第246話 『我慢の限界』
突如として新都を襲った竜巻が去っていった。
いくつもの天幕がひっくり返り、倒れた篝火が引火しないよう、女たちが懸命に消火作業に当たっている。
そんな中、竜巻に飲み込まれ飛ばされそうになったボルドを咄嗟に救ったのはクローディアだった。
「あ、ありがとうございました。クローディア」
植え込みの中から起き上がりながら、ボルドは自分を抱えて助けてくれたクローディアに礼を言う。
クローディアは起き上がると彼の体を見回した。
「ボールドウィン。どこか痛んでない?」
ボルドの身を案じてそう言うクローディアの体にも、あちこち擦り傷がついていた。
それを見てボルドはハッとして申し訳なさそうに言う。
「す、すみません。私のために」
「ああ。こんなのはかすり傷よ。あなたが無事で良かっ……」
そう言いかけて彼女はハッとした。
ボルドの左の二の腕が赤く腫れている。
それを見たクローディアが喉の奥から声を絞り出した。
「ボールドウィン。それ……」
「た、倒れてきた篝火に当たってしまって。私が不注意だったんです」
「大変じゃない。すぐに治療しなさい。あなたはブリジットの……」
ブリジットの情夫なのだから、肌に傷をつけてしまうなんてとんでもない。
そう言いかけてクローディアはハッとした。
どうしてこの場にブリジットはいないのか。
本来ならば彼を助けるのは自分ではなくてブリジットのはずだ。
彼女は天幕に戻ったはずではなかったのか。
「……ブリジットは?」
気持ちを必死に押し殺す様にクローディアは低く抑えた声でそう問う。
「まだ……お戻りではなくて」
少し寂しそうにそう言って笑うボルドの顔を見たクローディアの胸の内で……何かがキレた。
「そう……なのね」
腹の底から怒りが湧き上がる。
そんなクローディアの内心を知らず、ボルドは言った。
「でも、ブリジットが仮庁舎にいて下さるならきっとご無事です。あそこは頑丈ですから」
そう言うボルドこの言葉からは、彼が心からブリジットの身を案じていることが感じられる。
彼は知らないのだ。
ブリジットがとっくに仮庁舎から出ていることを。
クローディアは思わずボルドの右手を強く握った。
ボルドは少しばかり驚いて彼女を見つめる。
「クローディア?」
「……ボールドウィン。よく小姓たちを守ったわね。勇気ある行動だわ。この腕、すぐに治療を受けなさい」
そう言うとクローディアは周囲の部下たちに声をかけ、彼の火傷をすぐに治療するように厳命して立ち上がった。
そしてボルドに努めて優しい眼差しを向ける。
そうしなければブリジットへの怒りが溢れ出してしまいそうで、そんな顔をボルドに見られたくはなかった。
「街の被害の状況を見て来るわ。早くその腕、良くなるといいわね」
「は、はい。本当にありがとうございました」
そう言って頭を下げるボルドに手を振って、クローディアは歩き出した。
どうしても許せない人物の元へ向かうために。
☆☆☆☆☆☆
我慢の限界だった。
早足で地面を踏みしめる足に知らず知らず力が入っている。
自分とすれ違う女たちや小姓らがギョッとした顔で道を開けるのも構わず、クローディアは怒りの形相で道を進んだ。
もう人からどう思われるかなどどうでも良かった。
腹の中を燃えたぎる怒りが渦巻いている。
(どうして……どうして彼を大事にしないのよ。彼を愛しているんじゃないの? ブリジット)
どうしても許せなかった。
ボルドは自分ではどうすることも出来ない運命の悪戯に飲み込まれながら、誰かを恨んだりすることなく懸命に生きている。
そして彼はその一途な愛と優しさを健気にブリジットに向けているのだ。
だからこそブリジットが忙しさにかまけて彼に寂しい思いをさせていることが許せなかった。
しかもその原因がブリジットのつまらぬ嫉妬心というのが、クローディアの怒りに拍車をかけている。
それだけならクローディアはここまで怒らなかっただろう。
他人の色恋沙汰など本来ならば、どうでもいいことだ。
だが、クローディアはボルドが大事にされていないと思うと、自分で御し切れないほどの怒りに駆られた。
それは……。
(ワタシ……こんなにも彼のことを……)
自分だったらもっとボルドを大事に出来るのに。
絶対に彼に寂しい思いをさせたりしないのに。
それが自分の勘違いや思い上がりだとしても、今のブリジットの彼への態度は絶対に間違っていると思った。
そして怒りを向ける相手が向こうから駆けてくるのを見て、クローディアは立ち止まる。
前方からこちらに向かって走って来るのはブリジットだ。
「クローディア!」
「……探したわよ。ブリジット。自分の天幕にも戻らず一体どこに行っていたの?」
「ベラとソニアの訓練に付き合っていたんだ。それよりひどい音がしたが何があった?」
眉を潜めてそう尋ねるブリジットに、クローディアは怒りを吐き出すように答えた。
「……竜巻が街を襲ったの。あなたの天幕のある辺りにも被害が出ているわ」
「な、何だと? ボルドは……」
「無事よ。でも、腕にケガをしたわ」
それを聞くや否やブリジットは血相を変えて自分の天幕へと駆け出そうとした。
だがクローディアは彼女の腕を掴んでそれを引き止める。
驚いたブリジットは目を見開き、クローディアに非難の目を向けた。
「な、何だ? 放せ」
「嫌よ。今すぐに話があるの。顔を貸しなさい。ブリジット」
そう言うクローディアが自分の腕を掴む異様な力の強さにブリジットは異変を感じ、相手の表情に目を向ける。
クローディアはそんなブリジットの目をまっすぐに見据え、怒りを隠すことなく言った。
「彼は無事よ。今、治療を受けさせているから心配ないわ」
「……話とは何だ?」
「分かっているでしょ。彼のことよ。来なさい。2人だけで話しましょ」
クローディアのただならぬ様子を感じ取り、ブリジットはボルドの身を案じつつ仕方なく彼女の後についていくことにした。
竜巻が消え去って辺りには再び静寂が訪れ、すでに星空は再び澄んだ瞬きを見せていたが、女王2人の間には不穏な空気が渦巻き始めていた。




