第242話 『新都での共同生活』
「明日にはセレストが残りの者たちを連れて到着します。これで分家側の移住は完了です」
オーレリアはそう報告をすると、そっと帳面を閉じた。
それはこの新都の住民台帳だ。
ブリジットの情夫であるボルドが記録しているものだった。
その帳面を持ち上げようとするオーレリアの指が震え、帳面が机の下に落ちてしまう。
「オーレリア。あまり無理はしないで」
クローディアはそう言うと帳面を拾い上げる。
オーレリアは先日、ダニアの街で襲撃され、毒をその身に受けた。
アーシュラの早急な応急処置によって命は助かったが、今も後遺症は体に刻みつけられたままだった。
指先が震え、手足に力が入らないのだ。
まだ武器はおろか、羽根ペンを握ることもままならなかった。
「ええ。分かっております。ただ……ユーフェミア殿がいない今、自分はやらねばならない立場なので」
そう言うとオーレリアは震える指を鎮めるように拳を握り締めた。
本家と分家の統合により統一ダニアは、十刃長ユーフェミアと十血長オーレリアという2人の名参謀が協力し合いながら良い知恵を女王たちに上申するはずだった。
だがユーフェミアはすでにこの世にない。
その具体的な後継者もいないため、おそらくオーレリアはクローディアのみならずブリジットの参謀役も務めることになるだろう。
ゆっくりと療養に埋没するわけにはいかないのだ。
そこでふとオーレリアは思い出した。
「そういえばユーフェミア殿には養子がいるとか。若き娘らしいですが、ユーフェミア殿から英才教育を受けているらしく、なかなかの切れ者だと聞いています。確か……ウィレミナという名だったような」
☆☆☆☆☆☆
「母様……」
ダニア本家の若き戦士ウィレミナは空を見上げ、亡き人を思った。
最近、短く切ったばかりの赤毛が風にそよいでいる。
彼女は他の十血会の面々とともに、ブリジットらより一日早く新都入りしていた。
母親代わりであり師でもあったユーフェミアを失ってから、見上げる空はいつも灰色に見える気がした。
だが、数日は亡き暮らしてばかりだったが、ユーフェミアがいないことで一族が困惑している様子をまざまざと見せつけられてウィレミナは奮起した。
自分だけではなく一族にとってのユーフェミアという存在の大きさをあらためて知ったからだ。
亡き母を安心させるために、自分が動かなくてはならない。
ユーフェミアから教えられたことの全てを活かして一族に貢献すべく、ウィレミナは寝食の間も惜しんで働いた。
「ウィレミナの奴。最近は目の色を変えて働いてくれているな」
その勤勉ぶりを見たブリジットはあることを考えていた。
ユーフェミアの教育を受け続けてきた彼女は、知識の面では同世代の女たちから抜きん出ていた。
ユーフェミアが彼女を後継者にしたいと考えていたことを、ブリジットは薄々感づいていたし、ブリジット自身もウィレミナは将来の十刃会入りをするに足る人物だと思っている。
今の彼女に足りないのは政治的な実務の経験だ。
ゆえに彼女にその経験を何らかの形で積ませたいとブリジットは思っているのだ。
だからといっていきなり十刃会入りさせるのは実力的にも実績的にもあり得ないし、まだブリジットと同じ年の彼女では若過ぎる。
そこでブリジットはある案を思いついた。
この新都に腰を落ち着けたダニア本家の評議会である十刃会の欠員は現在3人。
ユーフェミア、カミラ、ドリスという3人が死亡して空席となっていた。
ブリジットはカミラとドリスの後継には彼女らの補佐を務めていたそれぞれの妹たちを昇格させた。
だがユーフェミアの代わりを出来る者はいない。
そこで十刃長の地位は空席のままとし、当面は十血長オーレリアが本家と分家の評議会をまとめる長として働くものとすることをクローディアと話し合って決めた。
ブリジットはそこで提案したのだ。
ウィレミナをオーレリアの弟子として側仕えさせることを。
「オーレリア。ウィレミナは必ず近い将来、統一ダニアを支える大事な頭脳となってくれるはずだ。だから今、そなたのそばで政治的手腕を勉強させてやってほしい」
このブリジットの申し出をクローディアは快諾し、オーレリア本人も喜んで受けた。
とにかく今は本家分家を問わず、優秀な人材を徹底的に成長させることが、新都の発展と一族の安寧に繋がる。
その一念でブリジットやクローディアを初めとし、各幹部の面々は団結を深めていった。
☆☆☆☆☆☆
昼下がり、ボルドは新都の城壁一周をぐるりと歩いて見回っていた。
すでに今日の分の住民台帳記入は終えている。
昨日から彼は新たな業務に就いていた。
それは新都内の視察だ。
実際に新都の中を歩いて回り、その全容を目で見て理解することが目的だった。
それが何かの役に立つかどうかは分からないが、ボルドはこの街をしっかりと理解したかった。
もちろん小姓には事前に話してあり、小姓の同行を条件に視察を許されていた。
あまり体力を使うとブリジットとの夜伽に支障が出ると言われ許可されないかとも思ったが、小姓は熟考の末に、様々な事情を考えて許可をくれたのだ。
実はブリジットはもう3日も天幕に戻っていない。
忙しさのあまり、執務用の天幕に泊まり込みで仕事をしているのだ。
新都でのまったく新たな暮らしのため、ブリジットの忙しさは今までの比ではなかった。
それゆえにボルドは夜、帰らぬ主の帰りを待ちながらベッドで1人眠る日々が続いている。
そんな彼のことを憐れに思ったのか、小姓も彼の意思を尊重してくれるようになった。
「あれは……」
城壁はまだ残り2割ほどが未完成となっていたが、その未完成の部分に差しかかった時にボルドはふと足を止めた。
彼の見つめる先、途切れた城壁の先の剥き出しの岩場では、空を覆い尽くさんばかりの鳥が旋回していたのだ。
その真下には1人の少女が立っていた。
鳶隊のアデラだ。
アデラたち鳶隊の面々はロダンからこの新都に戻って来た後は、鳥たちの訓練や各種の情報収集、そして周囲の見張りの業務に就いていた。
今、アデラはまさに鳥たちの訓練を行っている最中のようだ。
ふとボルドは上空を見上げて気が付いた。
いつも情報収集に使う鳶たちに比べて低い位置を旋回しているその鳥は鳶ではない。
以前にアデラが使いこなしているのを見たことがあるが、鳶よりも小型で素早く飛び回っているそれは隼だった。
その数は百羽以上にもなる。
そこでアデラが鋭く口笛を吹くと、隼たちの動きに変化が出た。
「キィィィィッ!」
隼たちは雪崩のように次々と空から急降下してきて、アデラのすぐ頭上まで迫って来た。
思わずボルドは叫んでしまう。
「危ない!」
だが隼たちはアデラの頭くらいの高さで方向を急転換し、地面スレスレで見事に激突せずに再び上空へと舞い上がって行ったのだ。
百羽以上の隼が急激な水の流れのように舞い上がって行く。
それはまるで空から流れ落ちてくる隼の滝のようでもあり、隼たちが一体となって伝説の生き物である龍になったようにも見えた。
「す、すごい……」
その芸術的な美しさにボルドは目を見張り、ため息のような声を漏らすばかりだった。




