第358話 『ボルド走る!』
「ハッ……ハッ……ハッ」
ボルドは城壁の上の通路を走り続けていた。
初めて上るそこは見晴らしが良く、遠くに東の攻防戦がよく見える。
激しい戦いは両軍入り乱れ、全員が赤毛の女たちなのでボルドの目からは敵味方の区別がつかなかった。
だが、その後方から黒い旗を掲げた集団が近付きつつある。
おそらくあと1時間以内に東の攻防戦に加わるだろう。
ボルドはあらためてその集団を見つめながらアーシュラの存在を感じ取ろうとする。
(アーシュラさん。そこにいるんですか?)
だが、辺りを漂うアメーリアのどす黒い気配に邪魔されて、相変わらずそれ以外の気配を感じ取ることが出来ない。
「ダメか……」
アーシュラの安否が気になるところだ。
彼女に何とか生きていてほしい。
もし彼女がいなくなれば一番悲しむのはクローディアだろう。
クローディアはアーシュラのことをとても信頼していて、ある意味で心の支えにしていたようにボルドには見受けられた。
ボルドにとってはブリジットだ。
そういう心の拠り所となっている人がいなくなってしまった時、人はどうやって生きていけばいいのだろうか。
そう考えたその時、ボルドの心の水面に鉛のような重苦しさが沈んだ。
血の臭いと人間の体を刺した時の感触がその手に甦る。
(アメーリアにとってはそれがトバイアスだったんだ)
もちろんアメーリアにもトバイアスにも同情など出来ない。
だが、ボルドが今感じているアメーリアのどす黒い感情の中には、深くて暗い悲しみも含まれている。
それがボルドの良心を苛むようにのしかかってくるのだ。
ボルドは明確に悟った。
(アメーリアは……泣いているんだ)
このどす黒い感情の渦は、黒き魔女の心の涙そのものだ。
そしてこの悲しみが怒りとなって、それを直接浴びるのが自分ではなくてブリジットとクローディアだと思うとボルドは2人が心配でたまらなかった。
自然と足が早まる。
そして走り続ける彼の目に見えてきた。
黒髪と銀髪の女性が戦いを繰り広げる様子が。
☆☆☆☆☆☆
「どいてくれ! 重傷者だ!」
怒声が響き渡り、仮庁舎の医務室に1人の重傷者が運び込まれて来た。
数人がかりで抱えられているのはベラだ。
そんな医務室の入口には双子の弓兵ナタリーとナタリアがへたり込んでいる。
2人とも足にひどい傷を負っていて、巻かれた包帯が真っ赤に染まっていた。
ベラを抱えて必死に仮庁舎を目指していた2人を同胞たちが発見し、代わって仮庁舎へベラを運び入れてくれたのだ。
ベラは意識がないまま、同じく意識の無いソニアの隣のベッドに寝かされる。
彼女はひどい状態で、左目は潰れ、左肩は鎖骨が砕けて皮膚を突き破っている。
さらには左頬、左胸、左の太ももを斬り裂かれて出血していた。
すでに包帯は用を成さぬほど血で濡れている。
同じ室内にいるブライズやベリンダは顔をしかめ、アデラは口元を手で押さえて悲壮な表情を浮かべていた。
誰が見ても、もう助からないくらいの重傷だと思えた。
だが、双子は自分たちもケガを負いながら必死にベラのベッドの元まで這い寄ってきて声を上げる。
「ベラ先輩を助けてやってくれ。この人、たった1人でグラディスに立ち向かって……それでこんな傷を……」
「でも……この人が無茶したおかげで、あのグラディスの息の根を止めることが出来たんだ!」
口々にそう喚く2人の元に歩み寄って来たのは、紅刃血盟会の評議員セレストだ。
彼女は双子の肩にそれぞれ手を置く。
「落ち着け。おまえたちもすぐに治療が必要だ。グラディスが死んだのは本当か?」
セレストの問いに双子は頷いた。
ちょうどそこで医務室にウィレミナが入って来た。
紅刃血盟長のオーレリアが東の前線に出ているので、ウィレミナは作戦本部の代表代理を務めている。
そんな彼女の元には吉報がすでに届けられていた。
