第374話 『女王の演説』
日が西に傾いていく。
日没まではあと2時間ほどだろう。
新都東の攻防戦は南ダニア軍が押し込んでいた先ほどまでとは違い、両軍拮抗していた。
後方から援軍として駆けつけた砂漠島のディアナ率いる1万人の軍勢が、南ダニア軍の背後を攻撃しているためだ。
だが南ダニア軍の数は多い。
すぐには決着がつかないだろう。
坂の上の統一ダニア軍も敵を押し返し、一時の劣勢を巻き返していたが、それでも敵の数は今なお多い。
統一ダニア軍を指揮するオーレリアは一時、敵に取り囲まれて窮地に陥ったが、今は周囲を分厚い衛兵の壁に守られて、指揮系統を維持できている。
それでもオーレリアは西日を見つめて唇を噛んだ。
(このままでは夜戦になる。この状態で暗闇の戦いをすれば、こちらにもひどい被害が出るぞ。危険過ぎる……)
オーレリアはその様子を想像して苦虫を噛み潰したような表情を見せ、後方を振り返った。
そんな彼女の目が驚きに大きく見開かれる。
高台の上に一基だけ残っている一番大きな櫓の上に、金髪の女王ブリジットと銀髪の女王クローディアの姿があったのだ。
そして……。
「お、おお……」
いつもは冷静沈着なオーレリアもさすがに感嘆の声を漏らす。
ブリジットとクローディアの間には大きな棺が縦に置かれていて、その中にかなり大柄な赤毛の女の遺体が安置されていた。
その遺体は武人としての正装に身を包まれており、その胸の前には巨大な大剣が置かれている。
ダニアの流儀で、戦死した者の勇敢さを讃えて「天の兵士」として送り出す作法だった。
一族のために戦い死んでいった者への最大の敬意だ。
オーレリアにはすぐに分かった。
棺に収められているのは、敵の将軍であるグラディスであると。
そしてもう一つ。
オーレリアを歓喜させたのは、ブリジットがその手に持っている人間の頭部だった。
長い黒髪を持つその頭部が、黒き魔女アメーリアであることは疑いようがなかった。
女王たちが勝ったのだ。
高台の櫓の上に陣取るその様子は遠くからでも視認しやすく、敵味方問わずその姿を見てざわつき始める。
ダニアの中でもグラディスほど大きな女はいないし、アメーリアのように長く美しい黒髪の女はなお珍しい。
それがアメーリアとグラディスその人であることが群衆に伝わるのに、そう時間はかからなかった。
そして櫓の上には女王たちの他にボルドやアーシュラ、ウィレミナやデイジーが控えている。
さらに櫓の下では十数人の女たちが戦太鼓や金属楽器を打ち鳴らしてけたたましい音を立てていた。
必然的に櫓に注目が集まり、戦場では一時的に戦いの手が止まる。
そこでブリジットは朗々たる声で叫んだ。
「戦場に集いし、勇敢なるダニアの女たちよ! 我が名はブリジット! この場にいる全ての者に告げる! 黒き魔女アメーリアは死んだ!」
そう言うとブリジットはアメーリアの頭部を頭上に掲げる。
「そして勇敢なる戦士グラディス将軍もこのように戦死し、誇り高き天の兵士となった! 砂漠島より来たりし者どもよ! 貴君らの将はすでにない! 今すぐ投降せよ! さすれば我ら統一ダニアも停戦に応じる!」
ブリジットの言葉は櫓の下の高台に並び立つ100名の戦士たちによって復唱され、坂の下まで轟いた。
投降と停戦。
その言葉に敵味方の間から巻き起こるざわめきが強くなる。
それを抑えるかのように戦太鼓が再び打ち鳴らされた。
そこで今度はクローディアが声を上げる。
「もうアメーリアの圧政に怯えることはないわ! ダニアの女ならば真に信じられる主のために剣を振るいなさい! 誰かを恐れて剣を振るうのではなく、自らの意思で自らのために!」
クローディアの言葉にブリジットが続く。
「ここで投降した者には捕虜ではなく、恩赦としてこの新都への入植者の地位を与える!」
ブリジットの言葉に辺りがシンと静まり返る。
2人の女王の演説を間近で聞いているボルドやウィレミナの顔に緊張が走った。
今しがたまで敵として戦っていた者たちに手を差し伸べ、自国の民として迎え入れるとブリジットは言ったのだ。
それが味方である統一ダニア兵らの反発を招くことはことは分かっていた。
戦場で剣を振るう戦士たちは興奮して気が立っている状態だ。
彼女たちは敵を殲滅することに命をかけて戦っている。
そこにいきなり、もう戦いをやめて敵と手を結べと言われても、すぐに受け入れられるものではない。
