第248話 『女王の喧嘩』
「ボルド様。お願いですから私などのために無茶をなさらないで下さい」
小姓がそう言いながらボルドの腕に包帯を巻いていく。
火傷を負った彼の二の腕を水で十分に冷やしてから火傷用の塗り薬を塗るなどの治療を行ったのは、ボルドが助けた小姓だった。
彼はどうしても自分がボルドの治療をすると言い張ったのだ。
小姓は包帯の巻かれたボルドの腕を見ながら、その顔を曇らせる。
「これでは傷が治っても痕が残ってしまうかもしれません。ボルド様、私を助けて下さったのは本当に感謝いたしますが、このダニアにおいて私とあなたとでは人としての価値が違うのです。私などはいくらでも替えの利く小姓の1人であり、一方あなたはブリジットの情夫なのですよ。ブリジットにとってあなたは他に替えの利かない方なのですから、自重して下さい」
たかが小姓1人を助けるためにブリジットの愛する情夫がその体に傷を負う。
その重大性を認識してほしくて小姓は助けてくれたボルドに小言を言わねばならないのだ。
彼とてもちろんボルドに感謝をしているし、自分を助けてくれた相手にそんなことを言いたくないはずだ。
だが、立場的には苦しい気持ちになるだろう。
そんな小姓の気持ちもボルドには理解できる。
それでもボルドは言った。
「人としての価値は同じだと私は思っています。あなたも私にとっては替えの利かない人なのですよ。助けたいと思うのは当然のことです」
ボルドの言葉に小姓は内心でため息をついた。
このことでボルドと議論するのは無意味だろうと感じ、それ以上は何も言わない。
ボルドとてかつては奴隷の身であり、人が皆平等などではないことを嫌と言うほど知っているはずだ。
それでも同じことがこの先も起きれば、彼は同じように自分を助けようとするだろう。
それがボルドという人間なのだと思い、小姓はそれ以上の抗弁はあきらめた。
一方のボルドからすれば、彼は自分がブリジットに拾われた時からの馴染みの小姓だ。
右も左も分からない時からボルドに寄り添い、多くのことを教えてくれた。
ボルドは今も彼をとても頼りにしている。
いまだに名前を聞いても教えてはくれないものの、彼を他に替えの利く人間だなとどは微塵も思っていないのだ。
自分にとっては大事な人の1人なのだとボルドは思っていた。
「とにかく今日からは毎日その腕の治療ですよ。ブリジットのためにも出来る限り綺麗に治さなければ」
「はい。すみません」
小姓の小言に返事をしながらボルドはふと頭の中に何かが響くのを感じた。
頭の中で扉をノックされているような気がする。
それは自分を呼ぶ、声なき声だった。
そんなことが出来るのはこの新都においてただ1人。
アーシュラだ。
(呼んでいる……)
そしてその呼び声が以前に宴会場の谷戸で感じた時よりも緊急性が高いような気がして、ボルドは立ち上がった。
「ボルド様?」
「す、少し夜風に当たってきます。すぐに戻りますので」
そう言うとボルドは天幕を出た。
そして頭の中に響くノックに対して自分もノックを返すと、すぐに彼は呼ばれる方角へと駆け出す。
(アーシュラさん。何かあったんだ。まさかブリジットがどこかで竜巻に巻き込まれて……)
そう思うと居てもたってもいられなくなり、ボルドは息せき切って足を速める。
アーシュラが頭の中で呼ぶ声がどんどん大きくなっているような気がする。
物理的距離が近付いていることを示しているのだ。
アーシュラもこちらに近付いてきているのだと分かる。
そこから1~2分走ったところで、前方からアーシュラが同じ様に駆け寄って来るのが見えた。
ボルドは手を振る。
「アーシュラさん!」
「ボールドウィン! すぐに来て下さい! 危急の事態です!」
そう言うアーシュラに導かれてボルドは走った。
並走するボルドにアーシュラは状況を説明する。
「クローディアとブリジットが争っています」
「ええっ? く、訓練じゃないんですか?」
「喧嘩です。原因はあなたですよ。ボールドウィン」
「ど、どうして……」
女王2人の喧嘩を目の当たりにしたアーシュラはその原因がボルドだとすぐに分かった。
だがボルドの問いには答えない。
それは自分が言うことではないと弁えているからだ。
「とにかく2人を止めて下さい! あなたにしか止められません!」
そう言うアーシュラと共にボルドは懸命に走り続けた。
☆☆☆☆☆☆
「彼を大事に出来ないなら、もう手放しなさい! そうしたらワタシが彼を幸せにする!」
「ふざけるな! ボルドはアタシを愛してくれているんだ! おまえになど靡くものか!」
もう10分に渡って2人は喧嘩を続けていた。
さすがに息を切らして互いに睨み合う。
「ボールドウィンは……あなたには幸せには出来ない」
「あいつの名はボルドだ。勝手に別の名で呼ぶな」
「それって彼本来の名前を捨てさせてあなたが勝手に名付けた名前でしょ。そういうところが傲慢だって言うのよ」
「アタシにはアタシの考えがあってのことだ。とやかく言われる筋合いはない!」
そう言うとブリジットはクローディアに飛びかかった。
2人は組み合うと互いを投げ飛ばそうと懸命に掴み合う。
そこへようやくアーシュラとボルドが到着した。
実際にブリジットとクローディアが傷だらけになりながら争っているのを見たボルドは顔を青くし、声を張り上げて必死に2人を止めにかかる。
「や、やめて下さい! 2人とも落ち着いて!」
ボルドの声にハッとして一瞬、動きを止める2人だが、それでも喧嘩は止まらなかった。
すでに2人は興奮状態にあり、ダニアの女はこうなったら、ちょっとやそっとでは止まらない。
それを悟ったアーシュラは時すでに遅しと唇を噛み、ボルドが体を張ってでも2人を止めようと近付くのを引き止めた。
「アーシュラさん?」
「ダメです。もう止められません。ここまで来たら、どちらかが動けなくなるまで待つしか……」
アーシュラがそう言いかけたその時、いきなりボルドは彼女の腰に差してある小刀をサッと抜き取った。
「すみません。アーシュラさん。これをお借りします」
「えっ……」
驚くアーシュラを尻目にボルドは小刀を振りかざしながら叫んだ。
「ブリジット! 喧嘩をやめないなら、あなたの物であるこの体を傷つけます!」
そう言うとボルドは左手で握った小刀を、包帯の巻かれた自分の右腕に突き刺した。




