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終幕 『未来へと続く道』

「クローディア。イライアス様がご到着されました。5分ほどでこちらにお見えになります」


 新都ダニアの本庁舎。

 クローディアの執務室に訪れた秘書官のアーシュラがそう告げると、クローディアは書きものの手を止めた。


「ふぅ。お坊ちゃんのご訪問ね」


 そう言う主にアーシュラは非難めいた視線を向けながら、いさめるように言う。


「イライアス様は我らの大切な協力者です。共和国という後ろだてを失わぬために、友好的な御対応をお願いいたします」


 アーシュラはピシャリとそう言うと、足音もなく部屋を出て行った。

 その厳しさに辟易へきえきしつつ、それでも彼女の厳しさは友情の裏返しだと感謝してクローディアは窓の外を見つめた。

 黒き魔女アメーリアとの死闘から9ヶ月が過ぎ、戦で破壊された新都は大きく復興しつつあった。

 石造りの建物が建ち並び、大勢の赤毛の女たちが行き交っている。


 砂漠島からやって来た面々もようやくこの街に馴染なじんできたようで、以前のような喧嘩けんか騒ぎは随分ずいぶんと少なくなった。

 砂漠島に人質として捕らわれていた南ダニア軍の家族をアーシュラが救出作戦を主導して助け出したことや、統一ダニアと南ダニアの者たちが協力して復興作業に当たったことが、双方のわだかまりを少しずつ溶かしてくれたようだった。


