第216話 『葬送』
ブリジットに遅れて夜遅くに宿営地に着いたボルドら一行は皆、入口の戸布に十本の剣が刺繍された十刃長の天幕を訪れ、そこに安置されたユーフェミアの遺体と面会した。
ベラ、ソニア、アデラの3人は一様に無言で沈鬱な表情を浮かべている。
ユーフェミアは誰に対しても厳しい人物であり、ベラもソニアも叱られ殴り飛ばされたことは一度や二度ではない。
だが、彼女はブリジットを補佐して一族を導いてくれる灯火のような存在でもあった。
そんな彼女という存在が失われたことが信じられず、ベラたちは皆、言葉を失っていた。
ボルドは寝台に載せられたユーフェミアの遺体を前に、胸を痛めていた。
彼にとっては自分に非情な死刑宣告を行った人物であり、その人物の死に、因果応報だという思いを抱いても不思議では無かったが、ボルドの胸にそうした気持ちは微塵もなかった。
先日、謝罪を受けた際は、彼女からさまざまな教育を受けたいと願い、彼女はそれを快諾してくれた。
(まだ……何も教えられていないのに。何でこんなことに……)
今、ボルドの胸にあるのはブリジットを心配する気持ちだった。
ブリジットにとって、ユーフェミアの死は想像できないほどの喪失感があるだろうと想像に難くない。
母である先代ブリジットを失った時の彼女の涙を思い出す。
ボルドはベラたちに声をかけてその場を辞すると、ブリジットの天幕へと向かった。
だが、ブリジットの天幕には彼女の姿はなかった。
小姓らに尋ねると、ブリジットは執務用の天幕に赴いているという。
ユーフェミアの死を受けて、十刃会との緊急会議を行っているのだと小姓は告げた。
ブリジットの様子を尋ねると、いつもより暗い表情ではあったが、気丈にあれこれと部下たちに指示を出していたと小姓は教えてくれた。
それを聞いたボルドはとにかく自分はこの場で彼女を待とうと思った。
そして彼女が戻って来た時には、その悲しみに寄り添おうと心に決めるのだった。
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その夜、ユーフェミアの遺体は皆の前に運び出され、簡易的な葬儀が行われた。
ダニアの女は例外なく短い葬儀でその死を悼まれる。
その代わり一年に一度、故郷である奥の里に戻った時には、まとめて本葬を執り行うのがしきたりだった。
戦闘による略奪を生業とする彼女たちにとって死は日常茶飯事であり、いちいち大々的に葬儀を行っていたら時間と手間と費用がかかり過ぎるためだ。
先日亡くなった十刃会の重鎮であるカミラとドリスも同様であり、それはユーフェミアであっても変わらない。
簡易的な葬送ではあったが、ユーフェミアを偲び、悼む気持ちは誰しもが持っていた。
そんな皆が見守る中、ブリジットが気丈に弔辞を読み、十刃会の面々がユーフェミアの遺体に供物を捧げた。
そして彼女の遺体は薪を積み上げた火葬台に安置され、油を注がれて燃え盛る炎で夜を徹して荼毘に付されたのだった。
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翌朝、ブリジットと残りの十刃会の7人が夜を徹して行われた会議で決まったことが発表された。
本隊は明日すぐに王国の南都ロダンへ出兵することが決まったのだ。
現在、戦える本家の全戦力はおよそ約5,000名。
今年戦死した者もいるため、成人して今年から戦力となった新人を加えてもその数だ。
情報によるとロダンを占拠したダニアの軍勢はおよそ2万人ほどと言われており、4倍もの戦力差がある。
真っ向勝負では勝ち目はないだろう。
だが、それでも本家の女たちは戦意をみなぎらせていた。
ユーフェミアの遺体を焼いた炎は、そのまま彼女たちの怒りの炎となったのだ。
ユーフェミアを殺した人物について詳細は不明だが、目撃情報があった。
鼻の辺りに包帯を巻いた女がユーフェミアの天幕に向かって歩いて行くのを見た者がいるという。
先日の宴会場での一戦で負傷した者がいるため、手当てを受けている者も多く、その時は不思議には思わなかったらしい。
さらにその女は両手で水桶を抱えていたので、ユーフェミアに頼まれて飲み水を運び込んでいるのだと見た者は思ったらしい。
ユーフェミアが殺された天幕の中には、暗殺犯の物と思しき包帯が捨てられていた。
殺害を隠そうともしない挑発的な行動だった。
そして先日、ブリジットを襲った裏切り者の女たちは、昨晩になってから薬物の禁断症状がひどくなったらしく、苦しみの中で知っていることを次々と話し出した。
彼女たちに薬物を与えたのは鼻面に包帯を巻いた、目の大きな女だったという。
それを聞き、おそらくその人物が今回のユーフェミアの下手人であり、黒き魔女アメーリアの配下の者であろうとブリジットは推測した。
自分の周りに見慣れぬ者がいないかどうか再度確認するよう指示し、ブリジットは全軍に通達した。
ユーフェミアを殺した者の一派が今、ロダンの街にいると。
敵は圧倒的な物量を誇るが、それでもユーフェミアの弔いのために敵に強烈な一撃を浴びせるとブリジットが告げると、本家の女たちは唸り声を上げて奮い立った。
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「お疲れさまでした。ブリジット」
昼近くになってようやく天幕に戻って来たブリジットをボルドは出迎えた。
不眠不休で動き続けたブリジットの顔には疲れが見えたが、おそらく気を張っているためか、その目は大きく見開かれていた。
「ボルド。戻っていたか」
「はい。お食事はどうされましたか?」
「夜中に軽く食べた。今はあまり……食べる気になれん。それより少し眠りたい」
「はい。分かりました」
そう言うとボルドはブリジットに寄り添い、小姓らを残して彼女と共に寝室へと入る。
途端にブリジットはボルドをグッと抱き寄せた。
強い力で抱え込まれたボルドだが、落ち着いて声を出さずに彼女の腰に手を回し、そっと寄り添う。
「ユーフェミアさんのこと……お悔やみ申し上げます」
「……こんなところで死んでいいはずがなかったんだ。あいつは……ユーフェミアは……」
そこまで言うとブリジットは静かに肩を震わせた。
泣くのを堪えているのだろうと思い、ボルドは彼女の背を優しくさすった。
「はい……本当に残念です」
「ボルド……あいつを恨んでいないのか?」
ブリジットはボルドの温もりを確かめるように彼を抱きしめたままそう言う。
ボルドは彼女の背中をさすりながら答えた。
「恨んでおりません。ユーフェミアさんは……あなたの……ライラの大事な人です。それは私にとっても同じく大事な人ですから」
ボルドから幼名で呼ばれたブリジットは、ユーフェミアからそう呼ばれた幼き日々を思い、すすり泣く。
それからブリジットはボルドを抱き締めたままベッドに倒れ込むと、泥のように眠った。
ボルドはそんな彼女にずっと寄り添っていた。
おそらくそう長くは眠っていられない。
ブリジットには女王として成すべき仕事が山ほどあるからだ。
だが、ほんの短い時間でも彼女に安心して眠ってほしかった。
そうした思いから、ボルドはずっと彼女の背中を優しくさすり続けるのだった。




