指示通り、この場に留まっての業務遂行を」
灰色の髪の少女たちに戒めるようにそう言われ、イライアスと呼ばれた男は肩をすくめる。
少女たちのさらに後方では護衛と思しき2人の体格のいい男たちが、木々の間に隠れるように天幕を張っていた。
遥か前方に見える岩山から10キロほど離れたこの小高い丘の上に、彼らは陣取っている。
その目的は岩山に建造されつつある都市の監視だ。
「エミリー。エミリア。退屈じゃないのか? こんな場所に俺はあと何ヶ月いることになるんだ?」
「議会の決定です。イライアス様。あなた様がその目で現場を見ることに意義があるのですから、どうぞご辛抱下さい」
従者とはいえ、彼女たちもまたイライアスの仕事ぶりをその目で見て議会に報告する役目を負っていた。
そしてイライアスに今回の任務を与えたのは議会の決定を受けた大統領である。
民衆の選挙によって選出された共和国政府の現在の大統領は彼の父親だった。
そう。
イライアスらは共和国から国境を越えてこの公国へとやって来た一団だった。
もちろん非合法の越境であり、密入国である。
大陸中央部に位置する共和国からイライアスは視察のためにこの場所に来たのだ。
王国と公国の戦の陰で行われる、もうひとつの戦を見届けるために。
この大陸は西側から王国、公国、共和国と大きな3つの国が並び立ち、東側にはいくつもの小国が乱立している
共和国は王国と公国の争いを注視していた。
両国ともに共和国にとっては交易の主要な取引先だ。
共和国には領土的な野心が無かった。
他国を侵略してその土地と富を奪い取ろうとする思考を持たないのだ。
なぜならば共和国は大陸随一の肥沃な土地を所有し、穀物などの食料や牛・豚・鳥などの家畜を大陸中に供給している。
他国が羨む領土を持ち続ける彼らにとって、痩せた他国の土地にわざわざ進出する旨みは無かった。
むしろ他国は彼らにとって大事な商売相手であり、他国を豊かにすることで自らも豊かになるという共存の理念を持っているのだ。
そして現在の王国と公国の緊張した情勢は共和国をも緊張させていた。
商売という観点に立ち、不道徳なことを言ってしまえば戦争は危機でもあるが好機でもある。
食料、医薬品、武器。
不足する物資を求めて共和国には両国からの注文が殺到するだろう。
だがあまり戦争が長引いて両国が疲弊してしまうと購買力が衰え、長期的に見れば共和国にとってもマイナスが大きい。
その戦争を長引かせないためには、共和国が介入する他ない。
だが共和国としては当然、戦争に不利な形で巻き込まれて自国が損を被ることだけは避けなければならない。
絶好の機会で介入し、戦争を止める。
そして王国、公国の両方から旨みのある条件で取引を引き出すのだ。
そのために重要なのが、今遠くに見えているあの岩山の存在だった。
「統一ダニアの新都か。金と銀の女王が率いる赤毛の女たちの街」
ダニア本家と分家が統合され、統一ダニアとしてあの岩山に新都を構えた。
その情報は共和国も掴んでいた。
そしてすでに公国からはあの新都に向けて、ビンガム将軍の息子・トバイアスが進軍を開始している。
王国と公国の戦の前哨戦とも言える戦いが始まろうとしていた。
「さて、2人の女王様はこの難局を乗り越えて、我々の取引相手たりえるか。出来れば良い結果を見せてもらいたいね。せっかくこんな場所まで出向いたのだから」
イライアスはそう言うと静かに微笑む。
そんな彼の右隣に並び立つと、エミリーは前方に広がる公国の領土を見渡した。
「そういえば、この公国は御父上のご出身地でしたよね」
「ああ。あの色ボケ親父。若い頃は公国内にあちこち女がいたらしい。貴族やら娼婦やら、果てにはただの農民の娘にも手を出していたらしいからな。俺の腹違いの兄弟姉妹たちが公国のあちこちにいたとしても不思議じゃないだろうさ」
イライアスの父である共和国の現大統領バーソロミューは黒髪の美しい男だ。
さすがに年を重ねて老いてはいるが、若き日の美丈夫としての面影は今なお残っている。
イライアスの左隣に並び立つエミリアは毛嫌いするその大統領の顔を思い浮かべつつ、顔立ちは父に似たイライアスを見上げた。
「その御父上の御子息の割に、イライアス様は浮いた話を聞きませんね」
「苦手なんだよ。女は。ガキの頃から親父の周りをウロチョロする女たちの浅ましさを見てきたからな」
「私達も女ですけど」
「おまえたちは別さ。ガキの頃から傍にいたからな。そもそも2人とも男に興味がないだろ」
そう言うとイライアスにエミリーは思い出したように言った。
「そういえばダニア本家の女王・ブリジットの情夫は黒髪の若い男だそうですよ」
「フン。どこにでもある話さ。男も女も黒髪の者たちは地位のある人物の寵愛を受けることが多い」
「イライアス様の御兄弟だったりして」
「どうでもいいさ。そんなことより俺は商売の方が大事だ。金は人を裏切らないからな」
そう言うとイライアスは頭の中で算盤を弾く。
商売のことを考えるのは楽しい。
彼にとって商売は単なる金儲けの手段ではなく、盤上の陣取り遊戯のような知恵比べの楽しい遊びなのだ。
新たな取引相手となる可能性のある統一ダニアとの近い将来の交易について、イライアスはあれこれと思索を深めるのだった。