「本当です。今、仲間たちが南ダニア軍の将軍であるグラディスの遺体を運び込んできました」
ウィレミナの話によればグラディスは胸を巨大矢に貫かれ、板に磔にされた状態で絶命していた。
遺体はそのまま運び込まれ、今は仮庁舎の前に安置されている。
その情報にセレストは双子の頭をガシガシと撫でて言った。
「巨大矢ってことは、おまえらの手柄じゃねえか。やったな」
だが双子は憮然とした表情で首を横に振る。
「アタシらは最後にちょこっとトドメを刺しただけだ。そうなるまでにグラディスを痛めつけて追い詰めたのは、ベラ先輩とソニア先輩で……」
「だから2人ともそんな姿になっちまって……」
悄然とする双子と、重傷でベッドの上に横たわり治療を受けるベラとソニアを痛ましげに見ながら、ウィレミナは考えていた。
大きな代償を払うことになったが、グラディスを討ち取ったことは多大な戦果だ。
グラディス将軍は黒き魔女アメーリアに次ぐ実力者であり、南ダニアの兵の中では尊敬と崇拝の的だったという。
彼女の戦死を広く知らしめれば自軍の士気は上がり、敵軍の士気は下がる。
だがやり方を間違えれば敵軍の怒りに火をつける恐れもあるだろう。
そこでウィレミナは思い付いた。
「セレスト様。ご提案が。皆さんも聞いて下さい」
そう言って自分の考えを告げるウィレミナに、その場にいる一同が驚きの表情を見せるのだった。
☆☆☆☆☆☆
「あったぞ! これか」
新都の仮庁舎から東に500メートルほど進んだ先で、十数人の統一ダニア兵が敵味方の遺体をかき分けながら探し当てたのは、地面に落ちている巨大な剣だった。
大剣の中でも一際大きなそれは刀身が1メートル以上にも及び、厚みと幅も他に類を見ないほどの大振りな得物だった。
その柄を手にした女戦士はそのあまりの重量に目を剥く。
「な、何だこりゃ。こんなもん振り回してたのか。グラディスってのは。力だけならブリジットやクローディアに匹敵するんじゃないか?」
そう言うと彼女はダニアの女の意地にかけてその大剣を持ち上げる。
だが、それを振るって敵を斬るなどという人間離れした所業は、とても彼女には想像が出来ないほどだった。
それほどグラディスという敵が手強い相手だったのだと想像に難くない。
「よくそんな女を倒せたもんだ……おい! 手伝ってくれ!」
2人がかりで抱えた大剣を彼女たちは仮庁舎へと運んで行く。
それは紅刃血盟会の評議員であるセレストの命令だったが、その発案者はウィレミナだった。
統一ダニアの儀礼では戦で命を落とした者は、その勇敢さを讃え、天の兵士として埋葬する。
その際に死者への敬意を払い、その者が最もよく使っていた武具を共に埋葬するのだ。
中には戦場の混乱で遺体が見つからない者もいるが、そういう者であっても遺品と共に武具を埋葬する。
これによって死者はあの世でも栄誉ある天の兵士となって永劫の時の中を生きると信じられているのだ。
武人としての名誉を重んじるダニアに伝わる伝統であり、これは本家出身であっても分家出身であっても作法は大きくは変わらない。
そして砂漠島の情報を知るアーシュラの話によると、南ダニアの者たちの間でもそれは変わらないのだという。
元々1つの民族であったダニアの女の間では相当に古くから伝わっている風習なのだろう。
ウィレミナはその風習通り、グラディスの遺体を天の兵士として丁重に扱うことにした。
血で汚れたグラディスの体を出来る限り綺麗にし、大剣を胸の前に持たせる格好で新しい木棺に収めたのだ。
兵士たちの間からは憎き敵兵にそこまでする必要があるのかと反発の声もあった。
だが、ウィレミナは一族にとって意味のあることをするために、感情を排して理性で動くことの出来る女だ。
その彼女の頭の中には今、この戦乱渦巻く新都の中で誰1人として考えていないであろう新都の数年先の姿が描き出されているのだった。