 また、欠員の出ていた紅刃血盟会の評議員に、砂漠島出身のディアナが就任したことも民族融和に良い効果をもたらしている。

 亡きクライドの妻であり、砂漠島の勢力をまとめてきたディアナが新都の運営に関わることは、元南ダニア兵らにとって大きな意味を持つのだ。

 そして評議員にはウィレミナも就任した。

 ダニアの歴史上、最年少の評議員だ。


 彼女の有能さゆえの抜擢ばってきであり、いずれオーレリアの後を継いで紅刃血盟長の地位にくことは確実視されている。

 その時には新都は議会制による政治運営に移行し、女王は政治力を失って象徴的な存在となるだろう。

 それこそがダニアにとって新たなる時代への道のりだった。


 一方、9ヶ月前の戦いの後すぐに共和国大統領の息子と名乗るイライアスが書簡を手にこの新都を訪れた。

 彼が供与してくれた食料や医療品などの支援物資は、新都の復興を随分ずいぶんと助けてくれたのだ。

 そして共和国は新都ダニアを支援する立場を表明した。

 共和国側の見返りは『長きに渡り良き取引相手となること』だ。


 後々それが何を意味するのか色々なことが考えられるが、背に腹は代えられない。

 王国に属していた時と異なり、今回はあくまでも同盟関係という点も大きかった。

 王国や公国という隣国の情勢が不安定である今、共和国の協力を得ることは新都の存続のためにも必要不可欠なのだ。


 9ヶ月前。

 トバイアスが新都を攻めるのと時を同じくして、彼の父親であるビンガム将軍(ひき)いる公国軍が王国に攻め入った。

 だが戦の途中でビンガムは病死したのだ。

 そしてその息子たち2人は王国軍に捕らわれて捕虜ほりょとなった。


 そこで王国と公国の戦に割って入り、調停を両国に提案したのはやはり共和国だった。

 国の英雄であるビンガム将軍が死去したことで意気消沈していた公国と、クローディアの離脱によってダニアの分家を失った王国。

 その2国は戦の傷が深くなる前に停戦合意に応じた。


 以降、この2国は依然として緊張状態にあるものの、戦には発展していない。

 王国軍に捕らわれたビンガムの息子2人が停戦合意時に公国に返還されたことも事態の収拾に一役買った。


「チェルシーは元気にしているかしら」


 クローディアがかつて所属した王国に残して来た異父妹のことを思っていると、ドアがノックされて1人の青年が姿を現した。


「こんないい天気の日に部屋にこもって書き物とは。外に出て剣でも振るえばいい気晴らしになるのに」 


 そう言って部屋に入って来たのは共和国大統領の息子イライアスだった。

 クローディアは先ほどアーシュラに言われたことも忘れて不機嫌ふきげんそうに振り返る。


挨拶あいさつくらいしなさいよ」


 クローディアはこのイライアスという男が嫌いだった。

 軽薄で調子が良く、ペラぺラとおしゃべりだからだ。

 そして何より彼の黒髪を見るたびに、クローディアは9ヶ月前の失恋を思い出して胸がチクリと痛む。

 ボルドと同じく黒髪で整った顔立ちをしているが、その性格は真逆だった。


「これは失礼。ご機嫌きげんうるわしゅうございますか。女王様」

「……もういいわ。今日は何の御用かしら?」


 いつもは視察と親交を兼ねて月に一度の訪問をするイライアスだが、この日は前回の定期訪問からわずか2週間足らずの不定期で唐突な訪問だった。


「そろそろ機嫌きげんを直してほしくてね。そのお願いに来たんだ。我が国との縁談も断りまくっているそうじゃないか」


 この9ヶ月の間、クローディアには共和国の貴族たちから縁談の話がいくつも舞い込んで来ていたが、彼女はそれらを全て断っていた。

 いまだにボルドのことを引きずっているのだ。

 失恋後、ボルドやブリジットとは普通に友人として接してきた。

 だがそれはクローディアにとって辛い日々でもあった。


 いっそのこと遠くに行ってしまいたいとさえ思ったが、この新都の発起人としてそんな無責任なことは出来ない。

 イライアスはそんな不機嫌ふきげんな彼女の心中を知ってか知らずか、自身の黒髪をもてあそびながら言う。


「貴族たちがお気に召さないなら、俺にしておくのはどうかな?」

「……は? 何を言っているの?」

「次期大統領だし、将来有望。やさしくて顔も良くて財力もある。口も達者で女性を飽きさせない。結婚相手としてはかなり高得点だと我ながら思うけど」


 よくもまあそこまで自画自賛できるものだと辟易へきえきしながら、クローディアはこれ見よがしにため息をついた。

 

