第217話 『潜入する者』
王国領・ダニアの街。
赤毛の女たちが慌ただしく行き交っていた。
イーディスはその様子を見ながら、街の慌ただしさに歩調を合わせて自分も足早に歩いていく。
顔に施した特殊な化粧が鬱陶しかった。
だが街にこうして堂々と正面から潜入できるのは、これがあってこそだった。
イーディスが顔に施した化粧は、アザのような染みや、出来物のような突起がある特殊なもので、彼女の美しさを敢えて消し去っていた。
本来の美しい顔で歩けば嫌でも目立ち、見慣れない奴がいると怪しまれる。
そう考えると彼女の自尊心はいくらか慰められた。
イーディスは自分の美しい容姿に多大な優越感を持っていた。
出来ればこの美しさをひけらかして歩きたいほどだ。
先日、本家のユーフェミアを刺殺した際にわざわざ顔の包帯を取り去ったのは、そうした理由からだった。
だが今日ばかりはその自尊心を押さえつけ、わざと目を細めて人相を変えながら歩く。
(それにしてもダニアの女たちがブサイクばかりなのは、本家も分家も同じね)
彼女はすれ違うダニアの女たちの容姿を内心で蔑みながら、意気揚々と進んでいく。
以前から時間をかけてこの街に潜入し、分家に馴染むためにこの顔で歩いていたため今となってはさほど目立たない。
たまにチラリと視線を送られることはあっても、ことさらに凝視されるようなことはなかった。
向かう先は一つ。
十血長オーレリアの執務邸だ。
本家のユーフェミアに続いて分家のオーレリアを殺す。
そうすれば本家分家ともに指揮系統の弱体化は免れない。
この任務を終わらせれば少しは休めるだろう。
男漁りを存分に楽しめる。
そんなことを考えながらイーディスは用事を装うように、街の入口付近にあった薪置き場から拝借してきた薪の束を抱えて歩く。
今、分家のクローディアが街を留守にしていることをイーディスは把握していた。
この街に潜ませた協力者からの情報だ。
さらに都合のいいことにクローディアの従姉妹であるブライズとベリンダの姉妹も不在だった。
クローディアのみならず従姉妹の2人とも絶対に交戦しないようアメーリアから厳命されている。
イーディスの腕前でも、銀髪の女王の系譜に連なる者たちを相手にすれば殺されてしまう。
直属の部下3人はアメーリアの命令を実行する忠実な手足であるので、無用な戦いで命を落とすことは禁じられているのだ。
その命令を受けた時に同僚のグラディスはわずかに悔しげな表情を見せたが、イーディスは何とも思わなかった。
自分より強い相手と戦わないのは当然のことだと考えているからだ。
女王の系譜に連なる者たちは、常人離れした身体能力で脅威的な戦闘能力を発揮する。
(そんなバケモノとは戦いたくないわね)
イーディスは事前に計画したオーレリアの殺害方法を頭の中で繰り返す。
十血長オーレリア。
本家の十刃長ユーフェミアより3歳年上の32歳。
ダニアの女戦士としては峠を越えている。
しかも本家のユーフェミアと違って、ここ数年は実戦に出た記録がない。
先日の宴会場での戦いが久々の実戦だったはずだ。
洗練された政治的な手腕とは裏腹に、その武術の腕は錆びついているだろう。
(机の上で作戦を練るばかりの頭でっかちな女に、私の相手が務まるかしら)
すぐにイーディスはオーレリアの執務用の建物を見つけた。
建物の前にはまだ若い女が2人、衛兵として立っている。
イーディスはその衛兵から姿を見られる前に手前の角を曲がって一区画前の建物に向かった。
ユーフェミア殺害の時と違って、直接オーレリアの元へ出向くのは危険だった。
前回と比べ、こちらのオーレリアの暗殺は難度が格段に高くなる。
防犯体制が比べ物にならないくらいしっかりしているということもあるが、それよりもユーフェミア殺害の後だという点のほうが大きい。
ユーフェミアの訃報は当然この分家にも届いているはずだ。
同じ立場である十血長のオーレリアが狙われる危険性は予想されているだろう。
敵の警戒の中で任務を果たさねばならないイーディスは、薪を運び込むフリをして手前の建物の戸の前に立つ。
すると戸が開いて中から1人の小姓が現れ、黙って彼女を招き入れた。
「オーレリアは?」
イーディスの端的な言葉に小姓は落ち着かない様子で視線をさ迷わせながら答えた。
「い、今は執務室に……お1人です」
そう言う小姓にイーディスは薪をその場に下ろし、懐から小さな包み紙を取り出す。
それを手渡されると小姓は顔を輝かせ、そそくさと懐にしまい込んだ。
普通の男ならばイーディスの色香で惑わせ、操ることも可能だが、去勢済みの小姓にその手は通じない。
故に薬物で手なずけたのだ。
これまでもこの小姓のように、何人かの分家の女を薬漬けにしてきた。
その女たちは皆、先日の宴会場の戦いでブリジットを狙って失敗し、殺されたり、捕らえられたりしてしまったが。
「あなただけね?」
イーディスの問いに小姓は頷く。
この建物はオーレリアの執務邸で働く小姓らのための住居であり、常時10名ほどの小姓が暮らしている。
だが、今は勤務時間で皆、出払っていた。
彼だけは体調不良を装ってここで休んでいたのだ。
イーディスを招き入れるために。
「オーレリアの出発時刻は?」
「いつも通り夕刻です」
オーレリアは日没と共に外出することが多い。
十血会の面々と夕食を共にするためだ。
十血長として同じ評議員らとの交流を密にしておきたいという彼女の政治的な思いから来る行動だったが、習慣化された行動のある人物は狙いやすい。
黄昏時の薄暗さの中で彼女を襲撃する。
それがイーディスの計画だった。
もちろんオーレリアに護衛は付いているだろうが、それは大した問題ではない。
イーディスは生来の器用さから、あらゆる武器に熟達しており、少し特殊な飛び道具なども持っていた。
不意を突きさえすれば必ず殺せる自信がある。
「とりあえずここで待たせてもらうわ」
夕刻まであと3時間ほどある。
イーディスは建物の中にじっと身を潜めるべく、隣の部屋に移動した。
だが……すぐそこで足を止める。
部屋に入った途端、彼女は何者かの気配を察したのだ。
物音はしない。
だが……。
(……女の匂いがする)
イーディスは即座に振り返った。
小姓は青ざめた顔で立ち尽くしている。
「おまえ……裏切ったわね!」
イーディスがその美しい顔を怒りに歪めて声を上げた瞬間、天板が開いて天井裏から5人の女戦士が飛び降りてきた。
そのうちの1人は長い赤毛を後ろで一本の三つ編みにまとめており、その衣服の胸には10本の真紅の鉾が描かれた刺繍が施されている。
(あれは……!)
それを見たイーディスはすぐに踵を返すと、衣服に仕込んでおいた小刀をその人物に向かって投げつけた。
だが長い赤毛の女はそれを手甲で叩き落とすと口を開く。
「待っていたぞ。不埒者。この十血長オーレリアを狙って単身乗り込んで来るとは大胆不敵だな。その度胸だけは褒めてやる」
そう言うとオーレリアは柄が短く改良された鉾を構えた。
(待ち伏せされていたってことね)
イーディスは怒りの気持ちが静かに冷めていくのを感じながら、この場で打つべき手を即座に頭の中で選択した。




