第254話 『邪悪な企て』
公国首都からの進軍が始まった。
その総大将はビンガム将軍の息子・トバイアスだ。
そして2000人の軍の構成人員には公国兵は1人もいない。
全て赤毛に褐色肌の女戦士たちだ。
一方、トバイアスの父親であるビンガム将軍は公国軍の全軍を挙げ、一日遅れて明日、王国に向けて出撃する。
公国軍の正規兵たちは全て王国との戦いに投入されるのだ。
トバイアスに命じられたのはダニアの本家と分家が統合して立ち上げた統一ダニア軍の拠点への攻撃だった。
降伏するなら味方に引き入れ、抵抗するなら敵として殲滅する。
それが大公からトバイアスに命じられた任務だ。
この特務に際してトバイアスは大公から特務長の位を授かっている。
だがトバイアスはそんなところで満足する男ではなかった。
特務長の座は次なる出世への足がかりに過ぎない。
「トバイアス様。もうすぐ死兵たちとの合流地点ですわ」
トバイアスの隣で意気揚々と馬に乗るアメーリアがそう報告する。
彼女の言葉通り、前方西側に広がる林の中から、ゾロゾロと漆黒の鎧を着た者たちが出てきた。
アメーリアがあらかじめ用意していた狂気の兵士、死兵たちだ。
事前に彼らの存在を聞いていたにも関わらず、その異様な姿にダニアの女戦士らからどよめきが起こる。
それもそもはずで、死兵の数は彼女たちと同じく2000人に上る。
一言も言葉を発さず、単調な歩みを続ける漆黒の一団が醸し出す不気味で異様な雰囲気に、女戦士らは顔をしかめていた。
その様子に目を細めながらアメーリアはトバイアスに声をかける。
「これで在庫切れですわ。全ての死兵を投入することになります」
「上等だ。この戦いでは惜しみなく戦力をつぎ込むぞ」
トバイアスは上機嫌でそう言うと、アメーリアに微笑みかけた。
「奴らの拠点を制圧したら、出来ればブリジットとクローディアは生かして捕らえたい」
不意にそう言うトバイアスに、アメーリアは拗ねて頬を膨らませる。
「まだブリジットをあきらめていらっしゃらないの? しかも今度はクローディアまで。そんなお話をされるとますますあの2人を殺したくなってしまいますわ」
そう言うアメーリアにトバイアスは愉快そうに笑った。
「ハッハッハ。そう拗ねるな。もうあの2人を手籠めにしようとは思っていないさ。元より力づくで組み伏せられる相手ではない。だが、あの2人にはしっかりと絶望を味わわせた上で死んでもらわねばならん」
トバイアスの言葉にアメーリアは表情を一変させる。
「ブリジットの情夫ボルド。おまえと同じく黒髪の男だ。若く、美しい顔立ちの男だった。そいつをブリジットの目の前での犯し、殺す。女王様がこよなく愛する情夫の誇りとその肉体をズタズタに引き裂いてやるんだ」
そう言うトバイアスの顔が嗜虐の笑みに彩られる。
「まあ俺はどんなに美しかろうが相手が男ではいきり立てんから、適当に女を見繕ってボルドを襲わせよう。それともアメーリア。おまえが奴を抱いてみるか? なかなかカワイイ男だったぞ」
そう言って笑うトバイアスに、アメーリアはまたむくれた顔を見せた。
「まあひどい。嫌ですわ。トバイアス様以外の男なんて。ワタクシはあのうるさい女王2人を相手にしますから、トバイアス様はその情夫を痛めつけてお楽しみください」
愛する情夫が穢されるその時、ブリジットは怒り狂って彼を助けようとするだろう。
それを押さえ込めるのはアメーリアだけだ。
「しかしその場面を想像すると……危うく失禁しそうになるほど快感だ。そうは思わないか? アメーリア」
「はい。己の無力さに打ちのめされて絶望するブリジットの顔は見ものですわね。しかしなぜクローディアまで生かすのですか?」
その問いにトバイアスは邪な光をその目に宿して心の内を告げた。
その胸に秘めた邪悪な企てを。
「おまえの姪っ子だ」
「……アーシュラですわね」
「ああ。クローディアの奴、たいそう大事にしているそうじゃないか。クローディアの目の前でその大事なオトモダチを惨殺してやろう。その前に俺の出番があるかもな」
そう言うとトバイアスはおどけて、自分の腰帯を緩めるような仕草をして見せた。
その話にアメーリアは顔をしかめる。
もちろん姪だからといってアーシュラへの親愛の情など欠片もなかった。
むしろ憎き姉の娘だからこそ、喜んであの世へ送ってやりたいとさえ思っている。
だが……。
「アーシュラの力は利用できると仰っていたのに?」
トバイアスは当初、アーシュラの持つ超感覚に目をつけ、彼女を捕らえて自分の部下にしようと考えていた。
その考えを知っていたからこそ今のトバイアスの話は意外に思える。
だがトバイアスは首を横に振った。
「そうだな。確かにあの娘の力は利用価値がある。だが、あれはダメだ。クローディアへの忠誠心が強過ぎる。クローディアを殺した後では、自身が殺されようとも決して俺の前に膝をつくことは無いだろう。アーシュラを利用するためにクローディアを生かすというのも本末転倒だしな。だからクローディアを苦しめるために、アーシュラは辱しめ、苦しめ、人として女としての尊厳をズタズタに引き裂いたうえで、殺してやる」
「トバイアス様……」
「何だ? アメーリア。やはり姪を殺されるのは納得がいかないか?」
「お戯れを。アーシュラを殺すのなら何もトバイアス様が手を下さずともワタクシが……」
「俺がアーシュラを抱くのが気に食わないか?」
そう言うとトバイアスの目が妖しく光る。
図星だった。
そしてこの目だとアメーリアは思った。
この目に見つめられると、アメーリアは全ての思考を捨てて、彼の希望を叶えてあげたい気持ちになってしまうのだ。
しかもそれがアメーリアの自己犠牲を伴う行為ともなると、より陶酔感が増すのだから始末に負えない。
愛するトバイアスが他の女を抱くところなど見たくないはずなのに、それを堪えて彼の希望を叶えている状況がアメーリアを酔わせるのだ。
結果としてトバイアスが他の女を抱いている時に、アメーリアは嫉妬と苦痛を味わってなお余りある暗い快感を覚える。
「もう。トバイアス様ったら。ワタクシを虐めるのがお好きなんですから」
「愛している女こそ虐めたくなるものさ。男はいつまで経っても幼稚なままだからな。アメーリア。おまえはこのトバイアスの妻になる女だ」
妻という言葉にアメーリアの心はギュッと掴まれる。
そんなアメーリアの感情を当然のように知りながらトバイアスは目を細めた。
「だが俺の妻は簡単には務まらんぞ。この稀代の奇人変人の伴侶なのだからな。分かるか?」
そう言うとトバイアスはじっとアメーリアの目を覗き込んだ。
俺の妻ならば俺が他の女を抱くのを見て、非難などするな。
それを当然のことと容認し、むしろ楽しめ。
焼けつく嫉妬心すら燃え上がる愛に変えろ。
トバイアスは暗にそう言っているのだ。
「……もう。地獄に堕ちますわよ」
「地獄ならとっくに堕ちているさ。この世こそが俺にとっての地獄だからな」
そう言うとトバイアスは凍てついた表情に爛々と輝く目の光を浮かべ、口元を歪ませて薄笑みを浮かべた。
それはすでに人としての心を捨て去り、悪魔に魂を売った者の面構えだった。




