第237話 『たぶん……恋』
ボルドが新都に着いてから2日目を迎えていた。
昨夜は久々にダンカンたちと夕食を共にし、ジリアンらには夜通し飲もうと誘われたが、またしても小姓によってブリジットの寝室となる予定の天幕で眠るよう言われ、ボルドは皆に惜しまれながら宴席を後にしたのだった。
翌朝、ボルドは早くに目が覚めてしまった。
朝起きてすぐに彼の脳裏に浮かぶのは愛しい女王の顔だ。
(ブリジット。大丈夫かな。ケガとかしていなければいいけれど……)
ボルドがブリジットと離れてから数日になる。
すでにロダンから引き上げてこちらに向かっているという知らせは鳩便によって受け取り、明日の昼にはブリジットら本家の者たちがここに到着する予定となっていた。
ボルドにとっては、やはりブリジットのいない日々はどこか寂しく味気なく感じられる。
まずは彼女の無事な姿をその目で確かめて安心したかった。
「……早く帰ってきて下さいね。ブリジット」
そう1人呟きながらボルドは身支度を整えた。
そして小姓らと朝食を共にすると、仕事場である事務作業用の天幕に赴いて午前中の住民台帳記入を早々に終えた。
レジーナに言われた通り綺麗な字を心がけ、余った時間で歴史書を読む。
しかし周辺から忙しく働く声や物音が聞こえて来ると、自分だけが働いていないような気がして集中力が削がれてしまった。
「ふぅ……何だか気が引けるな」
仕方なくボルドは歴史書を手に、ブリジット用の天幕に戻る。
小姓は所用で出かけているようで、ボルドは1人、天幕の中を見て回った。
手持ち無沙汰というのもあったが、どこに何があるのか把握し、ブリジットがここで過ごすのに不便のないようにしておきたかったからだ。
天幕は一時的な宿泊用に使われ、ブリジットやクローディアは現在、建造中の女王用の私邸が完成次第、そちらに移り住むことになる。
それまでの仮の住まいがこの天幕だった。
ボルドは天幕の外に出ると、外側から天幕を見て回る。
昨夜は少しばかり雨が降ったせいで、天幕の地面に近い部分が、跳ねた泥で汚れていた。
ボルドは水を絞った雑巾を用意すると、それらを丁寧に拭き取っていく。
小姓に見られたら叱られること間違いなしだが、綺麗な天幕でブリジットを迎えたかったのでボルドは構わずに掃除に取り掛かった。
その最中、背後から声をかけられたボルドはハッとして思わず背すじをビクッと伸ばす。
「ボールドウィン?」
「は、はいっ! すみません。余計なことを……」
そう言いつつ振り返ると、そこにはクローディアことレジーナが立っていた。
☆☆☆☆☆☆
レジーナは午前中の仕事を早めに終わらせて時間を作ると、事務作業用の天幕へと向かった。
しかしボルドはすでに仕事を終えて自分の天幕に戻ったようだった。
そんな彼を追ってレジーナがブリジットの天幕を訪れるとボルドはそこにいた。
昨夜、寝静まった後に降ったらしいにわか雨によって泥が跳ねて天幕を汚していたため、彼は濡れた雑巾でその汚れを落とそうとしていたのだ。
そんなことをしなくてもいいのにと思ったレジーナは、歩み寄ってボルドに声をかけようとしたが、ふと立ち止まった。
天幕の汚れを落とすボルドがわずかに楽しげな表情をしていたからだ。
明日の昼にはブリジットが戻ってくる。
彼はおそらくそれが待ち遠しく、彼女を迎え入れる準備をしているのだろう。
レジーナは胸に痛みが走るのを感じた。
ボルドはブリジットの情夫だが、ただその立場にあるから仕えているというわけではない。
彼女を愛しているのだ。
それは見ていれば分かる。
彼の心が自分ではない他の女のものだと感じて、レジーナは自分が思った以上に落ち込んでいることを知り、静かにため息をついた。
それでも彼女は自分を奮い立たせるように表情を明るく繕い、彼に声をかけた。
「ボールドウィン」
「は、はいっ! すみません。余計なことを……」
そこまで言いかけてボルドは声をかけてきたのがレジーナだと気付いたようだ。
「レ、レジーナさん……」
「なに慌てているのよ。変な子ね」
「……すみません」
思わず笑うレジーナに気恥ずかしそうにそう言うと、ボルドは立ち上がった。
そんなボルドに笑みを返すと、レジーナは会話の糸口を掴むためにブリジットの話題を振る。
「明日よね。ブリジットが帰ってくるの。待ち遠しい?」
「ええ。早くご無事なお姿を見たいです」
そう言うボルドの屈託のない笑みがレジーナの胸を締め付ける。
そんな彼女の口をついて言葉が自然に紡ぎ出される。
「そう。彼女の……どういうところを好きになったの?」
自分でもよせばいいのにとレジーナは思った。
そんなことを聞いたところで傷付くだけなのに、聞かずにはいられなかった。
「ええっ? そ、それは……誰かに聞かせるようなお話じゃ……ありません」
ボルドは驚いてわずかに顔を赤くしながらそう言った。
まあそれはそうだろうなと思いながら、レジーナは内心でホッとした。
ボルドが嬉々としてブリジットへの愛を語るところなど見たくなかった。
そんな自分にレジーナは呆れてしまう。
(まったく……ワタシは何をやっているのかしら)
恋というものを経験したことのないレジーナにとって、自分の胸を包み込むこの気持ちが恋であるのか確信が持てなかった。
たぶん……恋なのだろうと思う。
もちろん身近な誰かに相談することなど出来ない。
自分はクローディアであり、相手はブリジットの情夫なのだ。
そんなことが誰かに知られでもしたら大騒ぎになるだろう。
万が一オーレリアなどに勘付かれでもしたらと思うだけで寒気がする。
「へ、変なことを聞いて悪かったわね。それよりボルド。お昼まだでしょう? ワタシと食べなさい。たまにはいいでしょ」
戸惑うボルドを半ば強引に昼食に誘い、この日は午後の住民台帳記入から歴史書の勉強まで、指南という名目でレジーナは彼に付きっきりだった。
もちろん2人だけとなると周りから奇異な目で見られるため、小姓やダンカン、ジリアンらを誘ってのことだったが、それでもレジーナには貴重な時間だった。
明日になればブリジットが戻ってくる。
ボルドと過ごせる時間は多くない。
レジーナはそう思い、限られた時間をボルドと共に過ごしたのだった。
自分の想いを確かめ、噛みしめるために。




