第231話 『先の見えない船出』
「おい見たか。おまえら。ブリジットを。メチャクチャ強かったぞ」
デイジーが上気した顔で仲間たちに熱っぽくそう言うと、仲間たちは逆に辟易として彼女を諫める。
「デイジー。声がデカいんだよ。敵を褒める奴があるか。【黒刃】の奴らに聞かれたら懲罰もんだぞ。私らを巻き込むんじゃねえ」
南門の壁上通路に駆り出されていた南ダニアの女戦士デイジーは、ブリジットらが撤退した後、即座に街中にある兵舎に戻ってきた。
そこには負傷兵らを治療するための部隊が残っていた。
そして兵舎裏でたむろしている昔馴染みの仲間たち数人に、自分が見たブリジットのすごさを語ったのだが、仲間たちはすぐにデイジーを睨みつけて咎めるように言った。
こんな話を誰かに聞かれてグラディス将軍の直属部隊である黒刃の者たちに密告でもされたら、厳しい罰を受けることになるからだ。
だが、そんな仲間の言葉にデイジーは食ってかかる。
「黒刃の奴らはクライドのオヤジをグラディス将軍の前に突き出したんだぞ。そのせいでオヤジはもう首だけになっちまった。おまえらオヤジに世話になったことを忘れたとは言わせねえぞ」
デイジーがかつての主だった男の名を口にすると仲間たちは皆、表情を曇らせる。
彼女たちがオヤジと呼ぶクライドは反アメーリアの部族をまとめていた男だ。
そしてデイジーにとっては幼馴染であるアーシュラの叔父という存在であり、子供の頃から面倒を見てもらった恩人でもあった。
そんなクライドを殺したグラディス将軍に仕えなくてはならない現状が、デイジーにはどうしても我慢がならなかった。
「ハッキリ言って私はアメーリアもグラディスも大キライだ。ぶっ殺してやりてえ」
「バカなこと言うんじゃねえ。私ら程度でどうにか出来る相手じゃねえだろ。クライドのオヤジが殺されたのは私らだって残念だが、だからって反逆者になってオメオメと殺されるつもりはねえぞ。デイジー。馬鹿な夢を見て命を落とすなんざ、阿呆のやることだ」
今のところ兵舎裏には他の者の姿は無いが、仲間たちはデイジーの不穏な発言に血相を変えてその体に掴みかかる。
「いいかデイジー。二度と馬鹿なことを言うんじゃねえ。この世で一番大事なのは自分の命だ。これ以上、おまえが仲間の命を危険に晒すようなことを言うなら、私らの縁もこれまでだと思え。分かったな」
そう言うと仲間たちはこれ以上付き合っていられないとばかりに、デイジーを残して兵舎を後にする。
1人に残されたデイジーは苛立ち紛れに、兵舎の裏に置かれている屑入れを蹴っ飛ばした。
古びた屑入れは壁に当たって倒れ、中身がバラバラと地面にこぼれる。
地面に落ちたゴミが、今の自分たちのように思えてデイジーは拳を握りしめた。
「くそっ……テメーらはブリジットのすごさをその目で見てねえからだ」
そう言うとデイジーは自分の腰に下げられた剣の柄に手をかけた。
そして歯を食いしばると、1人押し殺した声で言う。
「人生を変えるんだ。私の剣は……くそったれな主人のためにあるわけじゃねえ」
☆☆☆☆☆☆
「全軍撤退完了いたしました。現在、東に進路を取りながら犠牲者の数を確認中です」
「ご苦労」
部下からの報告を受け、ブリジットは馬に揺られながら周囲を見回した。
負傷兵も少なくないが、皆まだ戦場帰りの高揚した顔をしている。
王国領の南都ロダンを襲撃し、敵兵と一戦を繰り広げたダニア本家はすでに撤退し、街から東に数キロの地点を移動し続けていた。
そんな中、北側前方からブリジットのいる本隊に向かって駆け寄って来る騎馬兵の一団の姿が見えてきた。
ブリジットら本隊とは別行動の任務を行っていた別働隊の面々だ。
北門を襲撃した彼女らの中には、ベラとソニアの姿もあった。
ブリジットは2人の無事に内心でホッと安堵する。
「ベラ、ソニア。首尾はすでに早馬の伝令で受け取っている。新旗をしっかり印象付けられたようで何よりだ。だが、そのグラディスとかいう将軍は厄介だな。おまえたちが2人がかりでも敵わないとは」
ブリジットの話にベラもソニアも冴えない表情で頷いた。
ソニアの顔は赤く腫れ、ベラも額に擦り傷を作っている。
「かなり手強い奴だった。だが次に会った時は必ずアタシらが倒してみせる」
ベラの話にソニアも口を引き結んで頷く。
その表情から2人が相当悔しい思いをしているのだろうとブリジットは悟った。
「どう手強かったのか後ほど詳しく聞かせてくれ。我らの障害となりそうな女ならば、どうにかせねばならん」
ベラとソニアは現在のダニア本家の中では、最も強い部類の女戦士に入る。
リネット亡き今、本家にとって主戦力だった。
その2人が苦戦する相手ならば、間違いなく本家にとって大きな脅威となる敵だ。
必要ならば自分が出て、排除しておく必要があるとブリジットは思った。
「なあ、ブリジット……」
だが、ベラとソニアはブリジットのそんな内心を予測して、不満げな視線を送って来る。
幼馴染だからこそ、互いに気持ちが読み取れてしまうことがあるのを知っているため、苦笑しながらブリジットは言った。
「そんな顔をするな。そのグラディスのことはおまえたちに任せる。その代わり、次で必ず勝て。勝つために必要なら恥も外聞も捨てろ。この決断をしたことをアタシに後悔させるなよ」
「ああ。任せてくれ。必ず勝ってみせる」
ブリジットの言葉にベラは笑顔を見せてそう言い、ソニアは気合いの表情で頷く。
そんな彼女たちに銀髪の姉妹が近付いてきた。
ブライズとベリンダだ。
彼女たちは先行してロダンに潜入し、別働隊の北門突破と撤退に一役買った。
2人が北門側の壁上通路の上を一掃してくれたために、別働隊は頭上から狙い撃たれることもなく行き来することが出来たのだった。
「無事に終わったか。ブリジット」
「ブライズ。ベリンダ。ご苦労だった。2人の協力に感謝する」
「なかなか重労働でしたわ」
クローディアに次ぐ実力を持つ2人の存在は分家にとっては相当な強みだとブリジットは思った。
本家にはブライズたちのようにブリジットに続く2番手3番手の存在がない。
彼女らの姉・バーサにはブリジットも苦しめられたが、その妹たちが今は助けになっているというのは何とも皮肉な話だと思った。
「よし。このまま新都に向かうぞ。案内してくれ」
2人にそう言うとブリジットは馬を東に向かって走らせた。
すでにボルドや小姓ら非戦闘員を先んじて新都に向かわせている。
新都は今、ダニアの街を出た分家の者たちが続々と移り住み、建造を急激に進めていた。
完成までは程遠いが、当面の住環境を整える必要があるからだ。
いよいよ新たな局面に突入する。
ダニア本家も分家もそれまでの暮らしを捨て、新都での新たな生活が始まるのだ。
決して順風満帆な船出ではない。
むしろ先行きは不透明で前途多難を極めるだろう。
だが、運命はすでに回り始めている。
ブリジットは決然と前を見据えると、自分に付いて来る多くの者たちを従えて迷うことなく野を突き進むのだった。




