第229話 『英雄』
「ふうっ!」
ブリジットは大きく息をつき、剣に付着した血を振り払った。
南門の上を通る外壁通路には、多数の赤毛の女たちの死体がそこかしこに転がっている。
その数は数十人に及んだ。
無残な仲間の死体を見て、敵の女兵士たちが息を飲む。
「くっ……バケモノかよ」
初めこそは勇猛果敢にかかってきた敵の女兵士らだが、味方が大勢殺されるのを見ると、さすがに立ち止まり、次第に向かって来なくなる者も現れ始める。
狭い通路の上で一斉に襲い掛かることが出来ないとはいえ、立て続けに数十人が斬り殺され、一方のブリジットはまったくの無傷ときていた。
そのあまりの格の違いに、生き残っている数十人の女兵士らもそれ以上、近付くことが出来ず、ブリジットを遠巻きに睨みつけるばかりだ。
一方のブリジットも見た目ほど余裕があるわけではない。
相手は手強いダニアの女たちだ。
王国兵や公国兵らの男たちを相手にするよりもかなりの重圧を感じ、心身ともに疲労がのしかかる。
(さすがにいつもよりは疲れるな)
ブリジットは静かに息を整え、その目に威圧感を込めて敵の女兵士らを見据えると、冷然と声を発した。
「これ以上はやめておけ。死体を増やすだけだ。元よりそれだけの力、黒き魔女などのために振るうのは愚かな振る舞いだぞ。おまえたちにもっとふさわしい主がいればいいのだが、砂漠島にはそういう者はいないのか」
ブリジットのその言葉に敵の女たちの半数ほどが顔を曇らせた。
その目に浮かぶのは困惑の色だ。
ブリジットはあらかじめクローディアから聞いて知っているのだが、砂漠島の女たちを従える黒き魔女アメーリアは、恐怖と力で民を支配している。
おそらく女たちの中には、生きるために断腸の思いで仕方なく従っている者も少なくないはずだとクローディアは言っていた。
(やはりそうか。数だけは多いが、その内情は決して強固というわけではない)
だが、そんなブリジットの言葉に反発する女も少なくなかった。
「黙れ! 島を捨てて逃げた卑怯な女の末裔め!」
1人の女が憤然とそう言うと、他の女たちも口々にブリジットを罵った。
ブリジットは平然とした様子で肩をすくめる。
クローディアから聞いているが、姉妹であった初代のブリジットとクローディアは共に砂漠島から大陸へと渡ってきた。
砂漠島での戦乱を逃れるためだと言われており、島では2人を裏切者扱いする者も少なくないという。
だが真実がどうあれ、初代ブリジットのしたことを今、自分に言われてもどうすることも出来ない。
それに初代ブリジットがこの地に渡ってきた後、彼女を追って島から出て来た女たちも少なからずいたはずだ。
それが今この大陸にいる本家と分家の赤毛の女たちの祖先なのだろう。
「昔のことをいつまでも。お前たちはその時代に生きていたとでも言うのか? 恨むならこの大陸に渡ってこようとしなかった自分の祖先の決断を恨むがいい」
そう言うとブリジットは、怒りの声を上げて向かってきた数人の女兵士を容赦なく斬り捨てた。
そして壁の下を見る。
街の内側も外側も、この周辺を重点的に攻撃したので、敵兵の数はかなり少なくなっていた。
だが味方にも少なからぬ被害が出ている。
赤毛の女同士の戦いなのだから当然そうなるだろう。
(……頃合いだな)
そこでブリジットはサッと手を上げた。
それを見た壁の下の弓兵たちが、鏃に布の巻かれた矢に火をつけて、上空へ飛ばす。
それは赤い煙の尾を引きながら天高く舞い上がった。
あらかじめ決められていた撤退の合図だ。
それを見た本家の女たちは戦うのを止め、一斉に撤退し始める。
ブリジットは壁上通路の縁に足をかけた。
すると敵兵がハッとして声を荒らげる。
「待て!」
「逃がすな!」
追いすがろうとする敵の女たちだが、ブリジットにサッと剣を向けられると思わず立ち止まる。
そんな女たちに向けてブリジットは言い放った。
「またどこかの戦場で会おう。遠き縁者の者どもよ。その時は存分にアタシの刃を味わえるぞ。楽しみにしていろ」
そう言うとブリジットはサッと壁から宙に身を躍らせて、その場を後にした。
☆☆☆☆☆☆
金髪の女王が颯爽と去っていくのを見つめながら、南ダニアの女戦士デイジーは壁上通路で立ち尽くしていた。
「す……すげえ」
それ以外に言葉が出てこなかった。
ブリジットというたった1人の女王が壁の上まで乗り込んできて、1本の剣で数十人の女兵士を斬り殺したのだ。
とても同じ人間とは思えなかった。
同じ部隊の兵士が多数斬り殺されたことなど、どうでもよかった。
目で追えないほどの速さで敵を斬り捨てる圧倒的な強さ、そして相手が何人いても臆さぬ強靭な精神力、さらには女王としての凛々しく堂々たる振る舞い。
デイジーは生まれて初めて英雄というものを目の当たりにしたような気がして、体の震えを抑えられなかった。
「あれが……ブリジット」
目に焼き付いた光景と全身の熱に浮かされるように、デイジーはたまらずその場から駆け出していた。




