第375話 『3ヶ月後』
「今日は来るのが遅くなってすみません」
そう言うとボルドは墓石の前に花と果実を供えた。
新都の北に位置する墓地には夕暮れの闇が迫りつつある。
墓石にはダンカンの名が記されていた。
元は分家で小姓上がりだった男性であり、初老を迎えてからはクローディアに請われてこの新都建設の黎明期における世話役を務めていた。
とても気の良い老人であり、ボルドが新都に来たばかりの頃、親身になって面倒を見てくれたのだ。
「あれからもう3ヶ月です。ダンカンさん。色々あるけど、皆さん何とかやってますよ。だから心配しないで下さいね」
ボルドは1人、墓石にそう話しかけた。
新都を巡る激戦から3ヶ月が過ぎていた。
あの戦いが終わった翌日、姿の見えなかったダンカンは遺体となって発見されたのだ。
哀れにも彼は水樽の中に詰め込まれていた。
首には絞められた痕があり、何者かに殺されたのだとすぐに分かった。
だがそれがアメーリアの部下であるイーディスの手によるものだとは誰も知らない。
ダンカンが亡くなったと知った時にはボルドは涙を流して彼の死を悲しんだ。
3ヶ月経った今、悲しみは少し癒えつつあるが、それでもダンカンのいない寂しさは時折ボルドの胸を締め付ける。
新都建造に最初から携わっていた彼にこそ今の新都を、そしてこれからの新都を見てもらいたかった。
「……ここに眠る皆さんにも今の新都を見てもらいたかったな」
ボルドは暇を見つけてはこの墓地を訪れていた。
激しい戦いで多くの仲間たちが亡くなった。
ボルドは彼女らの冥福を祈りつつ、墓地を後にするのだった。
「また来ますね」
☆☆☆☆☆☆
新都中央に位置する仮庁舎前の広場には大きな天幕が一つ張られていた。
周囲には篝火が焚かれ、日が暮れ始めた夕闇の中でも、辺りを煌々と照らしている。
墓地から戻ったボルドが天幕の中に入ると、赤毛の女たちが彼を出迎えた。
「お、ボルドさんが来たぞ」
「黒一点のお出ましだな」
そこにいるのは双子の弓兵ナタリーとナタリア、分家のはぐれ者ジリアンとリビー、その他にウィレミナとアーシュラ、鳶隊のアデラ、そして砂漠島からの入植者であるデイジーだ。
新入りのデイジーは持ち前の明るさでこの3ヶ月の間にすっかり馴染み、双子やジリアンらと軽口を叩き合うほど打ち解けていた。
「どうぞこちらへ」
ウィレミナに促されボルドは席に着く。
食卓にはすでに多くの食べ物や酒が用意されていた。
「ウィレミナさん。オーレリアさんは?」
「オーレリア樣はいらっしゃいません。若い我々だけで楽しめとのことです」
ボルドの問いにそう言って苦笑するウィレミナに、双子やジリアンたちがおどけて声を上げる。
「血盟長閣下がいらしたんでは楽しめねえだろ」
「そうだそうだ。酒の飲み方が悪いだとか説教が始まっちまうよ」
そう囃し立てる者たちを諌めるように咳払いをすると、ウィレミナはボルドに言った。
「もうすぐ主賓のお2人がいらっしゃるので、少しお待ち下さい」
この夜はある目的でボルドに近しい者たちが集まって宴が開かれることになっていた。
やがて天幕の戸布が開かれ主賓の2人が姿を見せる。
「何だ。おまえら。アタシらの全快祝いだってのに、主賓を待たずにもう始めてやがるのか?」
そう言って天幕の中に入ってきたのは、ベラとソニアだった。
2人は3ヶ月前の激闘で瀕死の重傷を負い、一時は生死の境を彷徨うほど危険な状態だった。
しかし人並外れた生命力で2人共、生き残ったのだ。
それでも傷は深く、2人は体に障害を残すこととなった。
グラディスからの深い斬撃を受けたソニアは内臓を損傷し、戦後2ヶ月ほどは体を満足に動かせないほどだった。
今もまだ動くたびに息苦しさに襲われるため、武器を握ることは出来ずにいる。
一方のベラは体の左半身を斬り裂かれた影響で、いまだ左足を動かせずに松葉杖をついている。
そして眼帯をはめている左目は完全に潰れ、視力は失われてしまった。
それでもこの一ヶ月ほどで2人とも驚くほど回復し、退院して日常生活を送ることが出来るようになった。
酒も一杯だけという医師からの条件付きで飲めるようになったので、彼女らの慰安会が開かれることとなったのだった。
