第377話 『芽吹いた気持ち』
「ただいま帰りました。ブリジット」
天幕に戻って来たボルドはそう言って頭を下げた。
ブリジットはゆったりとした夜着を身につけ、居間でくつろいでいたところだ。
「戻ったか。ボルド。疲れただろう。茶でも飲め」
落ち着いた表情でブリジットがそう言うと、馴染みの小姓たちがボルドに温かい茶を淹れてくれた。
豪華な造りとはいえ、女王であるブリジットが石造りの建物ではなく天幕に暮らしているのには理由がある。
新都を巻き込んだ戦によって街は大きなダメージを受けていた。
多くの建物が損壊したり焼失したのだ。
ブリジットとクローディアは自分達は天幕で過ごすので、優先的に兵たちや住民たちの家屋を再建するよう指示を出した。
もともとブリジットは天幕暮らしだったので、大して苦ではない。
もちろんボルドもそれは同じだ。
「また天幕ですまないな。ボルド」
「ブリジットとご一緒できるなら、私はどこにいても幸せです」
そう言いながらボルドは何か罪悪感のようなものを感じていた。
つい先ほどここに帰る途中でクローディアに呼び止められ、彼女から愛の告白を受けたのだ。
ボルドにとっては青天の霹靂だった。
もちろんクローディアの申し出は断ったが、そのことをブリジットに打ち明けなければならない。
情夫として彼女に隠し事をするような疾しいことはするべきではないし、したくなかった。
だがブリジットがそのことを知れば、彼女とクローディアとの間に軋轢が生じるだろう。
そう思うと口が重くなる。
(それでも言わなくちゃ……)
意を決してボルドが話を切り出そうとしたところ、ふいにブリジットが先に口火を切った。
「クローディアから……気持ちを告げられたか?」
思いもよらぬブリジットの言葉にボルドは呆けたような顔で言葉を失った。
その表情で全てを読み取ったブリジットは少しだけ苦い笑みを浮かべる。
「そうか。驚いただろう。実はな、先ほどあいつがアタシのところに来て、おまえに想いを告げると言ってきたんだ」
ボルドは彼女の口ぶりで悟った。
「ブリジットは……以前からクローディアのお気持ちをご存じだったのですか?」
「ああ。前にあいつとアタシが取っ組み合いの喧嘩をしたことがあっただろう? 原因はそれだ」
ボルドは我が身を呈して必死に止めた2人の喧嘩のことを思い返した。
あの時の取っ組み合いの原因が何であるのか分からなかったが、自分だったのだと知り、今さらながらにボルドは己の不明を恥じる。
だがそれも仕方のないことだった。
奴隷として生きてきた自分。
ブリジットの寵愛を受けているだけでも奇跡だというのに、この上クローディアにまで好意を向けられるなどと誰が思い至るだろうか。
少なくともボルドはそんなことを微塵も思ったことはない。
「あいつがおまえに想いを告げると言ってきた時、アタシは何も言い返すことは出来なかった。本来ならばそんなことはやめろと言うべきだったのに。すまない。ボルド」
そう言うとブリジットは申し訳無さそうにボルドの右手を握った。
心苦しく思っていたのは自分だけではなかったのだと知り、ボルドはその手に自分の左手を重ねる。
きっとブリジットがクローディアを止められなかったのは、同じ女性として同じ男を想うクローディアの気持ちが理解できたからだろう。
ボルドはそう感じた。
「いえ。クローディアには丁重にお断りをいたしました。私が愛する御方はブリジットただお1人ですので」
そう言うボルドの艷やかな黒髪をブリジットは愛しそうに撫でる。
「ボルド。今夜、アタシもおまえに話したいことがある。湯浴みを済ませたら寝屋に来てくれ。そこで待っているからな」
ブリジットは何かを決心したような目でそう言うのだった。
☆☆☆☆☆☆
浴室で小姓らに丹念に体を洗われたボルドは、その身から良い香りを漂わせながら天幕の奥にあるブリジットの寝屋へと向かった。
そこではブリジットがゆったりとした紫色の夜着に身を包み、ベッドの真ん中に腰を下ろして彼を待っていた。
「お待たせいたしました。ブリジット」
「ああ。ここへ来い。ボルド」
そう言ってボルドを招き寄せると、ブリジットは彼の目をじっと見つめながらしばし黙り込む。
何か言いにくいことを口にしようとしているかのように逡巡する彼女のその頬には、赤みが差していた。
3ヶ月前の戦で大きなケガを負ってから自粛していたため、実に3ヶ月ぶりの伽だからというのもあるかとボルドは思った。
ボルドは彼女の心情を慮り、自分から彼女の両手を握る。
するとブリジットは少しだけ勇気付けられたかのように、おずおずと口を開いた。
「ボルド。今から言うことは命令ではない。ただのアタシの願望だ。おまえが気乗りしないのならば必ず断ってくれ」
「はい」
「……子が……子が欲しい」
ブリジットのその言葉にボルドは息を飲んだ。
ブリジットは想いを込めてもう一度言う。
「おまえとの子が欲しい。おまえの子を産みたいんだ」
それはブリジットがこの3ヶ月の間に強く思ったことだった。
アメーリアとの戦いで死にかけ、それでも生き残った後、ブリジットは体の奥底から湧き上がるその感情に自分でも困惑していた。
ボルドのことを愛する気持ちが日に日に強くなり、彼との子を自分の腹に宿したいという本能的な欲求が後から後から湧いて来るのだ。
「もちろんおまえがまだその時期ではないと思うなら……」
「私も……私も同じ気持ちです」
ボルドはブリジットの言葉を遮り、そう言った。
ボルドも今まで漠然とは考えていたことだった。
いつかは子を成すのかもしれないと。
だが今、ブリジットから強い想いを告げられ、ボルドの胸に気持ちが芽吹いた。
彼女との子が欲しいと。
いや、うっすらと持っていた想いが、ブリジットの言葉のおかげで明確な形を持ったのだろう。
「いいのか? ボルド。アタシは……避妊の薬を今夜から飲まないぞ?」
「はい。ブリジット……いえ、ライラ。私たちの子を産んでほしい」
その言葉にブリジット……いや、ライラは心の中で箍が外れるのを感じた。
たまらずに夜着を脱ぎ捨てて素肌を晒すと、荒々しくボルドの夜着を剥ぎ取るように脱がせた。
そしてボルドの美しい肌に唇を這わせていく。
「ああっ……」
ボルドの吐息まじりの声がますますライラの情欲をかき立てた。
そしてライラはボルドの手を取ると、その手を自分の体に引き寄せながら潤んだ瞳を彼に向ける。
「ボルド……おまえからも……来てくれ。アタシの全てに……触れてくれ」
ボルドもこの日ばかりはたまらずにライラの肌を自ら愛撫していった。
その腰を、その足を、その乳房を愛していく。
初めて見せるボルドの雄々しさにライラもたまらずに声を上げた。
「あああああっ!」
女王も情夫もない。
そこにはただひたすらに愛欲をぶつけ合う男と女がいるだけだ。
この夜、ボルドは幾度も幾度もライラの中で果て、その愛の雫を彼女の奥深くへと解き放ったのだった。
ここまでお読みいただきまして本当にありがとうございます。
次回、いよいよ最終回となります。
終幕『未来へと続く道』
奴隷だったボルドの旅の終着点を見届けてあげて下さい。
最後までよろしくお願いいたします。