それが女王の言葉だとしても。
だが、そんなことは女王らも承知の上だった。
統一ダニア兵らのざわめきが大きくなる前に、クローディアが再び声を張り上げる。
「この大陸において我らダニアの血族は少数民族でしかないわ! ここで赤毛の女同士が殺し合ってその数を削り、どちらかが勝ち残ったとしてもその後、居並ぶ近隣の列強諸国を相手に立ち回っていけなくなる!」
そのことはクローディアがこの新都立ち上げの構想を練っていた時からの懸念だった。
赤毛の女の血筋は大陸全体の人口から比べると、ごくわずかでしかない。
新都を立ち上げたとして、他国から本気で攻められた時に一族の人数が少なければ太刀打ち出来ないだろう。
ゆえにクローディアは以前から時間をかけて砂漠島の面々と手を結びたいと考えてきたのだ。
女王らの言葉に戦場のざわつきが小さくなっていく。
夕暮れが迫り、冷たい風が戦場を吹き抜けて、火照った戦士たちの頭と体を冷やしていった。
櫓の上から彼女たちを見下ろすブリジットはそこで間髪入れずに話を続ける。
「元を辿れば我らは同じ血を分け合う一つの民族だ! 戦うべき敵は列強諸国のはず! 同じ民族同士、同じ赤毛の屈強な女同士で殺し合うのは今日限りにせよ! 砂漠島から来たりし同胞たちよ! おまえたちを抑圧していた黒き魔女はすでにこの世にない! そして勇敢なるグラディス将軍の亡骸はこの新都の中に丁重に埋葬し、その武勇は墓碑に刻むと約束する! 武器を捨てて投降せよ! そして統一ダニアの同胞たちよ! 武器を捨てた者たちを決して攻撃するな! それはこのブリジットとクローディアが断じて許さぬ!」
ブリジットの気合いの声にクローディアも続く。
「我らダニアの血と誇りを後世に残していくために、今こそ一つの民族として結束するのよ! ダニアの系譜を歴史から消さないために、我らの願いを聞き入れて欲しい!」
そこでブリジットとクローディアは互いに目を見合わせ、それから前を向いて2人同時に叫んだ。
「ダニアの未来のために我らもこの身を捧げ、皆の誇りを守り続けるとここに誓う!」
そして2人は片手を胸に当てると、櫓の上で片膝を着く。
女王が決して見せることのない恭順の姿勢だった。
それ見る者たちの間から、どよめきが湧き起こる。
誇り高き女王たちが膝を着いたのだ。
だがそれは何かに屈したのではなく、ダニアの未来にその身を捧げるという強い意思表示だ。
その姿をすぐ後ろから見ていたボルドは胸が熱くなった。
本当ならば立っているのも辛いくらいの体の状態であるというのに、毅然とした態度で声を張って演説をやり切って見せたのだ。
これこそが女王の姿だとボルドは心が震えた。
この2人はダニアの歴史に名を残す女王たちになるだろう。
そしてボルドが感じているのと同じことを、戦場から女王たちを見上げる戦士らも感じたのだろう。
どよめきは小さくなっていき、やがて張り詰めるような静寂が訪れた。
すると……1人の南ダニア兵が手にした武器をその場に放り捨て、片膝を着いて女王たちを見上げる。
それを見た周囲の南ダニア兵らも、次々と武器を捨てて地面に膝を着いていった。
その様子に戸惑う統一ダニア兵らだが、武器を捨てた相手に攻撃を加えることはなく、自分たちも剣を鞘に収めていく。
そして南ダニア兵らに御株を奪われてなるものかと、統一ダニアの女たちも地面に片膝を着いて女王たちを見上げた。
その動きはさざ波のように戦場に広がっていく。
しかし中には抵抗する者たちもいた。
腕に黒い腕章を着けた黒刃たちだ。
アメーリアへの忠誠心の強い彼女らは、黒き魔女への恭順を口々に叫んで、南ダニア兵らに戦いを続けるよう促した。
だが、すでにこの世にいない黒き魔女への恭順を強いられても、それに従う者はいなかった。
恐怖と圧政で砂漠島の女たちを抑圧していたアメーリアに、人望は皆無だったのだ。
逆に数の少ない黒刃たちは南ダニア兵らに取り押さえられてしまう。
騒ぎはすぐに収まった。
ほどなくしてその場にいる全ての兵が、1人残らず女王たちに膝を着いて頭を垂れたのだ。
ボルドはこの光景を生涯忘れないだろうと思った。
ブリジットとクローディア。
この2人に自分たちの未来を託すという意思を示したダニアの女たちの姿は、夕暮れの光が彼女らの赤毛を際立たせ、これ以上ないくらいに美しかった。
戦は……幕を閉じた。




