第221話 『母と娘の分かれ道』
「我らはダニアの街を捨て、本家と合流した上で新都に移り住みます。王国から離脱するということです」
何者かに会話を聞かれることを危惧して、クローディアことレジーナは母にそう耳打ちした。
母である先代は娘の言うことを予期していたようで、その話を聞いても動じなかった。
彼女はレジーナを静かに見つめると、穏やかな表情のまま囁くように言う。
「そう。何となくそんな気がしていたわ。あなたは新しい道を見つけたのね」
「母上……ご期待に添えず申し訳ありません」
母の努力を無にしてしまうような、そんな罪悪感が胸を刺す。
だが、思わず俯くレジーナの手を母は優しく握った。
「あなたがクローディアとして決めたことなんだから胸を張りなさい。皆の先頭に立つ者は自分の決断に自信を持たなくてはいけないわ。そうでなければ付いてきてくれる一族の皆をも迷わせることになる」
それは母が昔からレジーナに教え込んでいた教訓だった。
レジーナは胸に懐かしい温かさがこみ上げてきて顔を上げる。
そして本家のブリジットとの間に結んだ同盟の一件をすべて話した。
先代は穏やかな表情のまま、ひとつひとつ話に頷く。
「そう。ワタシの代でこじれてしまった本家との縁を結び直したのね。立派だわ。レジーナ。一族をまとめて独立するのなら、本家との同盟は必須よ。数が多くなければ生き残れない。人間はそういう生き物だから」
母は概ね賛同してくれた。
それでもレジーナは母の内心はどうだろうと思いながら、最も伝えたいことを切り出した。
「母上。どうかワタシと共に新都へいらして下さい」
その言葉も予想していたのだろう母は静かに微笑んだ。
だが首を横に振る。
それもレジーナは予想していたが、それでも食い下がらずにはいられなかった。
「なぜですか? ワタシが行動を起こす以上、母上がここにいて良いことは何一つないはず。チェルシーと共にワタシとお逃げ下さい」
「……レジーナ。ワタシは一族のために自分で決断したきたことの果てに今ここにいるの」
静かだが力のこもった言葉だった。
そうなのだ。
レジーナもそのことは分かっている。
母には一族を率いてきた誇りがある。
一族のためにその身を王に捧げてでも、王国に所属する道を選んだのだ。
その決断を間違っていたということは出来ない。
自分にも、母自身にも。
だがそれ以外にも母にはここに残る理由があった。
なぜなら母までも自分と一緒になって王国から出て行ってしまえば、王はダニア分家を徹底的に追跡し、敵対勢力として滅ぼそうとするだろう。
母は王国に残ることで王の怒りを自分自身に向けさせ、少しでも娘への追及を和らげようとしている。
そう感じたレジーナは唇を噛みしめた。
王から母に向けられる怒りが、どのような恐ろしい結果を生むのか考えたくもなかった。
「しかし……それでは母上は……」
「ワタシはもう長くはないわ。新たな土地で暮らすには年を取り過ぎてしまった。それに王はワタシ以上にお年をお召しになられているの。最近ではチェルシーの存在だけが生き甲斐のあの人から娘を奪うことは出来ないわ」
聞けば王はチェルシーをこよなく愛しているという。
本来ならば孫のような年の娘なのだから無理もない。
しかも数年前の一度目の妊娠の時は流産をしてしまい、先代も高齢のためにそれからしばらくは子を授かることが出来なかった。
チェルシーは二度目の妊娠でようやく生まれた待望の娘なのだ。
その愛娘を奪ってしまえば王は復讐の鬼と化すだろう。
先代はレジーナの手を握る手に少しだけ力を込めて言った。
「レジーナ。あなたはあなたの道を行きなさい。ワタシはワタシの目的地に向かってこのまま歩み続けるわ。それがあなたとワタシ、クローディアの名を冠する者の宿命なの」
それは母から娘への別離の言葉だった。
レジーナはそれ以上、何も言えず、黙って頷くことしか出来ない。
おそらくレジーナが王国を訪れるのはこれが最後になるだろう。
それは同時に母と顔を合わせるのもこれが最後になるということだった。
王への輿入れ以降、レジーナの胸には母に対するわだかまりがあった。
それでも母と二度と会えなくなると考えると、胸が引き裂かれるようだ。
レジーナは震えそうになる唇を引き結ぶと、無理にでも笑顔を作ってみせた。
「これではブリジットに叱られてしまいますね。母を大事にするよう言われて来たのですけれど」
「……そう。良き同胞に巡り会えたわね。ブリジットに伝えてちょうだい。ベアトリスの一件、本当に申し訳なかったと。母君には心よりの謝罪とご冥福をお祈りすると」
良き同胞。
母の言葉にレジーナは頷いた。
実際のところ、まだブリジットと知り合って日が浅い。
だが、それでも彼女が女王として芯の通った人物であることは分かる。
今はそれだけでいい。
戦場で共に並び立つ仲間がいてくれるだけで心強い。
「母上が守り抜いた一族を一時の荒波に晒すことをお許し下さい。この荒波を乗り越えて大いなる安寧を得るため、必ずワタシが一族を導いてみせます。どうかご安心下さい」
そう言うレジーナに母は頷き、再び娘を抱き寄せる。
そして涙ながらに言った。
「ええ。あなたならやり遂げられる。あなたの人生に柔らかな光が降り注ぎ続けるよう、祈り続けているから」
「母上……親不孝な娘をお許し下さい」
「何を言うの。最高に誇らしい自慢の娘だわ。愛してるわよ。レジーナ」
「はい。ワタシも母上を愛しております」
レジーナはこれで最後となる母の温もりをしっかりとその手に、その胸に、その肌に刻みつけるのだった。




