第245話 『災い』
夕飯時だった。
新都ではあちこちの天幕から夕食の煮炊きをする匂いが漂ってくる。
まだ街の中の建物が建築中のため、移住してきた民の多くは天幕で過ごしていた。
元より広野で天幕暮らしをしてきた本家の面々はいつも通りの生活だったが、ダニアの街で建物暮らしをしていた分家の者たちの中には、戸惑いや不満を感じる者も少なくなかった。
だが城壁の建設を優先していたため、住居用の建築はほとんど未完成だった。
この街はまだ生まれたばかりの赤子のような状態だ。
街として成熟していくには時間がかかるだろう。
(ブリジット……)
ボルドは天幕の中で食後の休憩を取りながら戻らぬ愛しき人を思った。
結局、あれからも戻って来なかったブリジットを待ち続けていたボルドだが、さすがに小姓らと共に軽い夕食を済ませた。
軽いものだったが、食欲がイマイチなかったボルドにはちょうど良かった。
それよりも彼は頭の中に重い鈍痛を感じていた。
体調には気をつけていたはずだ。
今、自分が感じている頭痛には心当たりがあった。
彼は突然の雨や強風など天候の変化を事前に予知できる。
そして地震などの天災に関してもそれは同じだった。
(だけどこれは地震とは違う……)
体にのしかかるような慣れない倦怠感に、ボルドは眉を潜める。
ボルドは目を閉じ、自分が一体何の違和感を覚えているのか感じ取ろうとした。
だが、この天幕の中では感覚が弱い気がしたので、ボルドは戸布を抜けて外に出る。
風が吹いていた。
夜風が髪を揺らし肌を撫でていくその感覚が、ボルドの五感を刺激する。
外に出た途端、体に受ける感覚はより鮮明となり、ボルドは風が語りかけてくるかのような錯覚を覚えた。
(風が……騒いでいる)
まるで遠くから災いがやってくるのを告げているようだった。
ボルドは空を見上げる。
城壁の外からほんのかすかにゴォ〜ッという風の鳴る音が聞こえてきた。
ボルドは肌が粟立つのを感じたが、行動を起こすにはすでに遅かった。
風が突然強くなり、周囲の砂埃が激しく舞い上がる。
先ほどまで晴れていたはずなのに、どこかで雷が鳴った。
城壁の外に広がる星空が暗く濁り出す。
それは落ち葉や砂を巻き上げる風の柱となっていく。
かつて奴隷だった時にボルドが幾度か見たことのある現象が、すぐ城壁の外で巻き起こっていた。
「た……竜巻だ」
呻くようにそう言うと、ボルドは血相を変えて即座に天幕の中へと取って返す。
中では夕食後の茶を飲んでいた小姓ら2人が何事かと顔を上げた。
「竜巻が来ます! すぐに逃げないと!」
そう言うや否や、ボルドは目を丸くしている小姓2人の手を取って強引に彼らを天幕の外へと連れ出した。
その時、突風が吹いて天幕が激しく揺れる。
外で炊かれていた篝火がバタバタと倒れて地面を焼いた。
そして火のついたままの薪の一本が強風に煽られて、ボルドと共に逃げようとしていた小姓の頭上から降り注いだ。
「危ない!」
ボルドは小姓をかばうように地面に押し倒したが、その弾みで地面に落ちた薪に自分の左腕を押しつける格好となってしまった。
「あぐっ……」
「ボルド様!」
思わず悲鳴を上げるボルドに、小姓は青ざめた顔で彼に声をかける。
ボルドの左腕は焼けた薪に押し付けたために火傷を負っていた。
小姓はうろたえてボルドを引き起こそうとする。
「す、すぐに治療を……」
「それより今すぐ逃げないと」
ボルドは痛みを堪えて立ち上がると、小姓の2人の手を引いて再び走り出した。
あまりの強風であちこちの天幕が煽られて飛びそうになる中、女たちが懸命にそれを押さえている。
ボルドはそれを見て声を張り上げた。
「皆さん! 天幕は放っておいて逃げて下さい! 竜巻が来ます!」
すでに竜巻は夜空の下でもハッキリと視認できるほど近くまで来ている。
ボルドはブリジットのことが心配になったが、彼女はこの新都内で一番頑丈な石造りの仮庁舎にいるはずだ。
あの中に入れば安全だろう。
出来れば皆そこに逃げ込んだ方がいいのだが、これだけの人数を収容することは出来ないし、そもそも今から仮庁舎まで走って行っても間に合わない。
自分もそこまで走っていく時間はないだろう。
竜巻は城壁に阻まれてわずかに勢いこそ弱まったものの、壁を越えて新都内まで進入し、すぐそこまで迫っている。
そう思ったボルドはとにかく太い木の幹の根元で竜巻をやり過ごすべく、小姓らの手を引いて全力で走った。
「あそこまで! あの大木の根元まで逃げましょう!」
せめて今、自分が手を握っているこの2人は助けなくては。
ボルドは懸命に走り、小姓2人と共に大木の根元へ駆け込む。
そして張り出した根っこに2人をしがみつかせた。
だがそこでボルドは背後から迫って来た竜巻に飲み込まれた。
人の力では抗うことなど出来ないほどの、どうしようもない風の力がボルドの体を空中に巻き上げる。
「う、うわっ!」
「ボ、ボルド様!」
小姓がその手を掴もうと伸ばすが届かず、ボルドは竜巻に連れ去られていく。
(し、死ぬ……)
あっという間に大木の上までボルドの体は巻き上げられた。
だが彼は見た。
竜巻を恐れることなく疾風のごとく駆けよって来る人影を。
「ボールドウィン!」
それはクローディアだった。
彼女は勢いよく大地を駆け抜けると大木の枝の上に飛び乗ってそこを足場に宙を舞う。
そして風に舞い上がるボルドの体を両手で捕まえた。
だが、竜巻はそんなクローディアごとボルドを空中に巻き上げていく。
「くっ!」
クローディアはボルドを抱えたまま風に飲み込まれて枯れ葉のように宙を舞う。
だが彼女の人並み外れた平衡感覚は失われていなかった。
クローディアはグルグルと回る視界の中で自分の体の位置が地上からどのくらいの高さにあり、最も適した着地点がどこであるのかを瞬時に理解した。
「ボールドウィン! しっかりつかまっていなさい!」
「は、はい!」
そう言うクローディアとボルドは竜巻の中から弾き出されて落下する。
その先には大木の幹が迫って来た。
(激突する!)
ボルドはそう感じて思わず目を閉じる。
だがクローディアは木の枝に足をかけて衝撃を和らげ、枝のたわみを利用して跳ね返ると、ボルドを抱えたまま近くの植え込みの中へと落下した。
それを目にした周囲の誰もが息を飲む。
だが……。
「い……痛いわね」
クローディアはすぐに身を起こした。
植込みの葉にまみれた体はあちこちに擦り傷を作ってはいるが、骨などは折れていないようだった。
そして、クローディアに抱えられたまま恐怖と興奮に目を丸くしているボルドも、火傷を左腕に負ってはいるものの無事だった。




