第252話 『新都を取り巻く情勢』
「ボルド。すまなかったな」
「え?」
天幕に戻ったブリジットは、傷だらけとなった主の姿に驚く小姓たちを人払いし、ボルドと2人きりになると開口一番そう詫びた。
「ここのところ……おまえを遠ざけていた。おまえもそれは感じていただろう?」
「……はい。私がブリジットのお気持ちを量りかねていたせいです。私が至らぬばかりに……」
「そうじゃないんだ」
「えっ?」
ブリジットは観念したように自分の胸の内を明らかにした。
「初めてこの街を訪れた時、おまえがジリアンと仲良さげに話していただろ。おまえにはアタシと離れていた間のアタシの知らない時間があるんだと思い、面白くなかったんだ。つまらん嫉妬だ。くだらないと笑ってくれていい」
言いにくそうにそう呟くと、ブリジットは恥じ入るように目を伏せた。
そんな彼女の言葉にボルドはハッとして己の不明を恥じる。
「私が愚かでした。ブリジットにそのような思いをさせてしまうなんて。申し訳ございません」
「ボルド……いいんだ。もう過去を悔やむのはよそう。ただ……これからはなるべく共にいたい」
「はい。私もです」
そう言うと2人は互いの冷えた心を温めるようにそっと抱き合った。
ひとしきりそうした後、ブリジットはボルドから身を離して言う。
「ただ、今回のことがあったからといって、おまえの交友関係を縛りたくない。だからあのジリアンとも今まで通り接してくれ」
「えっ? しかし……」
ボルドとしてはブリジットの情夫として、これまで以上に慎み深くならなければいけないと思った。
ベラやソニア、ジリアンらとは心の距離が近いためか、ついつい親しくしてしまう。
それを戒めなければならないと思うのだが、ブリジットはそんなボルドの心を見透かしたように言った。
「おまえに窮屈な思いをしてほしくないし、アタシもそんな狭量な女になりたくないんだ。それに……おまえがちゃんとアタシを愛してくれていることは感じている。だからもう大丈夫だ。おまえの心はちゃんとアタシに届いているからな」
「ブリジット……はい。いつどこで何をしていようとも、この身とこの心を私は常にあなたに捧げております」
「ボルド。寂しい思いをさせてすまなかった」
そう言うとブリジットは今度はボルドを強く抱きしめ、そのまま口づけを交わすのだった。
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「ご苦労さま。報酬よ。ひと月分はあるけど、やり過ぎて死なないでよね」
イーディスは女たちに報酬となる薬物を手渡した。
女たちは目を輝かせてそれを受け取る。
ほくほく顔で帰還していく女たちを見送ると内心で彼女たちを蔑みながら、イーディスは彼女たちから聞いた情報を鳩便で公国首都へ送った。
「ずいぶん辺鄙な場所に居を構えたのね。女王様たちは」
統一ダニア軍が新都を構えた場所はまだ手つかずの自然が残されていて、人の往来がほとんどない場所だった。
戦略的価値のない土地とも言える。
新たな拠点建設に、利便性よりも安全性を優先したという事だとイーディスは思った。
イーディスはそれからアメーリアらの本隊が到着するまでの間に、この街のことを時間をかけて調べることにした。
街の周囲をグルリと囲う城壁は石造りの高く頑丈なものだった。
もともと高い岩山の上に建てられているため、攻城兵器である投石機でも城壁を越えて攻撃を届かせるのは難しいかもしれない。
守りを固められたら大軍を持ってしてもこれを崩すのは難しいだろう。
周囲をグルリと包囲して補給線を断ち、兵糧攻めをして統一ダニア軍を食料と水の面で枯渇させるという方法もある。
だが、岩山は相当な面積があり、仮に湧き水が湧いていたり農作物を育てられる環境にある場合、兵糧攻めをしても1~2ヶ月は持つ可能性がある。
「あの黒き魔女がそんなに悠長な戦法を取るわけないか」
イーディスはどこか他人事のようにそう呟く。
正直なところ彼女はこの戦の行く末には興味がなかった。
彼女にとってこの世で一番大事なことは、自分が美しく生きられるかどうかの一点のみだ。
もし黒き魔女が負けて死ぬのであれば、その時は別の主の元で己の生を楽しめればいい。
自分の美しさと強さがあれば、どこででも生きていける自信が彼女にはあった。
一番つまらないのは下手な忠誠心を示すために戦で死ぬことと、逆にアメーリアの不興を買って殺されることだ。
だから同僚のグラディスのようにアメーリアに心酔してのめり込むことなく、かといってアメーリアに咎められない程度の仕事はきちんとこなす。
それが彼女の生き方なのだ。
イーディスはまずは有益な情報を得るために、この近辺に潜伏して新都を調査することにした。
☆☆☆☆☆☆
「アーシュラ。クライド氏からの連絡は?」
そう尋ねるクローディアの言葉にアーシュラは顔を曇らせた。
仮眠を取って体を休ませた後、クローディアはアーシュラを伴って仮庁舎に登庁した。
働き詰めだったオーレリアと交代して仕事を引き継ぎ、ある程度業務が落ち着いた午後、アーシュラと2人になった時にクローディアは話を切り出したのだ。
「あれから途絶えたままです。おそらくはもう……」
クライドはアーシュラの叔父だ。
亡き父の弟だった。
彼が砂漠島の反アメーリア派を取りまとめていたのだ。
1年以上前、クローディアと2人で砂漠島を訪れたアーシュラはクライドと再会した。
前に会った時はまだ幼子だったため記憶も朧気だったが、クライドは姪が生きていたことを大層喜んでくれた。
そして姪を保護してくれたクローディアに感謝の意を示し、彼女への協力を約束したのだ。
大陸に戻ってもアーシュラはクライドと鳩便を利用してやり取りを続けていた。
だが、この一ヶ月ほどは連絡が途絶えたままなのだ。
そして砂漠島からは援軍ではなく敵であるアメーリアの配下の者たちが渡ってきた。
それが意味することをもちろんアーシュラも理解していた。
「そう……まだ希望は捨てないで。でも、砂漠島からの援軍はもう期待すべきではないわね」
アーシュラを気遣いながらもクローディアは厳しい現実を告げた。
おそらくクライドは殺されたか、あるいは囚われの身となっているのだろう。
それは即ち、アメーリアに対抗する勢力はすでに壊滅したということだ。
当初の計画では砂漠島からの援軍を受け、統一ダニアを大きな勢力にするつもりだった。
数が集まれば、それだけ強い集団になる。
そんなクローディアの目論見は崩れた。
「叔父が亡くなっているのであれば、仇を討つのみです。アメーリアを生かしてはおけません」
アーシュラは彼女にしては強い口調でそう言った。
正直、叔父のクライドに対してはそれほど接点がなかったため、親愛というほどの情は無い。
だがもし自分の身ならず義弟までもがアメーリアに殺されたと知ったら、天国の母は嘆き悲しむだろう。
そのことを思うとアメーリアに対して強い怒りが湧いてくる。
確実にアメーリアを倒すために、自分に出来ることは全てやろうという決意が彼女を突き動かしていた。
「クローディア。後ほどボールドウィンの元へ行ってまいります」
「ボールドウィンのところへ?」
怪訝そうにそう聞き返すクローディアに、アーシュラは決然と頷く。
「彼の力が必要になるかもしれません」




