第205話 『ダニアへの警告文』
「まったく馬鹿馬鹿しいわね。ワタシたちが大群で漁村を襲う? それって何の冗談かしら」
クローディアは呆れと怒りを交えて大きく息を吐く。
彼女を交えてブライズ、ベリンダの姉妹と、1人欠けてしまった9人の十血会は今、一つの議題について緊急の会議を行っていた。
その議題とは、公国からの使者が持ってきた警告文だ。
それによると公国南岸の漁村が襲われて、それがダニアの仕業だという。
クローディア率いる分家にその疑いがかかっているのだ。
同時に本家にも同じく嫌疑を向けていると手紙には記されていた。
そもそもダニア分家が略奪稼業を生業にしていたのはもう何年も前のことだ。
今は王国の傭兵の役割で生計を立てている。
レジーナが当代のクローディアとして一族を率いるようになってからは一度だって略奪行為を働いたことはないし、ましてや貧しい漁村を襲う理由などない。
それは現在も略奪行為を行っている本家も同じことだ。
兵を率いて略奪を行う時、貧しい者は襲わない。
それは本家の方針であり、必要以上に人の恨みを買わないためだ。
そして費用対効果という面からも、それは当然のことだった。
行軍には兵たちの糧食や薪や油など燃料の用意が必要となり、戦闘での負傷に備えて医療品なども準備する。
費用がかかるのだ。
その費用に見合う戦果がなければ略奪を行う意味がない。
時間と費用と労力をかけて貧しい漁村を襲っても、それに見合う対価など得られはしないのだ。
「少し考えれば分かることなのに、言いがかりもいいところね。誰が裏でこの馬鹿げたシナリオを描いているのかしら?」
憤慨するクローディアに十血長のオーレリアは冷静な口調で答えた。
「公の話ではありませんが公国は今、共和国と不戦の契りを交わしているといいます。背後の相手に手の平を返されぬうちに、目の前の敵である王国を叩いておきたいのでしょう。戦を起こすための口実に我らを使おうという魂胆でしょうな」
大陸の中央から西の地域を領地とする公国は、西岸に位置する王国と中央から東に位置する共和国とに挟まれている。
共和国は今のところ他国に対して敵対する意思を示していない。
大陸諸国の中では最も狭い領土を持つ共和国ではあるが、狭いながらもその国土のほとんどは肥沃な土地であり、豊富な農作物の収穫量は他国の比ではない。
穀物を初めとする多くの農作物を他国に輸出することで収入を得て、そのことによって他国との良好な関係を築く政治を信条とするのが共和国だ。
人口の多い公国や王国と比べると軍隊の規模は小さいが、共和国は東西の国境を険しい山脈に守られているため、地形的に国土を守りやすいのだ。
他国が共和国を攻めようと思ったら、相当な苦労を強いられることとなるだろう。
その国力は王国や公国には及ばないものの、大陸でもっとも堅実な営みを展開しているのが共和国だった。
互いに睨み合う王国と公国はどちらも、共和国を敵に回す余裕はない。
「そもそも南岸にダニアの特徴を持つ女の大群が現れたというのは本当の話なの?」
「ええ。各方面からの情報を総合的に考えると事実でしょう。ですが……問題はその出所です。その軍勢は少なく見積もっても1万人以上、下手をすれば2万人とも言われています。そんな女たちが果たしてどこから出てきたのか……」
オーレリアの話にその場の一同は息を飲む。
2万人はもう軍隊と呼べる規模だ。
ダニア分家の戦士を総動員しても、それだけの人数を捻出することは不可能だった。
「2万人。それはまた大所帯ですわね。戦えない者も含めて我ら分家と本家とを合わせた数くらいですか。どうやら例の砂漠島とやらから海を渡って旅行に来た団体様がいらっしゃるようですわね」
ベリンダの言葉に皆が渋い顔で頷く。
そんな中、オーレリアは1人冷静な顔でクローディアに目を向けた。
「クローディア。あまりゆっくり考えている時間はありませんね」
警告文の最後に書かれているのは公国へのクローディアの出頭命令である。
3日以内に公国の国境の砦を訪れ、襲撃の理由を説明し、申し開きをするようにと、公国側は求めている。
もちろんそんなものに応じるつもりはない。
ノコノコ出向いて行っても、彼らはクローディアの言葉など鼻から聞くつもりはないだろう。
ただ厄介な女王を、難癖つけて処刑したいだけだ。
そしてこの出頭命令に応じなければそのことを理由に王国へと矛先を突きつける。
そういう筋道がすでにお膳立てされているのだ。
クローディアは間髪入れずに指示を出す。
「すみやかに王国への報告を。まだ我らは今の時点では王国に属する身分よ。ただ……同時に決断の準備をする必要があるわ」
クローディアは王国からの離脱の準備を進めてきた。
王国の尖兵として先頭に立って公国と戦うことを避けるためだ。
だが、彼女が予想していたよりも戦の足音は早く聞こえてきた。
もう躊躇している暇はない。
すぐにでも決断をしなくてはならない。
そのためにはブリジットと意見を擦り合わせておかねばならない。
本家も分家と同じく疑いをかけられている。
ブリジットらもすぐに動かねばならぬだろう。
そう思ったその時、知らせは向こうからやってきた。
天幕の外から声がかかる。
「失礼いたします。本家のブリジットから隼による速達便が届いております」
分家に所属する鳶隊の通信係は恭しく一礼して天幕に入ると、その手紙をまずはオーレリアに手渡した。
クローディアへの公式文書などは、全て事前に十血長オーレリアが検閲する。
だがクローディアはその間を惜しんで手を差し出した。
すぐにオーレリアは頷き、その手紙をクローディアに手渡す。
クローディアは手紙を開くとサッとその内容に目を通す。
その目が細められるのを、その場にいる一堂が固唾を飲んで見守った。
そしてクローディアは顔を上げると皆に告げる。
「やっぱりブリジットの元にも同じ警告文が届いているそうよ。このことで即座に会談を持ちたいとのこと。ブリジットが数名の近衛兵だけを連れて至急の面会を求めているわ」
クローディアは口には出さなかったが、ブリジットからの文の最後にはボルドも連れて行くと記されていた。
こんな時だと言うのに心が落ち着かなく跳ねるのを感じて、クローディアはそれを皆に悟られぬよう深呼吸をして自らを落ち着かせるのだった。