2人が姿を見せるとナタリーとナタリアは例によって減らず口を叩く。
「何だベラ先輩もソニア先輩も。もったいぶってないでさっさと来ればいいのに」
「本当だぜ。祝ってもらう側なんだから、一番に来て皆を出迎えてもらいたいくらいだぜ」
そんな双子の頭をソニアは両手でそれぞれガシッと掴んだ。
「アイタタタッ! 頭が割れる!」
「ほ、本当にケガ人なんすか! ソニア先輩!」
仏頂面のソニアに頭を掴まれ、顔をしかめて声を上げる双子を見てベラが高笑いを響かせた。
「ハッハッハ。相変わらずうるせえ後輩たちだな。さっきまでアタシらはブリジットたちの茶会に出てたんだよ。おまえらはついでだ。ついで」
「ひでえ!」
つい先ほどまで別の場所で行われていた女王たちの茶会ではブリジットとクローディアの他にクローディアの従姉妹であるブライズとベリンダ、そして紅刃血盟長のオーレリアや評議員であるセレストが集まっていた。
ベラとソニアはそこに顔を出し、退院の報告を済ませて来たのだった。
「ま、あっちは少々堅苦しい会だったからな。こっちでおまえらの馬鹿面を見てるほうが気が楽だぜ」
「くっ! この人、片目潰れても性格ちっとも変わんねえな」
悪態をつくナタリーとナタリアだが、ボルドは知っている。
実はこの双子がベラとソニアのことを誰よりも心配していたことを。
2人が死ぬかもしれないとなった時は、青い顔で泣いていたのを見てしまったからだ。
もちろんボルドもベラ達のことは心配でたまらなかった。
だから双子の先輩を思う気持ちが嬉しかったのだ。
そんな気持ちが顔に出てしまっていたようで、自分たちを見るボルドの目に気付いた双子がジトッとした目付きでボルドを睨む。
「なにニヤニヤ笑ってんすか。ボルドさん」
「い、いえ別に……」
そう言って双子から目を逸らすボルドの両隣にベラとソニアが腰を下ろす。
「よう。ボルド。どうだ? 前よりもいい女になっただろ?」
そう言うとベラは黒い眼帯を外してボルドに顔を見せた。
眼球の失われた左目には深い傷痕が残っている。
だがベラはまったくそれを気にした様子もなく、むしろ誇らしげに見せる。
彼女にとっては戦士として名誉の負傷なのだ。
ボルドもそれが分かっているから、彼女の傷痕から目を逸らすことなく頷いた。
「はい。とても……素敵です」
そう言うボルドにベラは嬉しそうに笑うのだった。
そんなボルドたちを見てアーシュラがコホンと咳払いする。
「コホン。ボールドウィン。ブリジットの情夫でありながら、他の女性を褒めるだなんて浮気ですよ。ブリジットに言いつけますよ」
「ええっ? そ、そんなつもりは……」
「おっ? ボルド。アタシと浮気すんのか? けどなぁ。アタシはもうちょっと逞しい野郎のほうが好みなんだよなぁ」
「し、しませんから!」
ボルドは散々からかわれながらも、皆と賑やかな時間を過ごしたのだ。
他愛もない話ばかりの夜だったが、これこそが平和なのだと実感できる貴重な時間だった。
新都の東地区にはつい先日まで敵だった南ダニア兵たちの居住区がある。
彼女たちと統一ダニアの女たちとの融和にはまだまだ時間がかかるだろう。
双方の女たちによる喧嘩もしばしば起きていた。
一つの民族として彼女たちが心から笑い合える日は、おそらくまだまだ先のことだろう。
それでも新都は新たな一歩を踏み出し始めたのだ。
☆☆☆☆☆☆
(はぁ~。疲れたぁ。でも楽しかったな。それにしてもベラさんとソニアさん。結局、何杯も飲んでたけど大丈夫かな)
友人らとの宴席の帰り道。
すっかり暗くなった夜道をボルドは1人歩いていた。
ブリジットの待つ天幕へと戻るためだ。
先ほどまでの女たちの熱気に当てられた体に、冷たい夜風が心地良い。
そんな夜風の心地良さに浸りながら無言で歩いていたボルドはふと気が付いた。
納屋のそばに1人の女性が立っていることに。
美しい銀色の髪を夜風に靡かせながら、その女性は彼の名を呼ぶ。
「ボールドウィン」
「……クローディア?」
そこで待っていたのは1人、夜着に身を包んだクローディアだった。




