第249話 『反省する女王たち』
「ブリジット! 喧嘩をやめないなら、あなたの物であるこの体を傷つけます!」
そう言うとボルドは左手で握った小刀を、包帯の巻かれた自分の右腕に突き刺した。
喧嘩に夢中になっていた2人の女王たちがハッとして動きを止める。
「ボルドさん!」
珍しくアーシュラが金切り声を上げた。
ボルドの腕に巻かれた包帯が血で染まっている。
「な、何やってるんですか! 気でも触れたんですか!」
そう言うとアーシュラはすぐさまボルドの左手から小刀を取り上げた。
その切っ先が彼の血に濡れている。
ボルドは痛みに顔をしかめながら思わずその場にしゃがみ込んだ。
その額に玉のような汗が浮かんでいる。
だが、痛そうなボルドとは裏腹に刺さった部分は思ったほど深くないようだった。
ボルドが刃物をまともに扱えないことと、幾重にも包帯が巻かれた上から刺したことで傷は思いのほか浅かったのだ。
しかしアーシュラはこれを好機と察し、声を張る。
「早く! 早く止血をしなければ!」
そう言うとアーシュラは自分の服の袖を破ってボルドの腕にきつく巻きつける。
そんな様子を見たブリジットとクローディアが争うのをやめ、慌ててボルドの元に駆け寄って来た。
「ボルド!」
「ボールドウィン!」
ブリジットはボルドのすぐ傍にしゃがみ込むと、信じられないといった顔を見せる。
「ボ、ボルド。馬鹿なことを……」
「ブリジット……喧嘩をおやめ下さい。私の願いをお聞き入れいただけませんか?」
「……それはクローディア次第だな。こいつが全面的に自分の非を認め、誠意を尽くしてアタシに謝罪しなければ許すわけにはいかん」
そう言うとブリジットは、すぐ背後に立ちボルドの身を案じるように見下ろしているクローディアを睨みつけた。
クローディアも唇を噛みしめてブリジットを睨み返す。
「嫌よ。ワタシは悪くないもの。謝罪をするのはあなたのほうだわ。ブリジット」
そう言って睨み合う女王たちに呆れて、アーシュラが口を挟んだ。
「そんなことより、早く彼を治療しなくては」
アーシュラの言葉に睨み合う2人の女王たちはハッとして、すぐにボルドを気遣う。
傷だらけの2人を見てアーシュラは、ボルドより彼女たちの方が治療が必要そうだと内心で辟易した。
そんなアーシュラの心に気付くはずもなく、2人の女王たちは威厳も何もなく、オロオロとした表情でボルドに声をかけるばかりだ。
「ボルド。痛むだろう? すぐに天幕に戻るぞ」
「ボールドウィン。傷口からバイ菌が入ったら大変よ。早く治療しないと」
だがボルドは苦痛に顔を歪めながらも首を横に振った。
「……嫌です。もう喧嘩はしないとお約束いただけるまで、治療は受けません」
「何を言っている? すぐに行くぞ」
「嫌です」
頑なに首を横に振るボルドに、ブリジットは両目を吊り上げた。
「ボルド! なぜ馬鹿な意地を張る。いい加減に……」
「ライラ。今の状況をお考え下さい。こんなことをしている場合ですか?」
ボルドは傷ついた右手でブリジットの手を取ると、彼にしては珍しく厳しい口調でそう言う。
それよりもブリジットは他人のいる前でボルドが自分の幼名を呼んだことに驚いていた。
ボルドは構わずにクローディアにも同じように諌めるような視線を向けながら、左手でレジーナの手を取る。
「レジーナさんも。どんな理由があっても女王同士の喧嘩は慎んで下さい」
「ボ、ボールドウィン……」
同じく幼名を呼ばれて戸惑うクローディアにボルドは切々と言葉を紡ぎ始める。
「この街にいる皆さん、新たな暮らしとこれからの先行きに不安を覚えています」
ボルドはこの街に来てからそれを感じていた。
馴染みのない土地での新たな暮らし。
かつてはいがみ合っていた者同士の慣れない共同生活。
分家の者たちにとっては安定した生活の出来ていた王国から出奔して無頼の暮らしが始まったことも、大きな不安要素の一つだ。
「皆、口にこそしませんが、先の見えない日々に安心できずにいるんです。そんな時に必要なのは、皆を引っ張って行く指導者の強い信念ではないでしょうか。今はお2人の確かな結束を示して、必ず明るい明日に皆を導くという言葉と態度が必要なんです。それなのにそんなふうに喧嘩をしているところを誰かに見られでもしたら、ますます皆を不安がらせてしまいます」
ボルドは唇を震わせながら今度はブリジットを見た。
「喧嘩の原因が私ならば、怒りは私にぶつけて下さい。どんな罰でもお受けしますから。どうか二度とこのような争いはなさらぬと、今ここで私に約束して下さい。お願いですから」
「ボルド……」
ボルドの必死の訴えにブリジットは観念したようにため息をついた。
「分かった。もう……クローディアと喧嘩はしないとおまえに誓おう」
ボルドはそう言うブリジットに頷くと、今度はクローディアに目を向けた。
「レジーナさん。思慮深いあなたがそんな喧嘩をなさるくらいですから、よほどのことがあったんだと思います。ですが、ここは目をつぶってブリジットと和解して下さいませんか。この通りです」
そう言うとボルドは頭を下げる。
クローディアとしてはボルドへの想いからこんな喧嘩に発展してしまい、それを当のボルドに諌められることに悶々とした思いを抱かずにはいられないが、それでも彼の必死な様子を見ると、その言葉を尊重してあげたくなった。
「……ええ。そうね。あなたの言う通りだわ。もうブリジットと喧嘩はしない。約束よ」
その言葉にホッと安堵の表情を浮かべると、ボルドは2人の顔を交互に見つめる。
「では……仲直りの握手を」
ボルドはそう言うと左右の手に握った2人の手を近付け、自分は手を放した。
ボルドに促され、ブリジットとクローディアは仕方なく手を握り合う。
まだどちらも合わせる視線はぎこちなかったが、先ほどまで互いを殴りつけていたその右手同士が静かに結ばれた。
「良かった……」
そう言うとボルドは傷の痛みに顔をしかめながら、精根尽き果てたようにその場にへたり込んでしまった。
必死に気を張っていたため、安心して腰が抜けてしまったらしい。
「おい。ボルド。しっかりしろ」
「早く彼を運ぶわよ。アーシュラ。とりあえず人に見られない天幕を都合つけて。ワタシたちのこんな顔とボルドのこの様子を誰かに見られるのはまずいわ」
アーシュラはその無理難題に頷きつつ、内心でため息をつく。
剛腕無双にして女傑の気性を持つ2人の女王だが、惚れた男にはどうにも弱いらしい。
そしてクローディアの秘めた思いに気付かぬ鈍いボルドの尻を蹴飛ばしたくなる衝動を吐き出す様にアーシュラは、今度は本当にその口からため息をついた。
クローディアが誰のために怒ったのかをボルドは知るべきだと思ったが、自分の身を傷つけてでも2人の喧嘩を止めた彼の気概に免じて、今日のところは何も言うまいとアーシュラは思うのだった。




