第218話 『襲撃犯』
「逃げられると思うなよ」
オーレリアは敵が罠にかかった手応えを覚えながらも、一切の油断をしなかった。
自分たちと同じ赤毛の女がここに現れた理由を分かっているからだ。
本家の十刃長ユーフェミアが暗殺されたという知らせは、分家にも大きな衝撃を与えた。
留守にしているクローディアからは、オーレリア及び十血会の面々の護衛を強化し、危険に備えるようすぐに文が届いていた。
それを受けてオーレリアはすぐさま街の中を探らせたのだ。
そして自分の館で働く1人の小姓の様子がおかしいことを突き止めた。
別の小姓からの密告があったからだ。
1人の小姓が夜になるとコッソリとどこかに出かけている。
そして戻ってきた後、眠っている時に奇妙な寝言を言うようになった、と。
その寝言は支離滅裂で、突然泣き叫ぶような声を上げたかと思うと、すぐにヘラヘラと笑い出すといったものだった。
その話を聞き、オーレリアは薬物の影響が小姓にまで及んでいることを感じ取った。
本来ならばすぐには捕まえず、泳がせて敵の尻尾を掴むのが定石なのだが、今回は時間がなかったのだ。
暗殺を仕掛けてくるとしたら、間を置かずにすぐ来ると思ったオーレリアは、小姓を捕まえ全てを吐かせた。
その方法は拷問ではない。
取り上げた薬をニンジンのように小姓の鼻先に突きつけ、知っていることを喋るならそれを与えると言ったのだ。
小姓は薬欲しさにすぐに喋った。
実際にオーレリアはその都度、薬物を少量ずつ与え、情報を事細かに聞き出したのだ。
薬物中毒者の禁断症状を逆手に取った自白誘導だった。
それによって敵の女が執務邸の手前にあるこの小姓らの住居に隠れ潜み、日没とともに出かける自分を襲ってくることをオーレリアは知ったのだ。
そして先手を打ち、この建物に潜み、密偵となった小姓を逆に使って敵の女を罠に誘い込んだ。
「アメーリアの配下の者か。我が一族の女たちに奇妙な薬物を与えてたぶらかしたのは貴様だな」
そう言うオーレリアに暗殺者の女はニッと笑みを浮かべる。
奇妙な化粧でわざと醜く見せているが、そうして笑うと隠しきれない美貌が顔を覗かせた。
「ええ。私、たぶらかすのは得意なの。オーレリア」
そう言った女はすばやく懐から取り出した小刀を右手、左手と投げつけた。
オーレリアはそれを今度は短鉾で弾き飛ばす。
だが2本目に飛んできた小刀は様子が違った。
「なっ……」
2本目の小刀は刃が幾本も付属された回転刃であり、錘が付いているため不規則な飛行軌道を描いてオーレリアを襲ったのだ。
オーレリアはそれを必死に短鉾で叩き落とすが、衝撃でその回転刃はバラバラに分解され、飛び散った数本の刃のうち一つがオーレリアのふくらはぎを切り裂いた。
「ぐうっ!」
鋭い痛みにオーレリアは思わず片膝を床に着く。
それを見た敵の女はすぐさま踵を返して逃げ出した。
自分を確実に殺すことよりもこの場からの離脱を優先したのだと悟り、オーレリアは持っていた短鉾を鋭く投げつける。
「おっと!」
だが敵の女はヒラリと軽い身のこなしでそれをかわすと、建物の出入口に向かって猛然と駆けていく。
そしてその前方に立ち尽くす小姓の首に小刀を突き刺して容赦なく殺すと、そのまま出入口に駆け込んでいった。
だが……。
「逃がすな!」
オーレリアの声に反応するように出入口の戸が開いて数人の女戦士がなだれ込んできた。
すると行く手を塞がれた敵の女はすぐに方向転換し、すばやく近くの戸棚の上に飛び乗った。
女の頭上には屋根に備えられた天窓があり、女はそこに向けて取り出した小刀を投げる。
それは窓を突き破り、ガラスが飛び散った。
「外に逃げる気だぞ!」
「行かせるか!」
オーレリアの周囲の近衛兵らは口々に怒声を上げると、短弓を構えて、戸棚の上の女に狙いをつけた。
だが女は声も高らかに笑って見せる。
「アッハッハ! 私を捕まえるより、十血長さんを助けたほうがいいわよ。さっきの刃には猛毒が仕込んであるから。すぐ死んじゃうかも」
その言葉に近衛兵らの動きが一瞬止まる。
敵の女の言うことは事実だった。
オーレリアは傷口が焼けるような異質な痛みを感じている。
それが何らかの毒のせいであることも彼女は経験から知っていた。
それでもオーレリアは毅然と声を上げる。
「怯むな! 敵を捕らえろ!」
その声に弾かれたように近衛兵らは矢を放った。
だが一瞬の遅れが仇となり矢は空を切る。
敵の女が一瞬早く跳躍して一気に天窓から外に飛び出したのだ。
かなりの身体能力だった。
「逃がすな! 何としても捕まえろ!」
そう叫んだところでオーレリアは視界がグラリと揺れるのを感じた。
毒が回ってきたのだ。
たまらずにその場に両手両膝を着くと、慌てて周囲の兵たちが駆け寄ってくる。
(これは……まずい)
オーレリアは襲い来る吐き気を堪えて倒れ込むように床に横たわった。
朦朧としてくる意識の中で、オーレリアはクローディアが黒き魔女アメーリアから毒を受けた時のことを思った。
(あの時はベリンダ様がすぐに対処なさって……フッ。ワタシは運が……ないな)
薬物や毒物に精通したベリンダは外出中であり、そのままロダンの街へと向かうというクローディアからの文を受け取っていた。
自分の運の無さを自嘲しながら、オーレリアは静かに目を閉じる。
部下たちが必死に自分の名を呼びかけてくるが、すぐにその声も遠くなっていった。