「ハァ……せっかく来ていただいて申し訳ないけれど、特に用がないなら……」


 そう言いかけたクローディアの言葉をさえぎり、イライアスは両手をパンパンと叩く。

 するととびらが開き、イライアスの従者である双子の姉妹がそれぞれ抱えるほど大きな花束はなたばを持って部屋に入ってきた。

 色とりどりの花を見て目を丸くするクローディアにイライアスは言った。


「あらかじめ言っておくけど、君へのプレゼントではないよ」


 怪訝けげんな顔をするクローディアにイライアスは続けた。


「御母君である先代クローディアへ」


 その言葉にクローディアはハッとして目を見開いた。

 彼女の母である先代クローディアは9ヶ月前、この世を去った。

 病没だ。

 先代は王国と公国の停戦合意の後すぐに体調をくずし、療養の甲斐かいなく亡くなったのだ。


 そのはかは王国にあり、クローディアは母の死に目に会えないどころか、一度としてはかに参ることも出来ていない。

 王国を出奔しゅっぽんした身であり、二度とその土を踏むことは許されないだろう。

 そう思い、クローディアはこの新都に母の形見の品を埋葬まいそうし、それをはかとしたのだ。

 イライアスは今日が先代の月命日だと知っていたのだろうと思い、クローディアはおどろきつつも礼を言った。


「……ありがとう」

「自分をこの世に生んでくれた母が亡くなるというのは、いくつになっても辛いものだよな」


 そう言って微笑ほほえむイライアスの顔は、先ほどまでのような飄々(ひょうひょう)としたそれではなく、他者の悲しみをいたわる柔らかくて優しい笑みだった。

 その表情が少しだけボルドに似ているとクローディアは感じる。


「御母君の御冥福ごめいふくをおいのりするよ。さて、帰るぞ。エミリー、エミリア。ではクローディア。またいつもの定期訪問でお会いできるのを楽しみにしているよ」


 そう言うとイライアスは従者の双子姉妹を連れてさっさと出て行った。

 クローディアは唖然あぜんとしてその姿を見送る。


あきれた……本当にそのためだけに来たっていうの?」


 部屋には花の香りが満ちている。

 机の上にかれた上等な白い紙の上に置かれた花束はなたばを見て、クローディアは少しだけ表情をゆるめる。


「何よ……変な奴」


 窓から吹き込んでくる風が花束はなたばを揺らし、一枚の花びらが部屋の中を舞いおどった。

 それを見たクローディアは、自分の心が少しだけ軽くなったのを感じるのだった。


☆☆☆☆☆☆


「父しゃま。はやく……はやく」


 そう言って丘を登る道を先へ先へと急ぐ幼い娘をボルドは必死に追った。


「待ちなさい。プリシラ。転んでしまうよ」


 とは言うものの、生まれてからかなり早い時期に歩き出した娘のプリシラが、1歳半を過ぎてから転ぶのをボルドは見たことがない。

 ブリジットの血を受け継いでいるだけあって、プリシラは相当に体が強く、運動神経も抜群ばつぐんだった。

 おそらく彼女が5〜6歳になる頃には、本気で走られたらボルドでは追いつけないだろう。


 金色の髪を振り乱して走るお転婆てんばな娘を追いながら、ボルドはチラリと後ろを見やる。

 十数メートル後ろからはブリジットが大きくなった腹を両手で支えながら、ゆっくりと丘を登ってくる。

 ブリジットは穏やかな笑みを浮かべながら、ボルドに言った。


「アタシのことはいい。プリシラを見てやってくれ」


 そう言うブリジットにうなづき、ボルドは坂道を追いかけて幼い娘をようやく捕まえた。

 プリシラはキャッキャと騒ぎながらそれでも嫌がることなく父の腕に抱かれている。

 やがて丘の頂上が見えてきた。


 誰もいないその場所にはひっそりと墓石はかいしが立てられている。

 墓碑ぼひには誰の名も刻まれていない代わりに『愛し合う者たちのはか』とだけ記されていた。

 その場所は新都から東に1キロほど離れた丘の上であり、辺りには木々が生えて周囲から墓石はかいしの姿を隠している。


 ボルドはプリシラを地面に下ろすと、背負ってきたかごの中から花と果実を取り出し、それを墓前ぼぜんに供えた。

 そこで後方から追いついてきたブリジットがふぅと息をついた。


「ブリジット。今回は無理せずとも私1人で大丈夫でしたのに」

「問題ない。適度に動いたほうがいいんだ。プリシラの時もそうだっただろう?」


 ブリジットの腹には来月には生まれるであろう第2子が息づいている。

 代々のブリジットに伝わる一子相伝の思想は、第7代となる彼女が自ら破り捨てたのだ。

 ダニアにとって新たな時代の幕開けであり、ブリジットとしてのり方ももっと自由であるべきだというのが彼女の考えだった。


 そしてこの月に一度の3人だけの墓参はかまいりを敢行かんこうするのは、決して運動のためだけではない。

 ボルドのためでもある。

 このはかの下にはアメーリアとトバイアスが眠っていた。

 あの戦の後、アメーリアの遺体とトバイアスの頭部を共にこの場所に埋葬まいそうしたのだ。


 それを知っているのはボルドに近しいごく一部の者だけだった。

 ほとんどの者は憎きアメーリアと敵将トバイアスの遺体は野に打ち捨てられたものだと思っている。

 あの2人をこうして埋葬まいそうしたのは、ボルドのためにブリジットが決めたことだった。


 ボルドはきっとこの先もトバイアスを刺した罪の意識に苦しむだろう。

 だから彼がここを訪れて供養くようすることで、少しでも気持ちがやわらぐのならばとブリジットは考えたのだ。

 以来、月に一度、家族水入らずの散策と称してこの場を訪れている。


 ボルドは墓石はかいしの前にひざを着くと、彼らのためにいのりをささげた。

 アメーリアもトバイアスも憎き敵だ。

 だがこうして死んでしまえばもう悪さは出来ず、ただの死者でしかない。

 生まれたばかりの赤児あかごがそうであるように、死者に良いも悪いもないのだ。


 だからボルドは彼らがせめてあの世で幸せに暮らせるよういのりをささげるのだった。

 ボルドのとなりではよく分かっていないプリシラが父の真似まねをしていのりのポーズをしている。

 そんな2人を後からブリジットは幸せそうに見つめていたが、ふと腹の子の胎動たいどうを感じて声を上げた。


「お、動いた」

 

 その言葉に2人が振り返る。

 ブリジットは愛おしそうに自分の腹をでながら言った。


「プリシラの時は1日中動き回って大変だったが、こちらの弟は父に似て穏やかな性格らしい。時折、ひかえめに動くだけだ」

「おとうと?」


 プリシラが不思議ふしぎそうにそうたずねると、ブリジットは母らしい穏やかな笑みを浮かべる。


「ああ。男の兄弟ってことだ。生まれてくるのはきっと黒髪の男の子だぞ。なあボルド」

「ええ。そうですね」


 不思議ふしぎとボルドにもそんな気がしていた。

 いや、もっと言えば黒髪術者ダークネスとしての直感で感じるのだ。

 生まれてくる子が自分と同じく黒髪の男の子だと。

 黒髪術者ダークネス同士はたがいを感じ合うことが出来るからだ。


 ボルドはふと墓石はかいしを振り返った。

 3年前の戦のあの日、城壁の上から黒髪術者ダークネスの力を用いてアメーリアの心に触れたボルドは、その時にまみえた赤児あかごに願ったのだ。

 今度は幸せになるべく生まれ変わっておいで、と。

 ボルドの口元に優しげな笑みが浮かぶ。


(今度こそ……幸せになれるからね。安心して生まれておいで)


 そんなボルドの背後では、ブリジットがプリシラと手をつなぎながら空を見上げて言う。


「ボルド。あの日おまえと出会えたことで今のアタシがいる。運命というものは本当にあるのだな」


 初めてブリジットと出会った時、ボルドは奴隸どれいの少年でしかなかった。

 彼女に拾われなければ、今もボルドは奴隷どれいとして使われ続けているか、使いつぶされてどこかで野垂のたれ死んでいただろう。


「はい。あの日あの場でブリジットに出会えたこと。ブリジットが私を取り立てて下さったこと。そうした全てに感謝しています」


 そう言うとボルドはブリジットに寄り添い、彼女と同じく空を見上げる。

 これまで色々な苦難があった。

 これからも良いことばかりではないだろう。

 だがいつもとなりに愛する人がいてくれるならば、きっと生きていける。


 ボルドはプリシラの手を握るブリジットの、もう一方の手を握った。

 その手をブリジットも固く握り返す。

 いつか死が2人を分かつその日まで、決してその手を放すまいと心に決めて。


 【完】

 ボルドの数奇な運命をめぐるお話はここが終着点となりました。

 皆様の心に残る物語だったと、少しでも思っていただけましたら幸いです。

 最後までお読みいただきまして本当にありがとうございました。

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