第230話 『撤退』
「ハアッ……ハアッ……ハアッ」
ベラは荒く息をつきながら、先ほど戦闘開始直後はグラディスと互角に戦えていたかに見えたソニアが倒された理由を身を持って感じていた。
グラディスはベラの力を量っていたのだ。
そしてその力量を見定めると、そこから本気で攻めてきた。
そこから一気にベラは追いつめられたのだ。
(くっ……ソニアもこれにやられたのか)
そんなベラの前方から首を狙った鋭い突きが繰り出される。
グラディスの踏み込みは速く、ベラは何とか反応してこれを避けようとするが、相手の武器が幅広の大剣のため避け切れなかった。
「ぐうっ!」
左肩をわずかに斬り裂かれてベラは苦痛の声を上げる。
だがそれでもベラは苦痛を堪えて、グラディスの大剣と体を交差させるようにカウンターで槍を突き出した。
だがグラディスはカッと目を見開いてこれを避けると、その長い足を突き出してベラの腹を蹴り飛ばす。
「ゴホッ!」
まるで丸太を腹に突き刺されたような衝撃にベラは吹っ飛んで地面に転がり、臓腑が押し潰されたかのような激痛に喘ぐ。
(つ、強い……ちくしょう。このアタシがこんなにやられるなんて)
かつての師であるリネットと命がけの戦いをした時も、相手の強さに戦慄を覚えた。
だが、グラディスはそれ以上の実力差を感じる。
「若いのに随分と実戦で鍛えられているようだな。敵を効率よく殺す術と、自分の身を守る術を知っている。だが、まだ技術的に未熟だな。おまえが部下だったらミッチリと鍛え直してやりたいところだが……」
そう言うとグラディスはそれまで片手で握っていた大剣を両手で構えた。
その目に強い光が宿る。
「おまえは敵だ。だから殺す」
だが、そう言ってグラディスが一歩踏み出そうとしたその時、真横からソニアが飛び込んできてグラディスに斧を振り下ろした。
「おおおおおおおおっ!」
グラディスは咄嗟にこれを大剣で受け止めるが、ソニアはそのまま勢いをつけて斧を押し込み、グラディスのこめかみに頭突きを浴びせるという荒技を見せた。
「ぐうっ!」
たまらずグラディスはのけ反るが、それでもすぐに体勢を立て直してソニアと斬り結ぶ。
ソニアは決死の表情で斧を振るいながら、声を荒らげた。
「ベラ! 立て! 寝てんじゃねえ!」
ベラはその声に痛みを堪え、槍を拾い上げて立ち上がる。
「う、うるせえ……さっきまで寝てたのはおまえだろ」
そう言うとベラは歯を食いしばり、自分もグラディスに襲いかかる。
2対1は癪だったが、それでもやらなきゃ殺される。
そう思い、ベラはグラディスの右側から連続で槍を突き出す。
グラディスはソニアの斧を捌きながら、ベラの槍をも避けようとする。
だが、さすがに2人同時攻撃では避けきれないようだった。
ベラの突き出す槍の穂先に腕や足をわずかに斬られて、顔をしかめながら後方へ下がっていく。
「チッ!」
「将軍! お使い下さい!」
だがそこでグラディスは部下の女が投げよこしてきた大楯を受け取って左手に握る。
右手に大剣、左手に大楯という常人ならあり得ない装備で立つグラディスに、ソニアとベラは左右同時にかかっていった。
しかしグラディスはベラの槍を確実に大楯で防ぎながら、右手の大剣でソニアに攻撃を浴びせる。
2対1だというのにグラディスを押し込むことが出来ずに、逆にベラとソニアはその圧に負けてジリジリと後退するばかりだった。
「くっ! ちくしょう!」
「フンッ! 威勢がいいのは若い奴の特権だが、口だけでは戦に勝てんぞ!」
そう言うとグラディスは一気に踏み込んできてベラを大楯で押し倒し、ソニアの斧を大剣で叩き落とした。
「くはっ!」
「ぐっ……」
「終わりだ」
冷酷な死の宣告をその口から発したグラディスだが、そこで彼女は天高く舞う数本の火矢を見た。
火矢は赤い煙の尾を引きながら空へと上っていく。
(南門の方角か!)
訝しむグラディスを狙うように今度は空から別の矢が降り注いだ。
「フンッ!」
グラディスはそれをやすやすと大楯で防ぐが、矢は立て続けに頭上から降り注いだ。
正確な軌道で連射される矢に、グラディスは防御を余儀なくされる。
「ベラ先輩! ソニア先輩! 撤退の合図っすよ! サッサとズラかりましょう!」
そう叫んだのは、矢を連続で放っているナタリーの隣に立つナタリアだった。
ベラとソニアは立ち上がり、頭上を見上げる。
確かに事前にブリジットと決めた撤退の合図である火矢が空に赤い煙の尾を引いていた。
だが2人は目の前の敵に対して一矢報いねば気が済まなかった。
「先に行け! アタシらはこいつにキツイ一発をくれてやってから行く!」
そう言うとベラとソニアは各々の武器を拾い上げて再びグラディスと対峙する。
だが、踏み出そうとした2人のその足元の地面に、鋭く矢が突き立った。
ナタリーだ。
その隣でナタリアが顔を真っ赤にして金切り声を上げる。
「合図が出たら速やかに撤退って言われてたっすよね! ブリジットに叱られますよ! いいんすか! アタシ言いつけますよ!」
口やかましくそうまくし立てるナタリアにベラは顔をしかめ、ソニアは舌打ちをした。
私情で作戦行動を乱すのはブリジットへの命令違反になる。
2人は腹の底に渦巻く戦意を我慢して、すばやく後退していった。
しかしグラディスはそれをみすみす見逃すつもりはない。
「逃がさん!」
そう言って足を踏み出すグラディスに向けて再度、矢が降り注いだ。
グラディスは忌々しげにそれを大剣で払い落としたが、その鏃には何やら白い袋が付けられていて、叩き落とした衝撃で袋が破れて中から赤い粉末が舞い散った。
途端にグラディスは強い刺激臭を感じ、口と鼻を手で押さえる。
だが目に染みるそれが目潰しだと分かると仕方なく、後方へ下がっていった。
グラディスは去っていく若い2人に向けて声を響かせる。
「ベラとソニア! その名とその顔、覚えたぞ! 戦士の誇りがあるなら、もう一度私の前に現れてみるがいい! 私を恐れるなら武器と誇りを捨て、布団でも被って震えながら泣いていろ!」
その言葉にベラとソニアは激昂し、珍しくソニアが反射的に声を上げた。
「馬鹿野郎! 次に会うときはその首ぶった斬ってやる!」
中央広場には次々と目潰しの粉袋付きの矢が飛んできて、赤い粉で視界が濛々となった。
そんな中、本家の者たちは速やかに撤退していく。
グラディスが用意していた援軍が広場に到着する頃には、本家の兵たちはすっかりその場から姿を消しており、屋根の上に立てられた統一ダニアの旗だけが風にはためいているのだった。




