第251話 『告げられぬ想い』
竜巻の被害を受けた統一ダニアの新都では、夜が明けても天幕の補修などの復旧作業が続けてられている。
幸いにしてこの竜巻による死者は出なかった。
だが負傷者は数十名に及ぶ。
本来ならば朝食の時間だが、新都の街はいつもとは違う忙しさに包まれていた。
一方、この竜巻騒動の裏側で、人知れず2人の女王による争いが起きていたことは、まだ人々には知られていない。
「まったく……些細な言い争いからどうやったらそんなケガをするまでの喧嘩に発展するのですか。お2人とも」
こめかみに青すじを立てながらそう言うと、オーレリアはブリジットとクローディアをそれぞれ一瞥し、それから嘆息した。
その隣には後学も兼ねて補佐役としてオーレリアに同行しているウィレミナの姿がある。
そこは町外れの物置小屋で、この4人の他にボルドとアーシュラもいた。
本来ならばこの顔ぶれが集うような場所ではない。
事情を知らぬ者が見たら何事かと眉を潜めるだろう。
「……面目ないわ。オーレリア。ワタシもブリジットもちょっと疲れてイライラしていたみたい」
「すまない。みっともないところを見せた」
顔や体に傷を作り、痛々しい治療の痕を残しながら、クローディアとブリジットは悄然とそう言った。
本当の事情はとてもオーレリアには話せない。
それが2人の共通認識だった。
「ともかく。とりあえずお2人は戦に備えて激しい訓練を行ったため、生傷が絶えないと皆には説明しておきます。それで逆に皆の戦意と士気も上がりましょう。しかし、このような事態を二度と引き起こさぬよう、ワタシの立場からは強く申し上げますよ。よろしいですね。お2人とも」
そう釘を刺すオーレリアに女王2人は頷いた。
オーレリアは今、女王に次ぐ地位にある。
統一ダニアの評議会は本家の十刃会と分家の十血会が統合され、合計19名になっていた。
欠員の一名は故人となった本家の十刃長ユーフェミアだ。
そして1つに統合された評議会はブリジットおよびクローディアの承認を得て、新たな名を冠することになった。
紅刃血盟会。
赤毛の一族であるダニアの女たちによる最高評議会であり、十刃会と十血会の流れを継ぐものであるということを示すために両議会から一字ずつを取って名付けられた。
その名付けの主は……亡きユーフェミアだった。
生前、新たに統合される評議会の名前を考えていたユーフェミアの案をそのまま採用することになったのだ。
それは彼女の養子であるウィレミナのたっての願いだった。
そしてその紅刃血盟会の初代の長にオーレリアは就任したのだ。
ユーフェミア亡き後、その役目を背負うことが出来るのは十血長としての実績十分なオーレリアをおいて他にはなかった。
「して、ボルド殿はお2人の諍いを止めようとしてケガをしたと。無茶をするものではない。そなたは戦士ではないのだから」
「す、すみません」
ボルドはそう言うと頭を下げた。
まさか腕の傷は2人の喧嘩を止めるために自分で小刀を刺したとは言えない。
彼の腕は傷が浅かったことと、アーシュラの即座の止血処理が適切だったことにより、すでに出血も止まっていた。
彼が軽傷で済んだことにブリジットもクローディアもホッと安堵している。
治療を終えるとアーシュラはすぐにオーレリアの元に出向いた。
竜巻被害の混乱の中、女王2人が不在なのは不自然だし、彼女も探しているだろうからだ。
すぐにアーシュラは内密事項としてオーレリアだけに今回の件を報告し、少しの間、彼女に采配を振るってもらおうと思ったのだ。
実際、オーレリアが夜通し各方面への的確な指示を行ったおかげで混乱は最小限に留められた。
そして彼女は明け方になると女王2人の元へ説教に訪れたのだ。
オーレリアからの被害の状況説明を神妙な面持ちで聞き続ける2人の女王を見ながら、この2人を喧嘩させてはいけないとボルドはあらためて強く思う。
というのも、2人は力が強過ぎる。
ただの喧嘩であっても大ケガをしたり、下手をすれば死んでしまう恐れがあるのだ。
いくら人間離れした筋力を持つ女王たちとはいえ、その体はまぎれもなく人間のそれであり、耐久力には限界がある。
彼女たちだって首を剣で斬られれば死ぬし、頭に矢が刺されば死ぬのだ。
「とりあえずお2人は一度、天幕に戻ってお休み下さい。数時間寝たらワタシと交代していただきたい。まだ若いお2人とは違って30過ぎのワタシには徹夜後にそのまま働き続ける元気はありませんので」
そう嫌味を言うオーレリアにクローディアは申し訳なさそうに言った。
「休むのはあなたよ。オーレリア。ワタシがこのまま指揮を執るから。あなたもう33歳でしょ。無理をしないで」
「まだ32です。お気遣いは無用ですよ。仕事が残っておりますので、それを終わらせてから存分に休ませていただきます」
ピシャリとそう言うとオーレリアはウィレミナを従え、その場を後にした。
休んでいる暇がないほど彼女も忙しい身だ。
若き女王たちに説教する時間も惜しいのだろう。
オーレリアたちが去って4人になるとブリジットも立ち上がった。
「ボルド。我々も戻ろう。いつまでもこうしていても仕方ない」
「……ちょっと待って」
そう言ってブリジットを呼び止めたのはクローディアだ。
「むし返すようで悪いけれど、あなたはもっとボールドウィン……いや、ボルドと過ごすべきだわ。忙しいのは分かるけれど、彼が一緒にいればきっと心にも少し余裕ができるはずよ」
クローディアはそう言うと静かにブリジットを見つめた。
もうその目には敵意はない。
ただ……わずかな痛みがあった。
好いた相手に気持ちを悟られまいとする忍耐と、恋敵への気遣いをしなくてはならない苦悶。
クローディアがそうしたことを飲み込んだ上で自分に告げた言葉に、ブリジットは己の身勝手さを恥じた。
「……分かった。すまなったな。クローディア。余計な心配をかけた。これからはボルドともっと時間を過ごす様にする」
そう言うとブリジットは再びボルドに声をかける。
「ボルド。帰って少し眠りたい」
「はい。共に帰りましょう。お傍におりますよ」
ブリジットにそう言うとボルドは次にクローディアに目を向け、深々と頭を下げる。
頭を上げたボルドが再度クローディアに向けた目には、深い感謝と敬愛の色が表れていた。
2人が戻って行くのを見送るクローディアに、残されたアーシュラが声をかける。
「ご立派でしたよ」
「慰めてくれるのね。アーシュラ」
好きになってはいけない相手を好きになってしまった主に、かけられる言葉は少ない。
彼に想いを告げることはクローディアにとって禁忌なのだ。
全てを飲み込み、彼女は先ほどのようにブリジットとボルドの仲を取り持つ発言をしたのだった。
それがクローディアにとってどれほど辛いことなのか、アーシュラには分からない。
「……ワタシは恋をしたことがありません。ですからクローディアのお気持ちを想像することは難しいです。ですが……クローディアの想いを彼に知ってほしいという気持ちがあります」
「アーシュラ……」
「すみません。差し出がましいことを申しました。ですが……あなたの胸にあるそのお気持ちは誰にも奪うことは出来ない尊いものだと思います。どうかその想いを大事になさって下さい」
そう言って頭を下げるアーシュラをクローディアは思わず抱き寄せた。
部下の……いや、友の思いやりが今はありがたかった。




